わが社、暑いです。
窓がハメ殺しですよ。窓さえ開けば、まだまだ楽なのに……。
毎日が温室です。温室というか熱帯植物園?
窓さえ……
いつか誰か、窓をぶち破ってくれないかなぁ。
きっと、その人は英雄になると思うんだ。
わが社、暑いです。
窓がハメ殺しですよ。窓さえ開けば、まだまだ楽なのに……。
毎日が温室です。温室というか熱帯植物園?
窓さえ……
いつか誰か、窓をぶち破ってくれないかなぁ。
きっと、その人は英雄になると思うんだ。
暗闇が怖くてすっかりパニックに陥り、眠る事も出来ずにめそめそしておりました。
昨日で5回目の停電、夜は2回目でした。
6:30に強制シャットダウンしましたので、仕方なく寝床に入りましたが、パニックになっていたし、そんな時間ですから眠ることなんかできません。
隣で夫は、床に入るやいなや、すかーっと眠りについており、肝が太いオヤジだな、と感心した次第です。
しかしどうして停電除外地域があるのかなぁ…?
東京電力の計画停電は被災地のためではありません。
電気はためておくことができないために、その時間に停電していない東京電力管内に電気を供給するための強制停電です。
輪番とはいえ、結局は23区の大部分は停電対象外なんですね。
23区内に勤めているので、ガンガンバリバリ大音量を出しているゲームセンターとかネオンびっかびかのパチンコ屋さんの前とか通って帰宅するのですよね。
…この電力、うちの電気より大事なのかな、ってちょっと理不尽を感じてしまいました。
不公平なんだなあ。そう考えるのも、心が狭いのかもしれませんが…。
そのうえ停電しない地域の人に「被災地の皆さまの事を思って頑張れ」「うちはまだ親戚が行方不明なんだからそれくらいのことがたがた言うな」「停電?うちはしないからwww」等々と言われて怒っちゃいました。
停電は被災地の皆さまのためではありません。
停電しない人たちの電気を賄うために強制的に停電させられているのですよ。
電気消してるもん!と胸を張った友人にも軽く苛立ちましたね。そのくらい停電ないときは私もやっていますし、それでも辛くなったらスイッチ入れれば灯りが点きますから、停電時とは怖さが段違いですよ。トイレでは電気つけるんでしょ?トイレも当然、真っ暗闇ですよ。
そして自分の好きな時間に電気を消せばいいだけで、頼む消さないでくれ!って言っても電気を消されてしまう強制停電とは違いますよ。
停電中に生命にかかわる事故なども起きていますし、地方の病院などは都心の娯楽施設よりも電力を絶やしてはいけない所だと思うのですが、その辺り、どうなんでしょうかねぇ…?
いかに電力に頼っていたかを思い知ります。停電を、暗闇を、非常に差別的に強制される事実に、とっても嫌な気持ちになっております。
そして暗闇が怖くてパニックを起こしてしまいました…。なんだそのくらいのこと!とお考えの方もいらっしゃると思いますが、怖さの感じ方も個人差があると思いますので、どうぞご容赦くださいませ…。
次の強制暗闇は、3/29なんですよ…。
またパニックになるようなら、心療内科の受診も考えなければならないかもしれませんね…。強制停電は冬まで続くようですから、パニックになりっぱなしでは心身がもちません。
そして、被災地ではまだ電気の通らない地域もあると言う事。心が痛みます。
その辛さは本当に想像を絶します。
暗闇が怖くて泣いてらっしゃる方もいることでしょう。
ほんの僅かな停電で、パニックなど起こしている場合ではないですよ、本当に。自分が本当に情けないです。
東京電力の計画停電は被災地のためではありません。
電気はためておくことができないために、その時間に停電していない東京電力管内に電気を供給するために、郊外の一部地域ごとに回している強制停電です。
そして東京23区(一部除外)は、停電をしません。
夏から停電すると言っていますが、それまでに電力が回復するまたは消費電力を削減する策ができれば、逃げ得です。
