manaちゃんの35日の法要の日です。(いわゆる49日ですが、女性は35日なんだそう...統一するような流れになっているらしい)
こんな風にまだまだ小さなmanaちゃんを送る日が来るなんて、本当に考えてもみなかったと改めて思います...
帰ってきてから何度も何度もmanaちゃんの祭壇に来ていますが、この祭壇もとりあえず今日で仕舞われてしまうと思うと少し淋しい。
今朝もtaka坊はやたら早起きして、起きた時にはすっかり今日の法要に浮かないような格好でウロウロしていました。
「takaちゃ~ん」とカメラを向けると相変わらず真顔。
しかし、その後。
ちょっとふざけはじめて...
がおー。
今度は急に口をすぼめてどうしたのかと思ったら...
すっきりほっぺを演出
面白い。
そんなtaka坊様。
昨夜遅かった割に、朝5時起床と無駄に早起きしてしまったようで、みなさんが家に揃う直前にお昼寝しに行ってしまいました。
そんな訳で、亡くなったその日もお通夜もお葬式も初七日も、いつもウロチョロ自由に動き回っていたtaka坊がお昼寝していたので、今日の法要はとても静かに執り行う事ができました。
お経をあげられている間中、manaちゃんの写真を見て生前のmanaちゃんの姿を思い出しながら...
生まれてすぐ手術をしてから、何度も何度も手術を繰り返し、IVHや胃婁や腸婁、ストマの付近の痒みにも耐えさせられても、元気に踊ったり歌ったり遊んだり、可愛い笑顔を見せてくれたmanaちゃんの姿を思うだけで愛おしい...
亡くなった祖父と祖母に「nobuの娘のmanaちゃん、可愛いでしょ。よろしくね。」と祖父母にお願いしました。
その後みんなでお墓に行き、manaちゃんのお骨をお墓に...
みんなでお骨を少しずつお墓に入れました。
石碑(?)にはmanaちゃんの名前も刻まれていました。
家に戻るとお膳を囲んでnobuの挨拶。
この1ヵ月の思いを聞いて、胸が苦しくなりました。
食事をしていると、ずーっと寝ていたtaka坊が起きてきまして...
機嫌が悪かったのでさくらんぼうをあげ、満足気に食べた後は種を私の手の中に吐き出し、みんなに褒められて。
その後は、また前のようにみんなのお膳からさくらんぼうを貰い歩いて、jiyoちゃんのお父さんも嬉しそうに種を吐きだして貰って喜んでいました。
そうこうしている間に、男性陣は固まってお酒を酌み交わし始め、女性陣はリビングに移動してコーヒーを飲みながらtaka坊とiroちゃん相手にひと騒ぎ。
夕方、最後にjiyoちゃんのお父さんとお母さんが帰られるまで、ゆっくりゆっくり法要の席は続けられました。
お客さん全員が帰ると、宴会の後片付けをし、manaちゃんの祭壇も片付け、スナップ写真のボードをリビングに持ってきたり、思い出の品もまとめたりした後、taka坊も一緒に掃除機をかけるなどして綺麗にし、一息つくと、早起きしたtaka坊がいつもより早めに寝てしまいまして...(正しくは眠いとぐずってjiyoちゃんが寝かせに行ったのですが)
なんとなくみんなでリビングに集まって、昨日の残りの大量の焼鳥(nobuはいつもわざと大量に余るように購入してきます)をテーブルに並べ、各々好きなお酒を飲みながら、誰からともなくmanaちゃんの思い出話になりました。
jiyoちゃんが携帯で撮ったmanaちゃんの歌う姿を見てまた涙したり、あの時はこうだった、ああだった、と、生前のmanaちゃんの様子を各々話しながら、とても和やかな時間。
亡くなったあの夜から、G/Wの間中、毎晩nobuとjiyoちゃんと私でmanaちゃんの思い出話をしていた時と同じように...
花火を見せてあげたかった、ホタルを見せてあげたかった、検査の日に入院させて貰えばもう少し長く生きられたかもしれない、でも、manaちゃんはあの時帰りたかったんだよね、manaちゃんはいつもねり梅をくわえてたよね、manaちゃん音頭の時の画像もそうだった、2歳の時は手と目線だけで周りの大人たちが躍起になって希望を聞いてたのがおかしかった、ハートがいっぱいの手のハートを「こうだよ」と教えたらムッとされた、一緒にお弁当箱買い物に行った時、絵柄がサルのものだったので「さるだよ?」と言うと「さるでいい」という切り返しがおかしかった、takaちゃんの話をして一緒に笑った、やっぱり最後の退院の時はつらかったんだろうなぁ...などなど...
各々が思いつくままにmanaちゃんの話をし、manaちゃんへの思いを話し、各々がその話を楽しそうに聞いていました。
manaちゃんはこんな様子を見ていてくれているかな.....
nobuは、お坊さんの「これからは心の中で生きてる」という言葉で、本当に少しだけ納得できたと話していました。
そう。
manaちゃんはこれからもみんなの中で生き続けています.....
