小学生の時、わけもなく学校へ行くのが嫌で駄々をこねていると母親が泣いてしまい、母の涙に胸が締め付けられて登校したことを覚えています。別に特別な理由があったわけでもないのでその後学校へはなんとなく通い続けました。
息子が小学生の時、映画監督の羽仁進という人が自分の娘を無理には学校へ行かせないで自由にさせているニュースを目にして、そうか義務教育というのには縛り付けられなくてもいいんだと思ったので、息子に「明日から学校へ行くのをやめて、私と一緒に日本海沿岸を旅して歩こう」と提案しました。
次の日から息子は私と目を合わせないようにして「僕、学校へ行く!」と言って、朝早く学校へ行くようになりました。日本海沿岸を旅するという提案はちょうどその頃「砂の器」という映画を見て、打ち寄せる日本海の波の美しさに乗り物よりも歩くことを提案したのですが、思い返すと息子の方が良識があったようです。
息子が小学生の時、映画監督の羽仁進という人が自分の娘を無理には学校へ行かせないで自由にさせているニュースを目にして、そうか義務教育というのには縛り付けられなくてもいいんだと思ったので、息子に「明日から学校へ行くのをやめて、私と一緒に日本海沿岸を旅して歩こう」と提案しました。
次の日から息子は私と目を合わせないようにして「僕、学校へ行く!」と言って、朝早く学校へ行くようになりました。日本海沿岸を旅するという提案はちょうどその頃「砂の器」という映画を見て、打ち寄せる日本海の波の美しさに乗り物よりも歩くことを提案したのですが、思い返すと息子の方が良識があったようです。