先日エドワード・ルトワックの「中国4.0」を読みました。
この中で何とも奇妙なエピソードが書かれていました。
第二次湾岸戦争の前に、ルトワックがアメリカに招かれて、イラク攻撃に関する講義をした時の話です。
ルトワックがイラクの宗教対立と民族対立の複雑さと深刻さについて説明したところ、参加者の一人でブッシュ政権支持の言論人が突然言いました。
「ルトワック氏はイラクには民主主義は無理だと仰っているのでしょうか?」
ルトワックが「その通りです。」と答えた所、相手は「ルトワック氏はレイシストです。 私はレイシストと同じ席で議論する事を拒否します。」と言いました。
ルトワックが「自分はレイシストではありませんよ。 文化主義者です。 イラクのような文化を持つ国に民主主義の制度は無理です。 勿論200年、300年後には可能になるかもしれませんが、今は無理です。」と答えました。
すると相手は「全ての貧しい人にも民主主義の中に生きる資格があります。 またイラクには高等教育を受けたエンジニアも多数います。」と言いました。
それに対してルトワックが、「それは確かにその通りですが、彼等はエンジニアではありません。 イラク国民でエンジニアの資格を持つ人々と言うのは、資格をエンジニア(細工)した人達なのです。」と答えました。
すると相手は「またレイシスト的なコメントが出ましたね。」と答えたのです。
これでもう聴衆達はルトワックの話を聞かなくってしまい、講義は失敗しました。
因みにこの手の傾向はアメリカだけでなく、イギリスでも同様で、例えばパレスチナ国家の建設について、パレスチナ人による国家運営に否定的な話をすると、「レイシスト」と言われると言うのだそうです。
そしてこの問題について、この本の翻訳をした奥山真司氏が、あとがきで解説しています。
奥山氏によるとアメリカでは、「文化的な差異」「文化による違い」などと言う意見は、完全に人種差別的と見做されるようになっていて、議論ができない状況だと言います。
ルトワック自身はルーマニア出身のユダヤ人で、その後イギリス国籍を取ったりと、色々な文化の社会を経験して生い立ちによるのか、文化による国家の在り方、国家戦略の違いと言うの物を重要視する人です。
この「中国4.0」で繰り返し描かれているのも、中国の文化に根差す戦略を分析しているのです。
こうした「戦略文化」と言う議論が90年代半ばから2000年代初頭にかけて盛り上がりました。
しかしアメリカではこれが、人種差別として拒否されてしまい、この議論への反応は今一だったそうです。
人間には文化を超えて普遍的な価値がある、と言う発想が絶対化して、文化の存在そのものを「人種差別」と捉える状態になっているのです。
そしてアメリカの知識人にとって、「レイシスト」と言うレッテル貼られる事は「死」を意味するのです。
典型がサミュエル・ハンチントンで、彼は文化を超えた人間の普遍性を追求してきたのですが、しかし晩年は文化や宗教の要素をより重視するようになりました。
その集大成が「文明の衝突」や「分断されえたアメリカ」です。
ところがこれによりハンチントンはアメリカのアカデミックの世界では「レイシスト」のレッテルを貼られてしまったのです。
それでハンチントンの没後、弟子達は必死でハンチントンがレイシストでなかったことを訴える記事を書かなくてはならなかったと言うのです。
世界的な名著とされた本が、道徳により全否定されるなんて・・・・。
まるでマキャベリの著作を「不道徳の書」として発行禁止にした法皇庁と同じではありませんか?
これが近代国家のやる事ですか?
ルネサンスから生まれた近代の学問と言うのは、理念や宗教から自由になって、全てあるモノをあるがままに観察し考察する事で成り立っているはずでは?
ところが実は自分達で自ら異端審問官の役を買って出ているのが、当の学問の担い手であるはずの知識人達なのです。
これで思い出したのが池内恵氏の講義です。
実はワタシは先月、北星学園で行われた池内恵氏の講義でも似たような話を聞いたのです。
ヨーロッパの反イスラム移民派の人達は、イスラム移民の増加によりいずれヨーロッパがイスラム化されるのではないかと心配しています。
イスラム教は元来、政教分離の発想がなく、ムハンマド存命中からイスラム法による統治が確立しており、今もイスラム諸国の多くはイスラム法を採用しています。
こうした現実からイスラム教徒が多数派になれば、現行の民主主義制度や法制度自体を全部否定して、イスラム法による統治を行う事は十二分に考えられるのです。
しかしヨーロッパの学会では、こうした事を考える事自体が差別と受け取られているような傾向があり、議論する事自体できない状態だと言うのです。
そしてもう一つ思い出すのがイギリスのEU離脱に関する話です。
EU離脱の国民投票の前、イギリスのEU残留派とその意を受けたマスコミは、EU離脱派をレイシスト、排外主義者と罵り続けました。
何でEU離脱だとレイシストになるのかわからないのですが、とにかくそうやってみんなが罵り続けると、善良で教養があると思われたい人は、私的な会話でさへEU離脱を明確に言えないような状況だったと言うのです。
「自分の価値観を押し付けたり絶対化してはならない。」と言う寛容の精神を持つ事を自認する反レイシスト達が、EU離脱派をレイシストと罵って黙らせるのですからブラックジョークです。
でも当人達は大真面目なのです。
なんだかもうソ連時代のソ連アカデミーや、ナチス時代のドイツ学会と同じじゃないですか?
