冬桃ブログ

むかし、売人でした、とその人は言った。

 先日、A氏という見知らぬ男性から出版社経由で手紙がきた。
 私は昨年、NHKのラジオ番組にゲストとして出演したのだが
その際、パーソナリティーをつとめる残間里江子さんから、「来年、
やりたいことは?」と訊かれ、「横浜の某所をテーマにしたノンフィ
クションを書きたい」と答えた。
 A氏はそのラジオを聴いておられたのだ。

 私はラジオで言ったとおり、今年に入ってから取材を始めたのだが、
A氏はその某所で、昭和三十年代の初め頃、麻薬の売人をやっていたという。
 あなたが興味をお持ちのようなので話をしようと思うが、自分は車椅子
なので出かけられない。よかったら自分の家へ来てくれないか、とその手紙
には書かれていた。

 自分の住所を書いて切手を貼った返信用封筒まで入っている。
 ぜひお目に掛かりたいと、その封筒で返事を出すと、すぐに
電話が掛かってきた。
 そして、今日、私はA氏と会うため、湘南のある町へ出かけて行ったのだ。
 
 落ち合った場所はその町の市役所。A氏は市の福祉委員などを務めておられ
るそうで、奥さんのほかに市役所の職員が二人、車椅子のA氏に付き添っておられた。

「私の家で、と思ったのですが、あなたはもうすぐ海外へ行かれるそうで、お時間も
あまりないだろうと思って、ここの会議室をお借りすることにしました」
 六七才という年齢のわりに若く見えるA氏がおっしゃった。初対面だし、自分の
前歴が前歴だし、ということで、気を遣ってくださったのかもしれない。
 
 市役所の職員さんがコーヒーや水を出してくださる。
 そこへもう一人、中年の男性職員が現れ、
「山崎さん、いらっしゃい。僕は前に会ったことがあるんですよ。覚えてませんか?」
 人の顔や名前を覚えるのは苦手だ。
「申し訳ありません。あのう、どこで……」
「野毛です。僕、野毛のサンバチームの一員なんですよ」
  
 そういう人がいたおかげで一気に緊張がほぐれた。そばで黙って見ていたA氏の
ほうも、そうだったかもしれない。
 あとは奥さんも職員達も場を外し、広い会議室でA氏と二人っきり。二時間近くも
話を聞かせていただいた。

「一七才くらいでグレたんです。父親は公務員で真面目一方だったのに、私はこの
病気のせいでヤケになってたんですね。どうせまともに働けない体だ、女に養って
もらうしかないと思って……。
 付き合った女に、売春させ、覚醒剤を打ち、女が哀しい身の上話なんかすると、
くだらない話はするな、さっさと稼いでこい、と怒鳴って放り出しました。
 食べさせてくれる女がいないと不安でたまらず、たえず新しい女をつくってました。
 そういう残酷な自分がいやで、夜中に山下公園なんかへ行って、独りで泣きました。
 いま、麻薬撲滅のためにあちこちで話をしてますけど、あの頃のことをどうしたら
償えるか、それを思うといまでも辛いです」
 
 自分の犯した罪をこうして人に話すことも、彼なりの償いであり、救いなのかも
しれない。

 A氏の手は、右も左も小指がない。ヘマをやった時とヤクザの組を抜ける時、
それぞれツメたのだ。
 
 当時、売っていた覚醒剤の種類、オトリ捜査官を見破る方法など、さすがに
「体験者」の話は臨場感に満ちていた。
 いま、私が住んでいる場所のすぐ近くにもいわゆるドヤがあり、そこには血を
売って暮らす女が何人もいたそうだ。
「そういう女達は、覚醒剤のせいで歯がぼろぼろで、そうですねえ、ものすごく
老けて見えたけど、もしかするとまだ三十代、四十代だったのかもしれませんねえ。
 でも、もう誰にも体を買って貰えない状態ですよ」


 以前、「天使はブルースを歌う」というノンフィクションで、焼け跡の横浜で身を
売っていた女達のことを書いたが、彼女達のなれの果てだろうか。

 私はあと数日後にタイへ行き、日本で身を売っていたタイ人女性達の自立支援センター
を訪問する。
「タイから戻ってきたらまた会ってくださいね」
 と、お願いして、市役所を辞した。
 あまりにも濃い話なので、一度に聴くのはもったいない。また、さらりと聴ける内容
でもない。
 これまで私は、搾取される側である女性のことばかり考えてきたが、搾取する側の
男性にも、さまざまな事情や感情があることを、あらためて考えさせられたた。
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