明日あさっては実家に帰るので更新止まるかもしれません。
4年ぶりの『A立の花火』!
やっぱり実家の屋上からA立の花火を見ないと、ヨシアキの夏は始まりません!
(この花火大会の何が良いって、1万発以上というそこそこの数を打ち上げるのにたった一時間で完遂させようとする無茶ぶりでしょう。
本当、気の短いヨシアキでも「もう少し落ち着こうよ」と突っ込みたくなる連打が見られます。江戸っ子の気質たっぷりで、小気味良いのですよ♪)
*普段は2階の玄関前で暮らしていたはなこさんでしたが、真夏は工場の中の方が涼しいので昼間は1階に降ろしていました。
兄が抱っこして一緒に電動椅子に乗ります。
耐荷重量を100キロに設定してよかったと実感した瞬間でした。
A立と言えば。。
都市伝説と思う方もいらっしゃいますが、『ただそこに住んでいる』だけで敵対しなくてはならない、宿命のような地区対立は間違いなく存在します。
性格とか立場とかは関係なく、ほかの地区に住んでいる方にとっては死ぬほどどうでもいい理由で敵対する地区。
(例:C葉県民とS玉県民、A羽とK越 等)
A立区とA川区もその一つです。 通称「23区内の田舎者対決」
(*以下はA立区に5代に渡って住み続ける吉田家の偏見で書かれています)
吉田家はヨシアキ以外全員がA立区から離れたことがない生粋のA立区民でして、今はどうか分かりませんが、50年前後この地に住んでいた人なら、子どものころは100回くらいはA川区の罵倒を聴いて育ったと思います。
ヨシアキも例にもれず、小学生のころ祖父から「A川がないのに名前を無断拝借している」「小さすぎてダーツの旅に当たらない」「50音順でも2位のくせに」と、今から考えればいちゃもんにしか聞こえない罵倒を聞いて育ちました。
傷は深く、時は流れてA川区の非常勤に合格した時にも「A川区の税金で生きさせて頂くのは…!」と、しばらく葛藤したほど。
『A立の花火』も、もちろん「A川区民は拝観料払え~~~!」と、土手に向かって叫んだのは10歳の話。
そんなこんなでA川区と長い間確執をもって育ったヨシアキですが、現在のS区に移住後、『A立の花火』はA立区とA川区の協賛であって両方の税金で成立していることを知りました。
今では仲良しです。