私の過去を、いろんな本やネットから、まあよく調べてくださってる。
宮内恒雄さんのじつに上手なリードで、哀れな生まれ育ちから夫の入院・
介護で仕事もお金もどん詰まりになったことまで喋ってしまった。
約30分の番組だから、編集で相当切られる。
さてどんなふうになるのか。3月の初めから放映だそうだ。
終わって、スタッフの方達も一緒にニューグランドのカフェでランチ。
私は名物のスパゲティ・ナポリタンにした。
おなかの具合も心配だったが、食べる直前、なぜか奥歯が痛くなった。
しかしナポリタンは腸と歯のトラブルを忘れさせてくれるほど美味。
このところ、ろくなものを食べていなかったせいもあり、夢中で完食。
その後、桜木町の紅葉坂にある出版社へ寄って本にサイン。
帰宅してからも歯がしくしく痛み続けるので、ついに鎮痛剤を飲む。
夕飯はさすがに、おうどんを一玉の六分目くらいしか食べられなかった。
翌日は朝御飯抜きで、午前中、横浜市寿福祉プラザへ。
中区がやっている簡易宿泊所街就労支援の取材。
帰宅して体重を計ったら、さすがに3キロばかり減っていた。
その足で「ポーラのクリニック」へ。
「腸はよく動いてるみたいだよ」と、触診して下さった山中先生。
夜は、ある方のお招きでニューグランドのイタリアン「イル・ジャルディーノ」。
体調が悪くなってからもう二週間ばかりたつ。
その間、やはりこのレストランで別の方からコース料理をご馳走になる機会があった。
さすがに量を少なめにしていただいたが、その時もおいしく完食。
アルコールはやめておくつもりだったのだが、その方がチョイスなさった
赤ワインがあまりにおいしかったので、グラス一杯いただいた。
しかし、それ以外の日はお粥だのバナナだのが続いていたのだ。
ところが昨夜は、スパークリングワインのグラスにさっと手が伸び、
自然に喉へ流し込んでいた。
料理は前と同様、少し量を減らしていただいたとはいえ、すいすい胃に収まる。
ああ、ようやく回復したかも! と嬉しくなりスパークリングワインをおかわり。
調子に乗っちゃいねないんだけどねえ……。
で、食事をしながら、招いて下さったO氏に「山崎さん、一日、
どのくらいの枚数を書いてる?」と訊かれた。
「一枚も書かない日も多いですよ」と正直に答える。
書くのが好きじゃないという、哀しい物書きなのだ、私は。
「僕はねえ、二年前から日記を書き始めたんだよ。横浜が開港200周年を
迎えた時、誰かの参考になるようにと思って」
O氏は横浜の名士で実力者だから、それは公的にも良い資料になるだろう。
「日記はいいよ。読み返すと、あの時、あの人はこんなことを言ってる、
自分はこんなことを言ったという証拠になるもの」
ふ~む。ちょっと怖いが、そういう使い方もあるかもしれない。
私は子供の頃から日記をつけたことがない。
O氏のように、人に読ませるための日記は、はなっから書く気がないし
人に読ませたくない日記は、万が一誰かに読まれたりしたら困るから書かない。
日々の記録は、あとから読めばおもしろいだろうし、役にもたつ。
それはわかっているのだが、私には、死んだら自分自身と共に、
自分の生きてきた足跡も消えてほしいという願望がある。
だから葬式もお別れ会もいらない。もちろん墓なんか欲しいと思ったこともない。
後世に残る作品を書く才能もないが、残って欲しいと願ったこともない。
私と、私にまつわるものは、小さな氷のかけらが溶けるように
すうっとこの世から消えてしまうのがいい。
そう願いつつ、じつはひとつだけ、書けたらなあ、と思っている「日記」がある。
老いてから見知らぬ土地へ移り住み、死を迎えるその日まで、
たった独りで生きていく女の日記。
読者としてもそうういうものを読みたくて、なにかにつけ探しているのだが
いまのところ有名な女性のものしか見つかっていない。(メイ・サートンとか)
最も、無名だと出版社が出してくれないということがあるだろう。
ならばいまはウェブという手もある。
体力も精神力もない私が、いまさら友達もいない土地で「誰も知らない
孤独な老婆」として生きていけるとも思えないが、人生最後の大冒険として
いまだに望みを捨ててはいないのである。
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