冬桃ブログ

欲しいものはと訊かれたら

 子供の頃、お風呂も煮炊きも薪だった……と言うと、
若い人はのけぞっちゃって、「え? 明治時代ですか?」
なんて言う。
 違います。昭和の戦後生まれです。
 「ものすごい田舎だったんですか?」
 いいえ、都会じゃなかったけどそんな田舎でもなかった。
 どっちかというと町中だった。
 高度経済成長以後、ものすごい早さで暮らしの形態が
変わっていったが、私がまだ一桁の子供だった頃は、
たいていの家におくどさん(竈)があったものだ。

 火を起こすときは、まず古新聞などの反古にマッチで
火を付ける。炎の中に消し炭を入れ、それが赤くなって
きたら細い枯れ枝を置く。
 枯れ枝が勢いよく燃えてきたら、そこへ薪を載せる。
 で、御飯なんか、薪を増やしたり減らしたりして火の
勢いを調整しながら炊きあげる。
 面倒くさそうだがけっこう楽しい作業だった。

 消し炭と薪の間を担う細い枝は、八幡様の山で子供達が
拾い集めてきた。束にして紐でくくり、二宮金次郎の銅像
みたいに背負って帰る。
 だからいまだに枯れ枝が落ちているのを見ると、
ああもったいない、いい燃料なのに、と思ってしまう。

 洗濯機はなかったから洗濯はどんなものでも盥と洗濯板で
手洗いだったし、掃除は箒とちりとり。冷蔵庫もなかったから、
お米はその日食べる分だけ炊き、おかずも必要なだけしか作らない。
 冷凍食品なんかないから、野菜にしろ魚にしろ、口に
入るのは旬のものだけ。

 祖母が小さな家庭菜園を持っていて、キャベツや大根
なんかを作っていた。
 裏庭では鶏を飼っていた。脇の庭は夏になると赤や黄色の
芥子の花がいっぱい咲いた。
 キャベツにつく青虫を捕ったり、朝、鶏小屋へ卵を
取りに行ったりするのは私の仕事だった。
 青虫のふにゃっとした感触、生みたて卵の温かさを
いまでも手が覚えている。

 冷たい水で洗濯するのだけはいやだけど、もういちど
あの家のあの暮らしに戻りたい。
 
 猫と犬、そしてあなたが一緒なら。

コメント一覧

冬桃
まあ!
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
濱のリリーさん

 まあ、リリーさんも薪で御飯炊けるんですか!
 私も火を熾すのが大好きで、炎を飽かず眺め
ていたものです。
 あの頃は、至る所に神様や妖怪や精霊がいました。
 私も座敷童の足音を確かに聞いたし……。
 都会は都会で好きなのですが、あの頃は自然
の中で、かけがえのない時間を過ごさせてもら
ったのだとつくづく思います。
濱のリリー
私もお風呂を焚いてました!
冬桃さん、こんにちは。
わたしんちは栃木の超田舎で、ご飯はガスだったものの、
お水は井戸水、洗濯機はありましたが
絞るのにローラーでした!
お風呂は薪で沸かしていました。

両親が共稼ぎだったので、中学からは私が色々やっていました~
火を熾すのって好きでしたね。なんだか火の神様が居そうで・・・
夕方薄暗い家で一人でいると、薪をとる山裾で狐の嫁入りがみえたり…
前の畑にこの世の人ではない存在がみえたりと、
そんな不思議な田舎の夕暮れ時を思い出しました。
冬桃
いま思えばかけがえのないもの
http://members2.jcom.home.ne.jp/noa411/
さっちゃん
 そうか、お祖父さんの家がそうだったのか。
 私の娘といってもいいくらいの年齢だもね、さっちゃんは。
 いまのお母さんは子供を危険から護ろうとす
るあまり、なんにも触らせないようです。
 でも、ひろくんにはぜひ、蝶の幼虫も磯の
蟹やイソギンチャクも触らせてあげてください。
 自分の体でじかに学んだことはちゃんと身に
つきますよ。

