二泊三日の旅で、まず兵庫県佐用町へ。
この町は昨年から、陰陽師の史跡と薬草でまちおこしを始めた。
それに私の友人二人が関わっているので、私も招いていただいている。
ここを訪れるのは四度目。美しい棚田の風景とホルモン焼きうどん、
世界最大の公開天体望遠鏡「なゆた」、天文台のある大撫山山頂から見る
朝霧も有名だ。
いつ来ても気持の良いところだが、昨年、大水害に遭い、たくさんの家屋が
押し流された。死者まで出た。まちおこしを担当しておられた行政の方も、
災害復興に回り、始まったばかりのまちおこし企画も立ち消えかと思われた。
ところが、高齢者の多い地域であるにも関わらず、その高齢者達が中心になり
「まちおこしを続けよう、希望や夢まで災害に打ち砕かれてはいけない」と立ち
上がった。そして正月早々、鳥取県倉吉市とのまちづくり交流が実現した。
素晴らしいことである。
今回は「薬草ハイキング&二大陰陽師の塚巡り」。
地元の野草研究家に案内していただき、約三時間のコースを歩いた。
天気は上々。参加者は約七十名。姫路や岡山から来られた方達も。

野草のことならおまかせのモリモト先生(白い帽子の男性)。どんな草花でも、
名前はもちろんのこと、薬効や歴史まで即座に教えてくださる。
さてここの大木谷というところに登ると、少し距離を置いて、相対するように
二つの塚がある。平安時代に活躍した二大陰陽師、安倍晴明と蘆屋道満を祀った
ものである。
晴明塚は室町時代、道満塚は江戸時代に創建されたとされるが、注目すべきは
安倍晴明と蘆屋道満がライバル関係にあったこと。
安倍晴明は夢枕獏さんの小説が大ヒットし、映画や漫画にもなったのでよく
知られているが、時の権力者と密接に結びついた「官」の陰陽師。
一方の蘆屋道満は播磨陰陽師集団の出身で晴明をしのぐ実力の持ち主と言わ
れた人物。
が、「官」に背を向け「民」を貫いたせいか、晴明が「善」、道満が「悪」
という図式にはめこまれてしまった。実際は道満の方が晴明より28歳も若いのに
絵や歌舞伎などでも、晴明は若くて男前、道満は悪相のオヤジ顔に描かれている。
道満の力を恐れた晴明は、故郷の播磨へ戻った道満を追いかけ、この地で
殺害したという。その二人の塚が同じ場所にあるのは、非常に珍しいことらしい。
ゆえに佐用町は全国の陰陽師ファンや研究家にとって見逃せないスポットになった。
また周辺には両者が槍を放ったという「やりとび橋」、道満の首を洗ったという
「おつけ場」などもある。
二つの塚を誰がなんのために建てたのかも謎だが、もうひとつ、同じ地域に
ある八幡神社(戦いの神を祀る)と二つの塚を結ぶと、きっちり二等辺三角形
になるという。これもミステリーである。
私は当時の歴史に詳しくないし、方向音痴で地図を読めない女だから難しいが
誰かこの謎を解いてくれないものだろうか。
写真は蘆屋道満の塚。

せっかくここまで来たんだから瀬戸内海の海と浜を見たいと思い、その日は
赤穂に移動して夕日がきれいに見えるというホテルに泊まった。

翌日は岡山県の日生、牛窓などの浜を巡った。
私が浜へ行くのは、「拾い物」が目的である。
子供の頃、故郷の美しい砂州を歩き、貝殻や動物の骨や手紙の入った小瓶などを
拾うのが大好きだった。いまだにどこの浜へ行っても、前に広がる海より、足下に
目をこらしてばかりいる。
徳之島、石垣島、高知の柏島、さらにバリ島の浜などでは、きれいな貝殻を
たくさん拾った。一日、浜で拾い物をしていても飽きない。
でも瀬戸内海の浜は石が多く、収穫はいまいちで、石がひとつとシーグラス少々。
やっぱり日本海かなあ。怪しい物も時々流れ着くし……。
