旅に出で見知らぬ小さな町を歩くとき、いろいろな看板を見る楽しみがある。
大衆食堂「満腹」、ラブホテル「夜間飛行」、ペンション「ウッドぺッカー」など、
その商売ならではの屋号を見つけ、「クスッ」とひとり笑いするのも楽しい。
また、数珠屋さんの軒先に大きな木製の数珠がかかっていたりするように、
商品そのものの形を見せる実物看板を探すのも面白いものだ。
海外での店探しでも、重宝するのが看板だ。
クロワッサンの看板が目印のベーカリー、白い泡がこぼれそうな大ジョッキならビアホール、
大きなロブスターが描かれていたらレストラン、ぶどうの看板ならワイン関係の店と一目瞭然。
でも、中にはちょっと想像がつかないのものもある。
ある本で読んだのだが、オランダでは、おじさんが舌を出したり、口をあけている「舌出し男」や「口あけ男」の看板は
薬局のシンボルだそうだ。もしかすると、昔のオランダでは、薬局が医者の役目もしていたのだろうか。
また、日本ではあまり好まれないヘビも、ヨーロッパでは知恵のシンボルとして、
あるいは医学の神を象徴する生き物として尊ばれ、看板に描かれていれば薬局を意味するというのだから、
まさに「所変われば品変わる」である。
日本で看板が使われるようになったのは室町時代のころからだそう。
古くは平城京の時代に開かれた市で、商品の目印として掲げたのが起こりともいわれている。
数年前にイタリアを旅したときに訪れたポンペイの遺跡は、その古い歴史と規模の大きさに驚かされたが、
その古き町にもパン屋や居酒屋などの看板があったそうだ。
古い石の道を歩いていると、古代の人々が看板を目印にそれぞれの品物を求めて、往来を行き交う姿が目に浮かぶようだった。
人間にとって、看板といえば「顔」だろう。
顔は千差万別、十人十色。不思議なくらいいろんな顔の人がいるものだが、選べるものなら男であれ女であれ、
やはり美形に生まれた方が何かと有利である。
「性格だ」「愛嬌よ」とはいってみても、第一印象は何といっても顔。
中には美形とはいえ、底意地の悪さが顔に出ている人もいたりするが、
そういう特別の方は別として、なぜか美形の友人が多く、常に引き立て役人生を歩んできた私が、
身にしみて感じる何十年来の結論でもある。
最近は、プチ整形が流行していて、ほんの少し顔をいじっただけで、人生観も変わり、異性の目も変わったという人も多い。
しかし、美のみを追求して顔にメスを入れることに抵抗がある人も多いはず。
顔の形は変えられないにしても、喜ばしいことに表情だけは、自分の努力で何とかなるものらしい。
聞いた話によると、顔には表情筋がたくさんあって、笑うときに使う筋肉は8つくらいなのに、
怒ったときや、辛いとき、イヤだなあと思うときに使う筋肉は20以上あるそうだ。
それを毎日、繰り返すとどうなるのか。
恐ろしいことに、「イヤだなあ顔」や「怒り顔」のほうがよりスピーディーに形成されるわけである。
街を歩いていて感じるのだが、女性は特に表情が顔に出るような気がする。
若いうちは肌にも弾力があり、楽しいことや希望、夢をいっぱい抱えているから、そんなに気にもならないのだろうが、
50代・60代になると、そうはいかない。
「穏やかで優しい表情の人」と「怒ってもいないのにきつい表情の人」の2つのタイプに不思議なくらい別れてしまうものらしい。
もし自分の努力で少しでも優しい表情になれるなら、努力のし甲斐があるというもの。
テレビを観ているときでも少し意識して、口角をあげてみたり、眉間のシワを伸ばしたり、作り笑いをしてみたり……と、
努力しない手はないだろう。