さて、今回は「公団牟礼団地」です。
(※前回の「公団 若松2丁目団地」と同様、現・URを「公団」と表記します)
東京の閑静な住宅街、三鷹市牟礼にある「公団牟礼団地」。
この団地は、昭和30年に発足した「日本住宅公団東京支社」初の「賃貸団地」です。
言い換えれば、「東京初の公団団地」。
団地好きの間では、神として崇められている団地です
「公団牟礼団地」は、昭和31年に完成し、同年8月に入居開始となりました。
分譲棟は1~6号棟、それ以降の棟は賃貸棟となっていました。
入居開始当時の倍率は驚くほど高く、宝くじに当たるより難しい…と言われていました。
ちなみに、この団地は、以前、「伊東家の食卓」でも取り上げられたことがあるほどの、素晴らしい団地です。
実はこの「牟礼団地」、でれすけが幼い頃住んでいた団地ととても良く似ていたこともあり、でれすけはかなり熱烈な「牟礼団地ファン」でもありました。
しかし、悲しいことに、「公団牟礼団地」も、50年以上の歴史に、今、幕を閉じようとしています。
そんな訳で、でれすけは、先日、「公団牟礼団地」に見納めに行ってきました。
・・・が、しかし!!!
見ての通り、分譲棟以外は全て取り壊されていたのです
おまけに、既に新しく立て替えられた棟まで建っていたのです
「給水塔くらいは、まだあるかな」
…という、でれすけの淡い期待は崩れ去りました。
そこにあったのは、都会ではありえないほどの広々とした土地と、瓦礫の山、山、山
もう、どこを捜しても、
「ツタの巻きついた味のある給水塔」も、
「歴史を感じさせる佇まいのスターハウス」も、
「オレンジのパネルが眩しいベランダ」も、
「珍しい南側に階段室のある住棟」も、
「要塞のような単身者棟」も
見当たりませんでした。
全て、なにもかもが、無くなっていました。
唯一の救いは、まだ分譲棟だけは健在であったこと
「庇(ひさし)」の付いたタイプの団地が多い中、でれすけは写真のような「庇(ひさし)」のないタイプの団地が好みです
冬の青空に、「公団ホワイト」のペンキが眩しい
この「いかにも公団」な配色に、ググッときます
5号棟横、桜が咲いたらきれいだろうなぁ~
分譲棟付近の桜の木は健在でしたが、スターハウスがあった付近(8号棟周辺)の桜の木は、伐採されていました。
50年かけて育ててきた植物が、勿体無いなぁ…
公団仕様の街灯も、もうあと10年もすると、みられなくなってしまうのかもしれません
分譲棟は、階段室が北側にあります。
住棟番号もいい感じです
今回、以前記事に書いた「三信ビルジング」と全く同じ状況でした。
もう少し、早く見納めに来るべきでした…
本当に、でれすけの人生は後悔ばかりであります
今回の教訓
「後悔先に立たず」。
「公団牟礼団地」の賃貸棟は、無くなってしまいましたが、この地に素晴らしい団地があったということを、私は一生忘れません
(※前回の「公団 若松2丁目団地」と同様、現・URを「公団」と表記します)
東京の閑静な住宅街、三鷹市牟礼にある「公団牟礼団地」。
この団地は、昭和30年に発足した「日本住宅公団東京支社」初の「賃貸団地」です。
言い換えれば、「東京初の公団団地」。
団地好きの間では、神として崇められている団地です
「公団牟礼団地」は、昭和31年に完成し、同年8月に入居開始となりました。
分譲棟は1~6号棟、それ以降の棟は賃貸棟となっていました。
入居開始当時の倍率は驚くほど高く、宝くじに当たるより難しい…と言われていました。
ちなみに、この団地は、以前、「伊東家の食卓」でも取り上げられたことがあるほどの、素晴らしい団地です。
実はこの「牟礼団地」、でれすけが幼い頃住んでいた団地ととても良く似ていたこともあり、でれすけはかなり熱烈な「牟礼団地ファン」でもありました。
しかし、悲しいことに、「公団牟礼団地」も、50年以上の歴史に、今、幕を閉じようとしています。
そんな訳で、でれすけは、先日、「公団牟礼団地」に見納めに行ってきました。
・・・が、しかし!!!
