吉田バテンレースからのウラ話

新潟県上越市にある吉田バテンレース作業から物産展までのお話

バテンレースが何故新潟だけ残った理由

2009-08-11 16:59:35 | 手芸
ドイツが発祥、明治25年新潟県上越市に伝わってから、今では日本唯一の産地
上越市以外は無く、それ以外は外国産です。 残った理由
1 第一次、第二次大戦での綿統制で織機が100台以上ない所は綿糸が配給ならなかった。 当地は県内の業者が組合を作ったが、他の産地は出来なかった。
2 当地はスキー発祥地、スキー産業が盛んであった為、木造の織機ができた。
3 雪国の辛抱強さと日本人の器用さ、勤勉な県人の性格など
関東大震災を乗り越えて現在日本では唯一のバテンレース専門業者になってしまう
が、糸、ブレート、型紙、生地付け、漂白、仕上げ全てが自社生産しないと
出来ない今日です。他の産地は、戦後他の織物産地に転進していった。
福井、桐生、静岡などである。 機械織り
現在の上越市の織物業者は、シートベルト、パラシュート、絶縁などの織物に
転進した。 詳細は当店のホームページを見て下さい。

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