こんな風にまだまだ小さなmanaちゃんを送る日が来るなんて、本当に考えてもみなかったと改めて思います...
帰ってきてから何度も何度もmanaちゃんの祭壇に来ていますが、この祭壇もとりあえず今日で仕舞われてしまうと思うと少し淋しい。
今朝もtaka坊はやたら早起きして、起きた時にはすっかり今日の法要に浮かないような格好でウロウロしていました。
「takaちゃ~ん」とカメラを向けると相変わらず真顔。
しかし、その後。
ちょっとふざけはじめて...
がおー。
今度は急に口をすぼめてどうしたのかと思ったら...
すっきりほっぺを演出
面白い。
そんなtaka坊様。
昨夜遅かった割に、朝5時起床と無駄に早起きしてしまったようで、みなさんが家に揃う直前にお昼寝しに行ってしまいました。
そんな訳で、亡くなったその日もお通夜もお葬式も初七日も、いつもウロチョロ自由に動き回っていたtaka坊がお昼寝していたので、今日の法要はとても静かに執り行う事ができました。
お経をあげられている間中、manaちゃんの写真を見て生前のmanaちゃんの姿を思い出しながら...
生まれてすぐ手術をしてから、何度も何度も手術を繰り返し、IVHや胃婁や腸婁、ストマの付近の痒みにも耐えさせられても、元気に踊ったり歌ったり遊んだり、可愛い笑顔を見せてくれたmanaちゃんの姿を思うだけで愛おしい...
亡くなった祖父と祖母に「nobuの娘のmanaちゃん、可愛いでしょ。よろしくね。」と祖父母にお願いしました。
その後みんなでお墓に行き、manaちゃんのお骨をお墓に...
みんなでお骨を少しずつお墓に入れました。
石碑(?)にはmanaちゃんの名前も刻まれていました。
家に戻るとお膳を囲んでnobuの挨拶。
この1ヵ月の思いを聞いて、胸が苦しくなりました。
食事をしていると、ずーっと寝ていたtaka坊が起きてきまして...
機嫌が悪かったのでさくらんぼうをあげ、満足気に食べた後は種を私の手の中に吐き出し、みんなに褒められて。
その後は、また前のようにみんなのお膳からさくらんぼうを貰い歩いて、jiyoちゃんのお父さんも嬉しそうに種を吐きだして貰って喜んでいました。
そうこうしている間に、男性陣は固まってお酒を酌み交わし始め、女性陣はリビングに移動してコーヒーを飲みながらtaka坊とiroちゃん相手にひと騒ぎ。
夕方、最後にjiyoちゃんのお父さんとお母さんが帰られるまで、ゆっくりゆっくり法要の席は続けられました。
お客さん全員が帰ると、宴会の後片付けをし、manaちゃんの祭壇も片付け、スナップ写真のボードをリビングに持ってきたり、思い出の品もまとめたりした後、taka坊も一緒に掃除機をかけるなどして綺麗にし、一息つくと、早起きしたtaka坊がいつもより早めに寝てしまいまして...(正しくは眠いとぐずってjiyoちゃんが寝かせに行ったのですが)
なんとなくみんなでリビングに集まって、昨日の残りの大量の焼鳥(nobuはいつもわざと大量に余るように購入してきます)をテーブルに並べ、各々好きなお酒を飲みながら、誰からともなくmanaちゃんの思い出話になりました。
jiyoちゃんが携帯で撮ったmanaちゃんの歌う姿を見てまた涙したり、あの時はこうだった、ああだった、と、生前のmanaちゃんの様子を各々話しながら、とても和やかな時間。
亡くなったあの夜から、G/Wの間中、毎晩nobuとjiyoちゃんと私でmanaちゃんの思い出話をしていた時と同じように...
花火を見せてあげたかった、ホタルを見せてあげたかった、検査の日に入院させて貰えばもう少し長く生きられたかもしれない、でも、manaちゃんはあの時帰りたかったんだよね、manaちゃんはいつもねり梅をくわえてたよね、manaちゃん音頭の時の画像もそうだった、2歳の時は手と目線だけで周りの大人たちが躍起になって希望を聞いてたのがおかしかった、ハートがいっぱいの手のハートを「こうだよ」と教えたらムッとされた、一緒にお弁当箱買い物に行った時、絵柄がサルのものだったので「さるだよ?」と言うと「さるでいい」という切り返しがおかしかった、takaちゃんの話をして一緒に笑った、やっぱり最後の退院の時はつらかったんだろうなぁ...などなど...
各々が思いつくままにmanaちゃんの話をし、manaちゃんへの思いを話し、各々がその話を楽しそうに聞いていました。
manaちゃんはこんな様子を見ていてくれているかな.....
nobuは、お坊さんの「これからは心の中で生きてる」という言葉で、本当に少しだけ納得できたと話していました。
そう。
manaちゃんはこれからもみんなの中で生き続けています.....