冬瓜さん
 まあ、「19歳」の冬瓜さんでも!?
 お風呂はどうしてたかなあ。もしかすると
バケツに汲んで風呂桶に入れてたかも。
 トイレも「おわいやさん」が定期的に来てく
れてましたね。あれはちゃんと畑で役にたちました。
 あの頃まで、日本は素晴らしいリサイクル社
会だったんですねえ。

Unknownさん
 お名前を残していただけなかったけど、同世
代かな。いや、おそらくもっとお若い方ですね。
 ほんとに、便利な物がなかったからこそ、工
夫がありましたね。物を無駄にもしなかったし。
 「御飯粒を残すとお米の神様が罰をあてる」
とよく言われましたが、お米でもなんでも、物
を作るたいへんさを、あの頃の日本人はみんな
わかってと思います。

ひでさんとヒデサン
 二つ入ってましたけど、内容がほぼ同じだっ
たから、たぶん同じ方ですよね?
 「そんなにおばあさんなの?」って、はい、
日清戦争が始まった翌日生まれて……なわけ
ないでしょ。
 まあでもしっかり初老です。外面はやさしい
けど実は凄い意地悪婆さん、というのを目指
してます。

へいさん
 へいさんと私は原風景が同じでしょうね。
 いまはスーパーから、いつ生んだのかわから
ないような卵を買ってきて食べてるけど、あの
頃は生みたてほやほや! いまより贅沢だった
かも、と思うのです。
へいさん
あの頃
お風呂に薪をくべるのも、野原でハコベを摘んできて、細かく砕いた貝を混ぜてニワトリにやるのも子供の仕事でした。

懐かしい思い出です。
ヒデサン
感動!!
私の家の前小さな畑ソコに鶏をかっておりました。
その先に小さな小川 蜆が沢山 朝しじみをとって味噌汁。
冬桃さんて そんなにおばあさんなの?
こんなにきれいなのに信じられない。
Unknown
私の子供の頃も同じ風景でした。

ものはなかったですが、記憶に残るいい思い出です。
冬瓜
思い出します
私は子供のころ東京の郊外に住んでいました。
当時の生活は冬桃さんちほどではありませんが、かなり似たようなものでした。
水道はなかったから井戸水を手押しポンプで汲み上げていました。
お風呂の水を入れるのは大変だったですよ。
当然ガスも来ていないから薪。
その薪を割るのも、これでお風呂を沸かすのも、私の仕事でした。
当時「水道完備、ガス見込み」というキャッチフレーズが流行っていましたが、
我が家は「どちらも見込み」でした。
そうそう、トイレも汲み取り式で、大きな柄杓のようなもので汲み出していたなぁ…
バキュームカーが来るようになったのは、
かなりあとのことだったと思います。
洗濯機が我が家に登場したときのことも、
昨日のことのように覚えています。
ローラーで挟んで絞る脱水方式が画期的でしたね。
街頭テレビ、蚊帳、盥を使った行水、呼び出し電話…ああ懐かしい…

長々とすみませんでした。
さちこ
知っています☆
自分では若い、と思っていますが(^^;、薪での煮炊きなどを
知っていますよ~。父方の祖父の家がそうでしたから、お風呂に
入る時は、いつも誰かしら外で火をおこしてからでした。
雨の日はとても大変でした。

農家でしたから、土と戯れて、自然と旬を知りました。
梅や柿をとったり、筍やふきをとったり…

子供が産まれて、なかなか息子には経験できないんだと感じています。
薪で火をおこすなんて、息子にとっては本の世界になるのでしょうね。そう言う意味では、私の幼少は恵まれていたのだなと
感じます。

とても懐かしく、息子にも幼虫を見つける楽しさを知って欲しいと思うこのごろです。
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