冬桃ブログ

中世遺跡と贅沢テイクアウト

 元から引きこもり気味の生活だったのだから、
と、自粛生活を苦にしてはいなかったのだが、
さすがに近所を歩くだけ、人と会話もない、
という日々がこんなに長く続くと、何も
していないのに、いや、していないからこそ
心身ともに疲れてくる。
 食欲がなく、料理は雑になり、なにかを
しようという気力がなくなった。
ドライアイがひどくて、本は買うばかり。
 読むほうがまったく進まない。
 どんどん頭が空っぽになり、ちょっとした
言葉も出てこない。
 母は89歳まで生きたが、80代は認知症の日々、
最後の二、三年は口もきけない寝たきりだった。
 長生きしてよかったね、とはとても言えない。
 このところ曇りがちで散歩に行くのも億劫だったが
気鬱をなんとかするため、意を決して外へ。

 今日は晴れ。平潟湾は波しずか。


 前から行きたかったのに、そのたび道を間違え、
未見のままだった「上行寺東やぐら群遺跡」へチャレンジ行!
 と、大げさに言うほど遠いわけではないのだが、
案の定、しょうこりもなく道を間違え、
せっかく上ってきた坂道をくだったりしながら、ようやく到着。

 ああ、急で長い石段が……。


 そこを上がると、眼下に上行寺。
 関東大震災で倒壊し、建て直されたものだという。


 私の目的はこちら。丘の上にある中世の遺跡。


 マンション建設で開発した際、中世の寺院、石窟、
やぐら(横穴式小墳墓)、人骨、陶器などが、
おびただしく出土した。
 しかしこれに関する文献が存在しないということで
マンション建設はそのまま続行。
 市民有志や研究者たちの懇願で、ようやく
その一部が残されたという。

 反対側からみたところ。


 



 足元の石の表面がきらきら光っている。
 なんだかわからなかったが、案内板を読むと、
これはレプリカで、ガラス繊維と色セメント剤を
注入して造った、とある。
 もしかしてガラス繊維がこのきらきらなのか?




 やぐらと解説。
 







 あっという間に見終えたので、石段を下り、
少し先にある上行寺へ。
 急な石段って、降りるときの方が怖いのよね。


 上行寺は南北朝時代、六浦妙法によって開基。
日蓮宗だが元は真言宗だったそうだ。
 六浦妙法は日荷上人とも呼ばれるが、これには
伝説がある。
 妙法は六浦湊を支配する大商人だったが
ある時、夢に称名寺の仁王像が現れ、
自分は身延山の守護神になりたいから、そちらへ
移してくれ、と言った。
 さっそく称名寺へ言ってことの次第を話すが
住職は笑って相手にしてくれない。
 そこで囲碁好きな住職に賭けを挑んだ。
 自分が勝ったら仁王像を貰う、と。
 そして見事、その賭けに勝ち、妙法は
仁王像を担いで身延山へ納めに行った。
 身延山は大いに感謝し、「足腰が強い」
という意味合いの日荷上人という名を妙法に捧げたという。


 寺紋の「月星」を調べてみると、
下総の豪族で坂東八平氏に名を連ねる
「千葉氏」のものだとか。
 千葉氏一族には、北辰一刀流の千葉周作もいる。
 私の世代には懐かしい「赤胴鈴之助」も
千葉道場へ通ってたっけねえ。


 寺のお墓が山の上にまで続いていたので、
また石段を上る。
 日荷上人開基のお寺だから、私の足腰も
護ってくれるはず、と気を強くして。


 やぐら多し。


 古い墓石群。




 おっと、行き止まり。


 ようやくてっぺんへ。


 昔は海が眼下に広がり、賑わう六浦の湊が
よく見えたのだろう。ここは金沢区の中心地だったのだ。


 上行寺を後に、帰り道、またもや石段を上がり
泥牛庵にもちょっと寄る。


 人気店二軒のテイクアウトで、
ちょっと贅沢をして気力体力を取り戻そう。
「隅田川」の鰻重と「しおとめぐみ」のオードブル。


 



 

 



 
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