ポーラのクリニック院長、山中先生に会うため、寿町へ。
今日は診察ではない。朝日新聞に書くコラムの取材。
クリニックの近くで先生と落ち合い、一緒に寿へ。
町の入口にあるコンビニの前で、おじさんが倒れてる。
「先生、あの人……」
「大丈夫、顔色いいから」
たしかに珍しい光景ではない。帰りにそこを通ったらもういなかった。
夕方だったせいか外に出ている人の数が多い。昼間は静かだが、
この時間になるとお酒も入り(まあ、飲む人は朝から飲んでるけど)、
人恋しくなるのだろうか。男達が路上のあちこちで缶ビール片手に体育座りしている。
競輪や競艇を中継する「ノミヤ」の店頭はたいへんなひとだかり。
「さなぎの食堂」もちょうどディナー時だ。
しばらく行かないうちに厨房が大きく立派になっていた。
300円~400円で栄養たっぷりの定食が食べられる。
土屋シェフとヨシミツくん。若いイケメン達がかっこいいエプロン姿で
きびきびと働いていた。
「さなぎの家」というのもある。お茶飲んでお喋りして、相談事も
できるという、サロン兼駆け込み所。
寄付の衣類やタオルなどが置いてあり、必要な人は貰っていく。
しかし震災以降、衣類の寄付がほとんどなくなったそうだ。
みんな被災地の方へ回ったらしい。
歩いていると、あちこちから」「先生!」と声がかかる。
日傘をさした70代くらいの女性が駆け寄ってきた。
白いパンツにコーラルブルーのTシャツ。薄化粧で品の良い人。
「先生、ありがとうございました。一時はどうなるかとおもいましたけど、
先生のおかげで、あの人、ほんとにおだやかな顔で旅立ちました」
感無量の面持ちで、何度もお礼を繰り返す。
先生はにこにこと頷いている。
じつは昨日の朝、山中先生のブログに登場するSさんという男性が亡くなった。
Tさんというこの女性は、どうやらSさんのことが好きだったらしい。
Sさんは山中先生の言う「寿・第一世代の男」。昭和30年代からの
高度経済成長期に、港湾、高速道路、ダム、オリンピック会場、東京タワー、
など、経済大国日本の象徴となるハードの現場で汗水垂らして働いてきた男達。
その一人であったSさんは、Tさんの思いを知りながら、それに甘えることなく、
山中先生が組織したKMVPという組織に見守られながら静かに逝った。
この世代の男達には、東映ヤクザ映画や日活・渡り鳥シリーズのヒーローに
みる「美学」を持っている人がけっこういるらしい。
すがる女を無言でおしとどめ、背中で別れを告げて去っていく。
「結婚して、老後はシモの世話をしてもらいたい」なんていう
情けないことは口が腐っても言わない。
「でもそのあとの世代は、そんな美学もないんだよね」
と、山中先生。
私の属する団塊の世代も、その「美学のない世代」に入るようだ。
たしかにねえ、人生のラストステージをぴしっと決めるのは難しい。
元技術者だったリタイア男性達が、福島原発の収束に向けて
「行動隊」を組織されたそうだが、技術も体力もない女である私は
この方達がちょっと羨ましい。
私にだって、一応、美学はあるんだけどねえ。実行できるかどうかは
はなはだこころもとないけど。
まあそんなこんなで、来月の朝日新聞神奈川版のコラム
「YOKOHAMA 60年代 PRISM」(60年代横浜の光と影)は
簡易宿泊所街である寿町。
よろしければぜひお目通しを!
Sさんのことは山中先生のブログでシリーズになってます。
こちらでどうぞ。
「現場にいらしてみませんか?」
http://blog.goo.ne.jp/sanagi-home/e/55ddd125bac65fb99e3d217c02fdfca3
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冬桃
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