元来学問の問題を、学問に関係ない理念やイデオロギーで批判して学者を吊し上げる。
吊るし上げをやったのは、実は同じ学者達なのです。
彼等が自ら仲間の吊るし上げを買って出たのです。
ナチスがナチズム、ソ連がスータリニズム、そして法皇庁がキリスト教をネタにして、言論統制をしたように、現在の欧米では反レイシズムを元に、学者達が自発的学問の自由を奪い、言論統制をしているのです。
なるほど学会がこのような状態では、欧米の対中東政策がオカシクなるのも当然でしょう?
「イラク国内は宗教や民族対立が深刻すぎて、民主主義国家の成立など不可能」と言うルトワックの指摘は、現在のイラク情勢の悲惨さを見れば、全く正しいとしか言えません。
でも反レイシズム教の異端審問官達は、そんなことは絶対に認めないのです。
そんなことを言う奴は火炙りにするのです。
だからアメリカもヨーロッパも全く成算のないまま、意味不明の中東政策を続けていくしかないのです。
これはもう十字軍と同じではありませんか?
反差別、反レイシズムはそれ自体間違いではありません。
しかし現在のそれは明らかに、元来の目的を逸脱して、有害なカルトになっているのです。
そして人間の自由な思考や言論を弾圧する手段になっているのです。
もういい加減にこんな馬鹿馬鹿し反レイシズムカルトや、反差別ファシズムは廃止して、本来の民主主義と自由な思考と言論を取り戻すべきではありませんか?
「よもぎねこです♪」
この中で何とも奇妙なエピソードが書かれていました。
第二次湾岸戦争の前に、ルトワックがアメリカに招かれて、イラク攻撃に関する講義をした時の話です。
ルトワックがイラクの宗教対立と民族対立の複雑さと深刻さについて説明したところ、参加者の一人でブッシュ政権支持の言論人が突然言いました。
「ルトワック氏はイラクには民主主義は無理だと仰っているのでしょうか?」
ルトワックが「その通りです。」と答えた所、相手は「ルトワック氏はレイシストです。 私はレイシストと同じ席で議論する事を拒否します。」と言いました。
ルトワックが「自分はレイシストではありませんよ。 文化主義者です。 イラクのような文化を持つ国に民主主義の制度は無理です。 勿論200年、300年後には可能になるかもしれませんが、今は無理です。」と答えました。
すると相手は「全ての貧しい人にも民主主義の中に生きる資格があります。 またイラクには高等教育を受けたエンジニアも多数います。」と言いました。
それに対してルトワックが、「それは確かにその通りですが、彼等はエンジニアではありません。 イラク国民でエンジニアの資格を持つ人々と言うのは、資格をエンジニア(細工)した人達なのです。」と答えました。
すると相手は「またレイシスト的なコメントが出ましたね。」と答えたのです。
これでもう聴衆達はルトワックの話を聞かなくってしまい、講義は失敗しました。
因みにこの手の傾向はアメリカだけでなく、イギリスでも同様で、例えばパレスチナ国家の建設について、パレスチナ人による国家運営に否定的な話をすると、「レイシスト」と言われると言うのだそうです。
そしてこの問題について、この本の翻訳をした奥山真司氏が、あとがきで解説しています。
奥山氏によるとアメリカでは、「文化的な差異」「文化による違い」などと言う意見は、完全に人種差別的と見做されるようになっていて、議論ができない状況だと言います。
ルトワック自身はルーマニア出身のユダヤ人で、その後イギリス国籍を取ったりと、色々な文化の社会を経験して生い立ちによるのか、文化による国家の在り方、国家戦略の違いと言うの物を重要視する人です。
この「中国4.0」で繰り返し描かれているのも、中国の文化に根差す戦略を分析しているのです。
こうした「戦略文化」と言う議論が90年代半ばから2000年代初頭にかけて盛り上がりました。
しかしアメリカではこれが、人種差別として拒否されてしまい、この議論への反応は今一だったそうです。
人間には文化を超えて普遍的な価値がある、と言う発想が絶対化して、文化の存在そのものを「人種差別」と捉える状態になっているのです。
そしてアメリカの知識人にとって、「レイシスト」と言うレッテル貼られる事は「死」を意味するのです。
典型がサミュエル・ハンチントンで、彼は文化を超えた人間の普遍性を追求してきたのですが、しかし晩年は文化や宗教の要素をより重視するようになりました。
その集大成が「文明の衝突」や「分断されえたアメリカ」です。
ところがこれによりハンチントンはアメリカのアカデミックの世界では「レイシスト」のレッテルを貼られてしまったのです。
それでハンチントンの没後、弟子達は必死でハンチントンがレイシストでなかったことを訴える記事を書かなくてはならなかったと言うのです。
世界的な名著とされた本が、道徳により全否定されるなんて・・・・。
まるでマキャベリの著作を「不道徳の書」として発行禁止にした法皇庁と同じではありませんか?