見ての通り、分譲棟以外は全て取り壊されていたのです
おまけに、既に新しく立て替えられた棟まで建っていたのです
「給水塔くらいは、まだあるかな」
…という、でれすけの淡い期待は崩れ去りました。
そこにあったのは、都会ではありえないほどの広々とした土地と、瓦礫の山、山、山
もう、どこを捜しても、
「ツタの巻きついた味のある給水塔」も、
「歴史を感じさせる佇まいのスターハウス」も、
「オレンジのパネルが眩しいベランダ」も、
「珍しい南側に階段室のある住棟」も、
「要塞のような単身者棟」も
見当たりませんでした。
全て、なにもかもが、無くなっていました。
唯一の救いは、まだ分譲棟だけは健在であったこと
「庇(ひさし)」の付いたタイプの団地が多い中、でれすけは写真のような「庇(ひさし)」のないタイプの団地が好みです
冬の青空に、「公団ホワイト」のペンキが眩しい
この「いかにも公団」な配色に、ググッときます
5号棟横、桜が咲いたらきれいだろうなぁ~
分譲棟付近の桜の木は健在でしたが、スターハウスがあった付近(8号棟周辺)の桜の木は、伐採されていました。
50年かけて育ててきた植物が、勿体無いなぁ…
公団仕様の街灯も、もうあと10年もすると、みられなくなってしまうのかもしれません
分譲棟は、階段室が北側にあります。
住棟番号もいい感じです
今回、以前記事に書いた「三信ビルジング」と全く同じ状況でした。
もう少し、早く見納めに来るべきでした…
本当に、でれすけの人生は後悔ばかりであります
今回の教訓
「後悔先に立たず」。
「公団牟礼団地」の賃貸棟は、無くなってしまいましたが、この地に素晴らしい団地があったということを、私は一生忘れません
僕もこの庇のないタイプの方がカッコ良いと思います。
牟礼団地は数年前に吉祥寺に現場が有った時に、週に2~3度は自転車で団地の中を通っていました。
いま思えば、その時既に解体工事は始まっていました。
自分が北海道にいた3年間の間に、素晴らしい団地が次々と建て替えられてしまいました。
本当に残念です…。
庇のないタイプの団地より、庇のある団地の方が多いのですが、庇の無い団地の方が、デザインに無駄が無く、かっこよく感じます。
でれすけも、高校3年生の頃、吉祥寺にある予備校まで、自転車で通っていたこともあり、よく牟礼団地を通っていました。
その頃はまだまだ無傷で、現役の団地だったのですが、あれから十数年経ち、建て替えが進んでいる姿を見たときには、愕然としてしまいました。
50年以上前の、建築家を始め、土木、造園、そして家政学などの専門家の知恵が集結した団地が、役目を終えるのは時代の流れで仕方が無いと思いますが、「団地ファン」としては、やはり残念でなりません。
うちのかみさんと出会ったのが運のつき?でれすけさんの貴重な時間の一部をご指導の時間に充ててくださり、夫婦共々感謝の気持ちでいっぱいです。
私ごとですが、父親の仕事の都合でほぼ3年おきに社宅を転々としたせいか、プロジェクトXの住都公団の特集はずいぶん感動して観ました。確か、副総裁になっても「まだ公団に入れない人たちがたくさんいるのに、自分が立派な家に住むわけにはいかない」と昔ながらの狭い家に住み続けた…みたいなストーリーで泣けました。
僕は渋谷で生まれて3歳までいたそうですが、当時住んでいたアパート(渋谷駅南口徒歩5分、築推定50年くらい)が最近まで残っていて、昨年、一人で見に行って郷愁に浸った思い出があります。でれすけさんのこのブログを見て、はっとしてインターネットで検索したら…
昨年末にお洒落なビルに建て替えられていました。。。
子供の頃に乗ったブルートレインも残りわずか、今はぴかぴかの豪華客車が人気ですが、なんかきれい過ぎます。
いつもお世話になっております。
ルークさんにはいつもいつも大変お世話になっており、頭も上がりません。
昨年は、私もルークさんのおかげで、非常に有意義に過ごすことができました!
