冬桃ブログ

桂歌丸師匠の思い出

 7月2日は桂歌丸さんの一周忌。
 昨年の今日、亡くなられた。
 そして昨日の神奈川新聞に
師匠と私のエピソードが大きく紹介された。

 たまたま記者が新刊の著者インタビューで
うちへ来られたのだが、私のデビュー作~遊郭
~真金町~歌丸さんという話の繋がりの中で
「そういえば」と江戸川乱歩賞受賞作「花園の迷宮」
の読者カードに歌丸さんからのものがあって驚いた、
という話をした。
 受賞は1986年。33年も前のことである。
 
 小説の舞台となったのは横浜市南区真金町。
 昭和33年まで、ここには遊郭があった。
 歌丸さんのご実家も、ここの遊郭だったという。
 そしていまも真金町に住み続けておられるという。

 驚いたものの、当時は右も左もわからない新人作家。
 そのままになってしまい、ようやくお礼を言ったのは
私が南区に越してからのことだった。
 葉書をいただいてから、すでに10年以上はたっていたと思う。

 戦前から大衆演芸場「三吉演芸場」を営んでおられた
本田玉江さんと仲良くなり、食事などご一緒するようになった。
 本田さんは歌丸さんと親しい。
 「紹介してあげるわよ」ということになり、年一回の
歌丸一門会が開かれる三吉演芸場の楽屋で、初めて
挨拶とお礼をさせていただいた。
 あたたかく、優しく、庶民的な方、という
印象は、その時から最後まで変わらなかった。

 最後におめにかかったのはおととし。
 この年は吉田新田という埋立地が完成して
350周年にあたる。
 仲間達と「吉田新田に生きる人々」という
写真展を企画した。
 真金町は吉田新田のうちにある。
 どうしても歌丸さんの撮り下ろし写真を入れたい、
というわけで、横浜橋商店街の高橋会長に仲介のお願いをした。
 歌丸さんはこの商店街の名誉顧問だったのだ。

 なんとこのあつかましいお願いを、歌丸さんは
あっさりと承諾してくださった。
 もちろんノーギャラである。
 そして私とカメラマンの橋本浩美さんは
関内ホールへ出かけていった。
 歌丸さんは鼻にチューブを入れて高座へ
上がるという状況。
 テレビクルーも来ている。
 その尋常ならざる状況の中、
楽屋へ入っていった私たちを、
歌丸さんはにこやかに迎えてくださった。
 そして橋本さんが真剣な面持ちで撮影する間、
私一人を相手に、とびきりおもしろい
エピソードなどで笑わせ、和ませてくださったのである。

 その時、橋本浩美さんが撮った写真がこちら。
 歌丸さんの視線の先には私がいる。



 下の写真は神奈川新聞の記事です。。
 読者カード(ファンレターだなんておこがましい!)
のエピソードと、昨年7月3日、横浜橋商店街で
おこなわれた献花の様子が紹介されています。
 拝んでいるのは私です。
 とるものもとりあえず駆けつけたところを
いつのまにか記者さんに撮られてました。

 千円札を握りしめたおばあさんが、
主催者側が用意した花を拒み、「どうしてもこれを
歌丸さんにあげるんだ」と、号泣していました。
 大スターでしたが、地元からもほんとうに
愛された方でした。
 思い出は永遠です。

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