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ケミカルエンジニアの絶対音感

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シナプスの閃光 海馬のエクスプロージョン

テンテントヒカル

2008-10-24 00:20:30 | Tales of Alchemy

 講習を終えて資格認定書を貰ったぼくは神戸会館の坂を下っていた。近くで電気工事をしていたので作業服の中年男が何人かウロウロしていたし、同じ講習を受けていた男達が連れ立って坂を下っていたので、何かオイル臭い工場の近くのように思えた。

  坂の多い街だな。横浜もそうだったなあ。  

 坂を下ると大きな交差点にぶつかり、その横断歩道を渡った左側にラーメン屋があった。ここに来るのは3年振りだ。3年前、高校時代からの友人と3人で神戸でふらふらとしたことがあった。友人の一人が学生時代にこの近辺に住んでいたそうで、このラーメン屋も友人の行き着けというわけだ。  

 中華そばを注文して食べた。その友人はたいそう神戸という街がお気に入りだったようで、彼の古き良き時代を演出するためにその中華そばを携帯写真メールで送付してやった。

 ネギとチャシューが多いだけで、まあ普通の麺だ。美味しいのだけど、印象が薄い。

 街の持つネームバリューというかステータスというか、醸し出す雰囲気はある意味人を狂わせるようだ。自分も横浜に住んでいた時は特に何も感じなかったが、本州を離れて暮らしている今となっては、神戸という街は異質で非常に魅力を感じられる。都会に住むために大金をハタイテ、自らの生活を苦しめながらも辿り着いたカリソメの楽園。それに満足した振りをして悪意をばら撒き生きている人を何人か知っていた。そういう人に限って、子供が複数居たりして、その子供は不幸せなんだ。いや、そういう言い方は違うかもしれない。そんなどうでも良い人たちの評価を自分がするのもおかしなことだ。

 ラーメン屋を出たぼくは線路の高架下の商店街をぶらぶらと駅のほうへ向かって歩いている。言い方は悪いが、ゴミ溜めのようなところだった。まあ、非常に好感のもてるゴミ溜めだったけど。左右に無数に並ぶ、店舗とかろうじて言えるモノ。カビ臭い、埃臭い。古着の匂いをカモフラージュする香料の匂い、立ち飲み屋、カレー屋、プラモデル屋、貴金属屋、もはや何のコンセプトも無い何でも屋と呼ぶのさえおこがましいカオスな店。いろいろな人が居た。みんな一様に笑顔だったけど覇気がなかった。

 客のほうは滅多に立ち止まる人はいない。

 自分の好きな店を開いているという嬉しさと、このままで良いのかという不安さ。シャッターの降りている戦友達の墓場を見てどう思うのだろう。ライバルが減ったと思うのか、やりきれない気持ちになるのか。彼らのことを色々と思うのは勝手なぼく。余計なお世話だろう。口にだしたら殴られるかもしれない。でもあなた達はシアワセデスカ?

 シャッターを上げている店と下げている店、ここの土地神様は、ハーモニカを吹く口の形でも象徴しているのかと想像してみるが、綺麗な音は出てきそうにない。黒鍵の位置が歪なピアノとも言えるかもしれない。何れにせよここには不協和音しか聞こえてこない。それでも音を出そうとするだけマシなのかもしれない。

 突き当たりには皮製品の店がありそこを右に曲がると、万華鏡回廊はやっと終わった。

 駅前の交番を南に歩き、今度はきらびやかで天井の高いアーケードを通ってみる。そう万華鏡妖怪回廊は天井が恐ろしく低かったんだ。でも嫌いじゃなかった。

 三宮駅に続くこのアーケードは驚くほど人がいて、みんな笑顔だし楽しそうだった。ブランドものに身を包む女性や、数人で飲み会の相談をしているサラリーマン。これからデートか合コンなのか、はしゃぐ若者たち。人混みの歩き方を忘れてしまったかのようなぼくは、周りの人から見たらちょっとふらふらしているかもしれない。白いコートの女性と軽くぶつかってしまったけど、にっこりと笑顔でごめんなさいというと、少し嬉しそうに節目がちに通り過ぎていく。

 大過無く過ごしている人達の中で、ふらふらと彷徨うのは好きだ。

 世の中がしっかりと動いているのを感じる事ができるし、自分が少しくらい異常な考えをしていたって、相対的に日本という国の異常さは薄まっていると感じることができる。あくまで錯覚だろうけど。

  帰りのバスに乗るころにはすっかりと暗闇が落ちてきていた。それに抗うようにテンテントヒカル無数の発光体。 百万ドルの夜景という言葉を聞いたことがある。神戸は一千万ドルの夜景だそうだ。何故ドルなんだろう。そして、一千万ドルしか価値がないのかこの夜景は。少し可笑しい。

 バスは高速へ向け坂を昇りだす。その米国通貨の夜景を後にしながら。

 テンテントヒカルその光は、命そのものだろう。夜景の綺麗だといわれている街にはそれだけヒカリが有り、そこには蠢く生命体が無数に居るということ。そこには、唾液や排泄物、呼気やフケ、油や塩分、つまりそういうものの塊が数百万と蠢いているということ。ヒカリが沢山あればあるほど、唾液が大量に飛ばされているということ。  

 一千万ドルの価値しかないわけは無い。アノヒカリは巨大な巣であることの象徴なんだから。そしてその巣の住人は愛情を語りながら非道を働き、何かを殺しながら何かを救ったりしている。

 そんなヒカリのなかで、ぼくは巣の住人となることを望むのだろうか。うん、どこかでそこに居たいと思っている。

  本州を離れ、島に帰ってきたときにはもうヒカリは消えていた。ぼくの頭のなかには、テンテントヒカルものを映す漆黒の海だけが印象に残っていた。