今月はしょっぱなから少しばたばたした。
おまけに暑いから、近所の散歩すらしていない。
今日も今日とてじっとしていても汗ばむほどだったが、
まったく動かないのもいかがなものかと、少しだけ歩いた。
柘榴の花。このオレンジがかった赤はとても華やか。

ホタルブクロ。なぜか郷愁を誘われる。

称名寺の池では「ブォッ、ブォッ」と
あたりに響く声でウシガエルが鳴いていた。
青い羽根をきらめかせてカワセミが水面をかすめていく。
もちろん、あんな早い鳥を写真に撮ることなど、
私にはできない。

このトンネルの先にあるのは金沢文庫。

特別展示はこれ。年代順の北条氏も、
中世から江戸にかけての歴史も、
いつになったら頭に入るのか。
生きてるうちに、というのはまあ無理だろう。

とにかく暑いので、そそくさと帰宅。
ベランダには先日、サナギになった子達がいる。
最初はこうだった。
三頭がなぜか同じ場所に固まってサナギに……なるはずだった。

ところが、まだ前蛹(サナギの前段階)だった
奥の一頭がまたのそのそと歩き出し、あろうことか
すでにサナギになった一頭の上にのしかかり
そこで固まろうとしているではないか。

冗談じゃない。
二階建てのサナギになったら
下の子が羽化できなくなる。
割り箸で上の子をそうっとつまみ、
別のところに置いた。
その子はあたりをしばらく彷徨っていたが、
やがて場所が定まったらしく、そこでまた前蛹状態に。
が、悲しいことに青虫時代の衣を脱ぐとき、
なぜかうまくいかなかったらしい。
だいぶもがいていたが、不自然な格好のまま
動かなくなった。
つまり前蛹からちゃんとしたサナギになれなかったのだ。

サナギにならなければ、羽化して蝶にもなれない。
かろうじて、自分の吐いた糸で体はぶら下がっているが、
このまま亡くなってしまうのだろうと思う。
(すでに亡くなっているかもしれない)
生きることは死ぬこと。
こういうこともあるのだときらめるしかない。
けれども一方で、また新しい命が生まれようとしている。
今日、見つけたアゲハの卵。

前の子たちが散々食べ散らした山椒の細い木で
計三個の卵を見つけた。
夏本番を迎えたばかりだから、まだ増えそうな気がする。
さてこの食糧難をいかにして乗り切るかが
この夏の大きな課題である。