やらないとは言ってない、今すぐ協力したいと思っている、という停電対象外の方でも、自主的に2時間ブレーカーを落としましたと言う話は聞こえてきませんね。
そりゃ、ブレーカー落とすの嫌ですよね。不便ですし、夜は暗くて怖いですし。
その分、こちらが不便と恐怖を味わっているのですよ。こちらの都合とお構いなしに、強制で。
この件について強制停電をした事がない人からなにかお話があるなら、夜に2時間、ブレーカーを落とした経験をお聞きしてからです。それ以外の方の意見は聞く価値がありませんね。
それでも自分の都合でブレーカーを落とす日時を決められるんですから、ずいぶんと気楽なものですよ。
今本当に困っている被災者のために、停電を我慢をするなら納得できるのですが…。
今日は給料日だったので、せめて月収の一割くらいは、義援金にと思っています。
毎日、笑顔で暮らすことは、何よりすばらしいことだと思います。
誰でもそう思うことでしょう。
以前の職場に、夫と子供がある身で、妻子のある上司と不倫をしていた人が、そんなことを言っていました。
そうですね。
貴方は笑顔で暮らしてますよね。
でも貴方以外の誰を笑顔にして暮らしているのでしょうね。
痴漢やレイプ犯が同じことを言ったら疑問を感じるでしょう。
同じ疑問を、感じざるを得ないと思いました。
先日、ベストセラーだった「告白」を読みました。
読後感は最悪(笑)。
しかしながら救いの無い殺人事件を扱っているのに笑顔で終わったらそのほうが気持ち悪いと思うので、この読後感は最適でしょう。
ですが、ぐいぐい引き込まれる非常に面白く重い小説でした。
ストーリーにはほとんど関係ないのですが、ものすごく印象に残った言葉。
「やればできる」のではなく「やることができない」のです。
ああ、これは痛い。
やればできると言ってもろもろ甘えているので、なんだかグッサリ刺さりました。
このセリフ一つで、この作者さん凄い!って尊敬してしまいました。
できるひとは、結局、ちゃんとやってるひとなんですよね。
しみじみ。
さて、今日も頑張ります。
自営業夫の確定申告のために、寝不足~。ふう~。
終わりそうで終わらないのです。
途中で飽きちゃってだらだらするからですよね。
まさに「やることが出来ない人」そのもの。集中力が持続しないのです。
こまったものです・・・。
さかのぼって7歳くらいのときのことです。
物心ついてから小学一年まで名古屋に居ました。
父の転勤に伴って、小学二年から世田谷に転校しました。
三月生まれの私は身体が小さく、少し馬鹿で、そのくせ気だけ強い子でした。
五月くらいだったかと思います。
ドッジボールか何かで、泣き出した女の子がいまして、「なんでそんな泣くことあるの?」って言ったんじゃないかと思います。
目のくりっとした、たしかマキノさんという子だったと思います。
で、どういうわけかそれがクラスのボスっぽい子と副ボスっぽい子たちの気に障ったんだと思います。
「何でそういうこと言うの?やめなよ!」
「そうだよ。そうだよ。ひどいよね」
と、まあそんな感じでそれは始まったんだと思います。
1ヶ月、クラスメイトから完全無視。
ときどき、机とか椅子とか、投げつけられたこともあります。
髪の毛掴んで引っ張りまわされたり、おなかを蹴られたり。
三月生まれの2年生なんて、四月生まれの子より小さいです。そのころの1年の差って、大きいから。
覚えて無いだろうな。
四月生まれのアダチ君。君におなか蹴られたよ。
蹴り返したけどね(笑)。
覚えてないでしょうね?
たいてい、やったほうは覚えて無いんですよね。
だから大人になった人が、自分はいじめたこと無い、って思ってる人は、きっと何かしてますよ。少なくともいじめられたことはなく、いじめを止めたこともないって事ですよね。
とりあえず一緒に誰かを無視してたんじゃないですかね?
