参加させていただいた。
中川さんはこちらで写真と文章を連載中。
ディープと美があいまった歴史と風景をお楽しみください。
「新MiUra風土記」
https://note.com/honno_hitotoki/m/m44dc5a7fc5c8
案内、解説ももちろん中川さん。
小田原城も見えるが、本日は昭和ディープの方向へ。
それにしても駅周辺の賑わいにまず驚いた。
練り物店はもちろんのこと、海鮮やブティック
お菓子屋など、つい足が止まりそうになる店が並び、
人が群れている。その中にこういうところも。
北条氏政、氏照の墓所。豊臣秀吉によって滅ぼされた
後北条最後の主。墓所の石などは江戸時代に造られた
もののようだ。
この墓所へ上がる短い石段の上には「しあわせの鈴」
と呼ばれる願掛けの鈴が無数に奉納されていた。
でも私たち一行は繁華街を離れ、静かな方向へ。
民家の玄関先にいらした二宮金次郎さん。
昔はどこの小学校にも、薪を背負ったこの像があった。
いまもあるのかな?
曲がり角で突然出くわしたキラキラの首。
興味深い建物、店などいろいろあったのだが
本日のテーマはこちら。
この石碑が顕彰する川崎長太郎さん。
戦中、戦後、おもに私小説と呼ばれる分野で知られた作家。
この斜めになった場所に、トタン屋根の物置小屋があり
中には二畳の畳が敷かれ、机代わりのビール箱が置かれていた。
電気も水道もトイレもないこの小屋に住み、彼は小説を書いていた。
そこへいろんな女が出入りする。
若かったり年増だったり正体不明だったりするのだが、
膝突き合わせて一緒に弁当を食べたり酒を呑んだり同衾したり。
だらだらとしたその日常を作家はそのまま私小説として綴り、発表する。
女から「モデル代」を要求されたことも。
正直言ってロマンもサスペンスも希望もないのだが、
昭和の貧しい時代、男も女も気取ってはいられない。
そのたくましさに惹かれ、似たような内容なのに
ついつい先を読まずにはいられない。
いまは堤防が築かれているが、物置小屋があった頃は
目の前が石ころ海岸。波音がうるさかったのではないか。
さて、長太郎さんが足しげく通い、作品テーマにしたのが
私娼窟だったという抹香町。いよいよそこへ。
電柱には「新開地」の呼名が残る。
雰囲気はかなり残っているが、住人のいらっしゃる家も
あるので、遠慮がちに……。
でも昭和の香りが、私の年代にはなんとも懐かしい。
旅館「石川屋」
ちょっと離れてみると、和の旅館に洋の建物が
くっつけられている。中で続いていたのかな。
本日のウォーキングメンバーは男女ともに
「裏」だの「闇」を愛する人たち。
なんと女性の一人は、この旅館の間取りが出ている画像を
ネットの中で探し出していた。
彼女はこの近隣の不動産サイトで、ここが「借家」
としてアップされているのを見つけたのだ。
中はいくつもの小部屋で仕切られ、まさに「チョンの間」風。
長太郎さんはその私小説で一時は流行作家になり
芥川賞候補になったこともある。
かなりの年齢になってから30歳も年下の女性と結婚。
菊池寛賞や芸術推奨文部大臣賞を受賞してもいる。
物置小屋の暮らしと華々しい受賞の差がまた興味深い。
「だるま食堂」は彼が毎日のように通っていたという店。
食べるのは決まって「ちらし寿司」。
某料亭にも出入りして、そこに出ていた芸者さんを
昭和を代表する映画監督と張り合った……という話も。
ギリシャ正教の教会。
余韻が残るまま、小田原駅前の居酒屋で打ち上げ。
これも楽しみの一つ。
中川さん、皆さん、ありがとうございました!
コメント一覧
最新の画像もっと見る
最近の「旅行」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事