これが近代国家のやる事ですか?
ルネサンスから生まれた近代の学問と言うのは、理念や宗教から自由になって、全てあるモノをあるがままに観察し考察する事で成り立っているはずでは?
ところが実は自分達で自ら異端審問官の役を買って出ているのが、当の学問の担い手であるはずの知識人達なのです。
これで思い出したのが池内恵氏の講義です。
実はワタシは先月、北星学園で行われた池内恵氏の講義でも似たような話を聞いたのです。
ヨーロッパの反イスラム移民派の人達は、イスラム移民の増加によりいずれヨーロッパがイスラム化されるのではないかと心配しています。
イスラム教は元来、政教分離の発想がなく、ムハンマド存命中からイスラム法による統治が確立しており、今もイスラム諸国の多くはイスラム法を採用しています。
こうした現実からイスラム教徒が多数派になれば、現行の民主主義制度や法制度自体を全部否定して、イスラム法による統治を行う事は十二分に考えられるのです。
しかしヨーロッパの学会では、こうした事を考える事自体が差別と受け取られているような傾向があり、議論する事自体できない状態だと言うのです。
そしてもう一つ思い出すのがイギリスのEU離脱に関する話です。
EU離脱の国民投票の前、イギリスのEU残留派とその意を受けたマスコミは、EU離脱派をレイシスト、排外主義者と罵り続けました。
何でEU離脱だとレイシストになるのかわからないのですが、とにかくそうやってみんなが罵り続けると、善良で教養があると思われたい人は、私的な会話でさへEU離脱を明確に言えないような状況だったと言うのです。
「自分の価値観を押し付けたり絶対化してはならない。」と言う寛容の精神を持つ事を自認する反レイシスト達が、EU離脱派をレイシストと罵って黙らせるのですからブラックジョークです。
でも当人達は大真面目なのです。
なんだかもうソ連時代のソ連アカデミーや、ナチス時代のドイツ学会と同じじゃないですか?
元来学問の問題を、学問に関係ない理念やイデオロギーで批判して学者を吊し上げる。
吊るし上げをやったのは、実は同じ学者達なのです。
彼等が自ら仲間の吊るし上げを買って出たのです。
ナチスがナチズム、ソ連がスータリニズム、そして法皇庁がキリスト教をネタにして、言論統制をしたように、現在の欧米では反レイシズムを元に、学者達が自発的学問の自由を奪い、言論統制をしているのです。
なるほど学会がこのような状態では、欧米の対中東政策がオカシクなるのも当然でしょう?
「イラク国内は宗教や民族対立が深刻すぎて、民主主義国家の成立など不可能」と言うルトワックの指摘は、現在のイラク情勢の悲惨さを見れば、全く正しいとしか言えません。
でも反レイシズム教の異端審問官達は、そんなことは絶対に認めないのです。
そんなことを言う奴は火炙りにするのです。
だからアメリカもヨーロッパも全く成算のないまま、意味不明の中東政策を続けていくしかないのです。
これはもう十字軍と同じではありませんか?
反差別、反レイシズムはそれ自体間違いではありません。
しかし現在のそれは明らかに、元来の目的を逸脱して、有害なカルトになっているのです。
そして人間の自由な思考や言論を弾圧する手段になっているのです。
もういい加減にこんな馬鹿馬鹿し反レイシズムカルトや、反差別ファシズムは廃止して、本来の民主主義と自由な思考と言論を取り戻すべきではありませんか?
「よもぎねこです♪」