yoshiakiブログ

10年前の思い出記録帳。
(『20130801』『20141001』)
現在は週一ペースで日記を書いています。

分からない人に理解できるように説明できるのが、プロ。

2023-12-09 09:58:33 | 日記

プロ意識というほど高尚なものではありませんが、栄養士として20年以上働いていて気にかけているポイントだったりします。
結局は分かる者同士で専門用語を応酬するのは、趣味としての話か自己満足か、と。

 

そんな気持ちになったのは、もう10年以上前。
当時、Windows7だか8だかが発売されたころOSに無頓着なヨシアキにはその差が良く分からず、会社で「更新希望者が多ければアップデートする」という申し出に参加すらできない状況でした。
さすがにこれは恥ずかしいだろうと、SEの副業もしている友人に相談してみたのですよ。「Windowsの7と8ってどう違うの?」

そうしたら出てくる、出てくる。 怒涛のような専門用語が。

ヨシアキとしては別にプロとして顧客に説明できるレベルの答えを期待していたわけではなく、単純に「動画の読み込みがずっと早いよ!」程度で満足だったのですが、何とかというシステムの何とかを何かに変更したことで何かがなんとやら・・・
とにかく、当時も今も何一つ理解できない専門用語の羅列を聞き流しただけでした。

 

同じく、もう3年近く前に卒業した専門学校のピアノの授業でも久しぶりに同じ気持ちになりました。
当時のヨシアキのピアノの知識は、姉(10年以上習っていた)の影響で4歳くらいにほんの3週間習っただけ。(決定的に合わなかったのです)
中学の頃の音楽でリコーダーを習った(これは結構楽しかった)のでドレミファソの符号くらいは読めますが、リズムもテンポも読み取れないレベル。
同級生も同じように今まで触れたこともない初心者も何人もいましたが、学校説明会での「大丈夫、そんな方も皆さん卒業できています」の言葉を信じて入学しました。

ところが入学したら、楽譜の本を渡されて、課題曲と合格目標日程を聞かされただけ。

もう、真っ青になりましたね。

 

そもそも基礎知識がない奴、というのはどういうことかと申しますと、

・楽譜は全国・全世界共通でこの通りに弾かないといけないと思っていた。
 (夏目漱石の「こころ」のように、どこに行っても「ちょうちょ」は同じ譜面でこの通り弾かなくてはならないと本気で信じていました)

・譜面の最初にあるシャープやフラットが変わらない限り、ドミソとファラドが混在することはないことを知らない。
 (移調の基本概念をそもそも理解していませんでした)

・指番号通りに弾くことを理解しても、指番号がどの指に対応しているのか分からない。
 (数を数えるときの指(例:人差し指→1、親指→5)だと大いなる誤解を発見した時には、「私、天才??」と本気で思いました)

個人差あると思いますが、このレベルです。

ヨシアキに至っては右手の譜面にある「ト音起動(🎼)」を「TONE記号」だと思い込んでいたレベルですし。
指番号も「スムーズに弾くためのガイド」というよりは「各曲につけられたチェックポイント(間違えると減点)」くらいに感じていましたし、ピアノの「鍵盤」という言葉が出てこなくてうっかり「ボタン」と言って先生に呆れられるくらいですし。

ですから卒業まではピアノはリズム感や歌いやすさで弾くのではなく、記憶力と反射神経で弾いていました。
(卒業課題曲も楽譜を配られて「好きな曲を選んでね」と投げっぱなしでしたので、そもそも譜面が読めないヨシアキは知っている曲の中から選ぶしかありませんでした。
 楽譜を配布した時に、もし一度でも先生がお手本として弾いてくれたのでしたら、「ビリーブ」の奇麗さに気づいて練習したのに・・な。←ちょっと心残りです)

プロとして長くいればいるほどこの「分からない」感覚が薄れてきて、「相手も知っていて当然」という意識で話してしまうのだろうと、保育の勉強とは別に学びました。
それは今の栄養士という仕事のプロを目指す身にも、戒めています。

 

 

<おまけ> 
 在学中の春休み、符号の読み方を姉に聞いたけど理解不能だったヨシアキが、やけっぱちに叫んだセリフ。

「ほくろの位置が違くても千昌夫も研ナオコも同じ人間なのに、符号はほくろの位置で性質まで変えちゃうなんてヒドイよ!! 人権無視だよ!!!」

今でも姉と甥に笑われます。

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