やられたほうは、忘れたくても忘れられないんですけどね。
まあそれからひと月くらいして、「もうそろそろ良いよね?」ってボスっぽい子に直に言って、終わったんだと思います。
覚えてるかな?サトウさん。
副ボスの、オオタさん。
きっかけになった泣き虫のマキノさん。
覚えてないでしょうね(笑)。
私は、学校では一度も泣きませんでした。
ちょうど同じ頃に、同じ歳のいとこが全く違う土地ですが、同じ目にあっていて、毎日お互いに泣きながら電話で慰めあっていました。
きっと、そのいとこが居たから乗り越えられたんだと思います。
今ほど「いじめ」というものに敏感ではなかった時代ですから、泣こうと喚こうと、学校には親に引きずられるようにして行かざるを得なかったと思います。
辛かったですね。
これはそういうめにあったことのある人にしかわからないことでしょうね。
今でも、そういう言動を耳にすると、冷や汗が出るんですよ。
ふざけているのでも「いじめ」とか、聴くと、本当にしんどいです。ノドがきゅっと詰まるような感じで、いたたまれない気持ちって、こういうものか、っていう気分になります。
経験しないとわからないんだと思いますが。
経験しなくて良いなら、一生知らないままでいたかった痛みだとも思いますが。
でも痛みを知らない人より、少し、気遣いが出来る人間になっているんじゃないかと思いますけどね。
無意識の言動で、たとえばそれを放置することで、誰かがどれだけ痛い気持ちになるのか、経験でわかりますからね。
ちょうどそのころ、兄はわずか10歳で、胃潰瘍になっていました。
で、一年後にまた転校しました。親が家を購入しまして、世田谷から出ました。
兄のことも私のことも、当時はわからなかったけれども、両親は感じるところがきっといろいろあったのでしょうね。
今でも、世田谷のときの昔話は、家族の間でも出ませんね。
今になっても、世田谷とかあの方面にはあまり行きたい気持ちにならないのは、仕方ないですよね。
渋谷も、当時よく行っていたので、やっぱり好きになれない土地ですね。
まあ、そんな子供時代です。
辛い話です。
ずっとずっと昔の話ですが、これ書きながら泣きそうですもの。
当時の影響なんでしょうかね?
人付き合いが苦手です。
まずは13歳くらいのときのことです。
9月頭の、めちゃめちゃ快晴の日に、体育祭の練習で一日中、グラウンドで経ったり座ったり走ったり歩き回ったりしておりました。
夜。
半袖の体操服にブルマという格好だったため、露出していた肌にぶわっと湿疹ができました。
日光疹というやつでした。そのとき初めて発症して、何でそんな湿疹が出来ているのか分けもわからずにとりあえずオロナインを塗りましたね。
でも、治りようもなく…。
痒くて辛くて、見た目にも手足がぶつぶつで恥ずかしいくらいに酷くて。
それでも学校に行かざるを得なくて。
その日も、また体育祭の練習のために、半そでの体操服にブルマ。
隣のクラスの列の男の子から。
「アイツ気持ち悪い、何アレ」
好きで湿疹ができたわけじゃないですよ…。
以来、日差しを浴びると湿疹ができるようになりました。
15歳の頃。
高校に入学するころから、お年頃もあってニキビができるようになりました。
ちょっとくらいのニキビなら可愛いものです。青春の象徴。
顔中に出来ました。
顔中のニキビ。顔中ぶつぶつのぼこぼこ。治りようもなく、次から次へ。
ニキビの下に重ねてニキビ。触れるとつぶれて血が出ます。それが化膿して黄色い膿が出ています。
そんな自分の顔が辛くて、顔を上げて暮らすことが出来ませんでした。
鏡を見るのが辛かったです。
おしゃれとか、髪型のどうのこうのとか…。美容院とか。
ありえません。
だって鏡を見なければならないじゃないですか。
美容院、ありえません。自分の顔と美容師さんの顔が、一緒に鏡に映るじゃないですか。
髪は、時々母や父にカットしてもらうくらいで、高校に入ってからはずっと髪を伸ばして、ゴムで結ぶようになりました。
髪の脱色や染色。ありえません。顔に触れて刺激になったらもっとニキビが辛くなるじゃないですか。メイク?ありえません。ファンデーションなんて塗る隙間も無いのですから。アイメイク?ありえません。目蓋の上にもニキビはありましたから。
洋服を買いに行く?