これもひとえにルークさんとルークの父さんのお陰であると思っております。
夫婦ともども、深く感謝しております。
さて、ご指摘のプロジェクトXは、「妻へ贈ったダイニングキッチン~勝負は一坪・住宅革命の秘密~」の回であると思います。
日本住宅公団初代住宅計画部課長・尚明氏の実話です。いつも、このDVDをみると、でれすけも非常に泣けてきます。
先人の知恵と努力の賜物である、古い公団団地が次々と建て替えられていくのは、本当に寂しい限りです。
ブルートレイン、そして「オレンジ色の中央線」が引退するとのこと。本当に、「昭和は遠くなりにけり」を実感する毎日です。
ブルートレインは、幼い頃、母が地方の関連病院に派遣されたときに、会いに行くためによく乗った列車なので、寂しさもひとしおです…。
今後とも、何卒宜しくお願い致します。
私事になりますが、牟礼団地に近い三鷹市下連雀地区で勤めていたことがあり、仕事帰りによく牟礼団地を見に行ったものです。
本文にあったスターハウスをはじめとする賃貸棟の残り、そして存在感のあった単身者棟は2006年8月ごろまでに住民の退去が完了し、2006年秋から除却作業が開始し、給水塔を最後に除却が完了したのは2007年夏のことでした(汚染土壌撤去などの関係で時間がかかった)。私は除却の開始から完了まで見届けてしまいました……。
新しい住棟の建設計画はないらしく、当分の間は更地のままと思われます。なお、分譲棟のほうも権利の絡みで同様と思われます。
そして、公団牟礼団地の取り壊しの詳しい経過を教えていただきましてありがとうございます。
自分がちょうど3年間、北海道に転勤していた間に、次々と素晴らしい団地の取り壊しが進んでしまっており、東京に帰ってきて、始めのうちは愕然としてしまいました。自分の住んでいた公団芦花公園団地と公団西経堂団地もすっかり昔の面影が無くなってしまいました。
平成19年3月に、牟礼団地の土壌汚染(六価クロム化合物、鉛、フッ素及びその化合物)の記者発表があったときには、取り壊し作業に影響が出るのではないか…と心配しましたが、やはり給水塔の撤去に影響があったのですね。
次々と新しい建物に変わっていくのは本当に寂しいです
ウェンディーさんは、牟礼団地にお住まいだったのですね!!
この団地は、都心に近いのに本当に緑が多くて、日本住宅公団の人たちの汗と涙の結晶なんだろうな…と思えるような団地でした。
牟礼団地は、団地好きや団地マニアの間では、必ず上位に名前が挙がる団地です。
私もウェンディーさんと同じく、公団団地で育ったためか、マンション住まいが落ち着きます(笑)
昔の団地のような同じ階段室の住人同士の「温かい人との繋がり」はありませんが…(苦笑)
在りし日の「牟礼団地」の姿は、たくさんの素晴らしいホームページで閲覧することが可能です。
是非、ご覧になってください!
みーやさんは、牟礼団地にお住まいだったのですね!
牟礼団地は、本当に素敵な団地だったと思います。
緑豊かで、静かな環境はとても贅沢です。
みーやさんのご両親は、本当に強運の持ち主だったのですね
当時は宝くじに当たるよりも難しい…といわれていた公団です
私は、牟礼団地が大好きで、高校時代、吉祥寺の予備校に通う時に、よく団地を通っていました。
また、いつでも覗きに来て下さいね。