冬桃ブログ

故郷の時間はいつも短すぎて…。

 山も神社も海も、ゆっくり、じっくり味わいたかった。
 けれどもろもろの事情により、旅は二泊三日が限度。
 あっという間に、終わりの時間が来てしまう。

 「島陰」という美しい地名の砂浜。
 こういう白砂青松で育った私は、関東の黒っぽい浜には
いまだに馴染めない。


 宮津に住んでいた頃、町の中で何回か引っ越したが
一番、楽しい思い出の家は、祖父母と暮らした二階建ての家。
 裏は田んぼで、田んぼの向こうには八幡山があった。

 その八幡山からほど近いところに盛林寺という
天正5年創建の寺があることを初めて知った。
 ここには明智光秀の首塚がある。本能寺の変の後、
殺された光秀の首が宮津へ運ばれたという言い伝えがあるそうだ。
 江戸時代の大名時計や自然の景観を利用した庭など
見所も多かったが、どれも写真がいまいちで……。

 私と島村さんを挟んで、両脇は盛林寺のご住職夫妻。



 八幡山のすぐ脇に正印寺があることも、今回、初めて知った。
 ここは長らく、盛林寺の物置のようなかたちで使われてきたそうだ。
 が、いまのご住職になってから整理するために薬師堂を開いてみると、
中から眩しい光が流れ出て……。
 そこには見事な光背を持った薬師如来像があったのである。
 調べてみると平安前期のもので、丹後に残る仏像としては
二番目に古いものだとわかった。
 一年に一度しか御開帳しないというその仏像を
特別に見せていただいた。(手や光背などは後から修復されたもの)


 秋に宮津へ来れば、どうしても八幡山で椎の実を
拾わずにはいられない。
 この山は、私にとっては一番の遊び場だったが、
その後、何度か首つり自殺などあったということで、
地元の人にはいまいち敬遠されているようだ。

 たしかに、鬱蒼としているが、私は頑固に椎拾い。


 旅の拾い物。
島陰の浜で拾ったり頂いたりした貝殻とシーグラス。
 八幡山の椎の実。(帰宅するなり炒って食べた)


 今回は歴史に詳しい方に案内していただいたおかげで
丹後の歴史・文化にあらためて心惹かれるようになった。
 古代史はもちろんだが、細川ガラシャのいた戦国時代なども
興味が湧いてきた。
 またいつ来られるかわからないけど、機会があることを願いつつ
関連本をなるべくたくさん読んでみようと思っている。

 初対面なのに、時間を惜しむことなく案内してくださった
星野和彦さん、中島大文さん(お二人はこれからの宮津を
背負って立つ優秀な若手市会議員)、そして帰りに、
とびきりおいしい丹後米のおむすびを持たせてくださった
北野屋の女将さん、ほんとうにありがとうございました。
 またいつかお目にかかれますように!

星野和彦さんのフェイスブック
https://www.facebook.com/kazuhiko.hoshino?fref=ts

中島大文さんのフェイスブック
https://www.facebook.com/takefumi.nakashima.7?fref=ts

ホテル北野屋
http://www.hotel-kitanoya.jp/index.html

おまけ。(どこかになにかが隠れてる)







 
 

 

 
 
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