ありえません。お店の人に顔を見られるじゃないですか。
可愛い服を着たところで、その上にはニキビでぼこぼこで血が出て膿の滲む顔が乗るんですよ。
そんなの可愛いですか?
ニキビに悪いという物を出来るだけ避けて、顔も朝と帰宅後と寝る前と、高かった洗顔フォームで洗いました。
ニキビに良いという化粧水を買ったり、いろいろ試しました。
全滅でした。
一向に、ニキビは減りません。
それでも学校には行かなければなりません。
うつむいて、ずっとうつむいて、なるべく教室の一番前の端っこの席を狙って、あとは教科書を読んで暮らしていました。
女の子の友達は居ました。楽しい仲間達でした。本を読むのが好きだったので、読んだ本の話とか、たくさんしました。
さてある日のこと。
廊下の、予定表を書く黒板の下に男の子達がだらだらと座っていました。
女子が通り過ぎると、そこにコメントを書いているんです。
ちょっと気になる男の子もそこに居たんですが。
異性は、残酷ですね。
私が通った後には、やっぱり書かれてしまいました。
「気持ち悪い。」
そんな十代は、正直、思い出したくも無い時代です。
辛かったですね。
もう二十年も経つのに、ふと思い出すと、まだ泣けてきます。
顔を上げることも出来ない。
鏡を見ることが出来ない。
自分が嫌いで、どうにもならなくて辛かった時代です。
だから思い出したくないんですよ。
その時期に楽しかったことって、何だろう?
その時期の影響か、今でも一人が好きです。
誰かと居ると、いずれ、気持ち悪いと言われる気がして、怖くて。
20歳くらいのときに、母親が化粧品の販売などを副業で始めて、その化粧品がベストマッチだったらしくて、使い始めて1年ほどして、ようやく私の「青春の仇」と言って良いニキビは跡形もなく駆逐されました。
人間、見た目じゃないといいながら、結局は見た目だなと思ったのはその頃です。
やっと、誰にも気持ち悪いと言われなくなりましたから。
やっと、鏡を見ても落ち込まないようになりましたから。
やっと、人並みになりましたから…。
やっと、少し、人生が楽しくなりましたから…。
世の中に意地悪なことっていろいろあるけれど。
意地悪な言動より酷いことを感じるんですよ。
同じ給料で働いてるのに、遊んでばっかりの人。
つまり、ビジネス誌でよく言われる「タダノリ」っていう人。
頼むよ。
同じ時間を過ごして同じだけ給料もらう気があるなら、同じだけ働いて欲しいと思うのは、おかしいですか?
ルーティンが暇なら遊んで良いってことは無いと思うんです。
ルーティンが回ってきて解らないことを、日々真面目に取り組んでいる人に訊くのも辞めて欲しい。
勉強すれば良いと思うのです。時間があるなら。
分かりやすいメモを作れば良いのです。暇があるのなら。
「解らないから訊いてください」とか、人に問い合わせを出させるのも辞めてください。
グルメの情報を見る暇があるのに、仕事の問い合わせをする暇が無いとは思えません。
真面目にやってる人が、馬鹿みたいだと思わせないで欲しいです。
のんびりしたいのは同じだと思うのです。
そうできない立場の傍らで、遊び放題で「忙しいのはそっちの仕事でしょ?関係ないじゃん」と言う顔をしているつもりなら、その一連の行動はどんな悪口よりも意地悪だと思います。
にこにこして人当たりさえ良ければ善人とは限らないと、他人にストレスを与えないのだと考えているなら、その認識をどうにかして欲しいです。
義務を果たさずに、他人にだけ重荷を背負わせて、平然と笑っているのは、意地悪ではないのでしょうか?
悪意さえなければ悪くないと思っているのなら、それを受け入れない他人の狭量が悪いのだと言うのなら、仕方がありません。
ただ私はストレスを押し殺して、軽蔑するだけです