ワフィネ・デ・日誌in花岡

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七つ館

2018-11-19 16:26:23 | 日記
 花岡での大きな落盤事故は七つ館坑ですが、1944年5月29日におきています。坑内には日本人11名、朝鮮人11名が残されて亡くなっていますが、かつて母からこんな話を聞きました。その年のお盆に友達と遊んでいると七つ館から大きな火の玉が一つ立ち上り、亡くなった人の住んでいた長屋へ落ちていったのを見たそうです。その日は花岡のお祭りで8月15日だってそうです。
 また、斎藤末広さんは坑内へ取り残された人たちがしばらく金属をたたいて生きていることを知らせていたこと。その後遺骨を掘り出そうと試みたがガスが出て失敗したというようなことも言っていました。
 歴史に記録されるのは一行ですが、その一行に人間的な話が纏わり付くことに心が引かれていきます。花岡川改修工事の際、現在の花岡記念館まで引いてくる工事の際、「土が硬くて中国人が泣いたど」と、聞いたことを教えてくれた同級生がいました。彼は桜町のラーメン屋でしたから、耳にしたのでしょうが、いかにも坑内で土と格闘していた坑内夫だから言えた言葉ではないかと重く受け止めました。ラーメン屋の同級生は「実は俺、落第して一つ年上なんだ」とも言っていました。何時も腰に日本手ぬぐいを下げて、洟を拭きながらラーメンを配達していましたが、数年前に亡くなりました。
 母の経験した話も、同級生の話も、斎藤さんの話も日を重ねることで消えていく話ですが、私には忘れられません。

ひょうたん山

2018-11-07 13:20:58 | 日記
 10月末で花岡記念館の開館は終了したので、ゴミの改修と冷蔵庫の電気を切りに行ってきました。朝晩寒くてストーブを焚いているのですが、日中は小春日和で畑にもまだ大根や里芋、キャベツや白菜が残っています。
 とても気持ちの良い天気で花岡への道を車で走っていくと、今はエコシステム花岡という会社がたっているふくべ山が右手に見えてきました。大人はふくべ山と呼んでいましたが子供たちはひょうたん山と呼んでいました。私の幼稚園の遠足はひょうたん山でした。ジグザグに道がついているのを登っていったのを覚えています。その頃はひょうたんをきれいに半分に割って伏せたような山でした。夜になって布団の中で眠れないときに、実はひょうたん山は首長竜が眠っていて、ある日目覚めて起き上がるのではないかと疑っていました。
 鉱山は花岡中ボーリングをかけて滝の沢で温泉が出たりしましたが、灯台下暗しでひょうたん山に鉱脈を見つけるとすぐに建物が建ち、ひょうたんや恐竜の姿は無くなってしまいました。かつての遊び場だったひょうたん山が、こんもりした木々が生えている山になったのを右手にみながら記念館に向かいました。
 前田通りに入ると長屋がひしめいていたところがススキの群棲で、白い穂がたなびいていました。一番大きな南前田の長屋には大きな風呂屋があったことや、長屋に住んでいた同級生を思い出したりしましたが、何といっても長屋には大きな敷布の洗濯物が干してありました。白い敷布がたなびいている長屋を走り抜けた記憶がよみがえってきます。みんな何処へ行ってしまったのだろう。あの頃の、暮らしの賑わいが消えて群生するススキの穂だけが揺れて、こんなに狭い場所だったのかなあ・・・。それでも私には見えるのです。聞こえるのです。

分館祭で・・

2018-11-05 14:15:00 | 日記
 秋には各地域でいろんな行事が企画されますが、やっぱり芸術の秋、食欲の秋、実りの秋というイメージからでしょうか。
 私の地域では学校文化祭のような催しが、公民館の分館で開催されました。館内では作品展とキリタンポの食堂が、外では無料の焼き芋と、杵つきもちが振る舞われました。テントを張った外では、野菜や果物の販売が行われ、私も小豆と人参をださせてもらいました。
 隣に90歳近いおばあちゃんが里芋、大根、さつま芋、菊(源氏山)を販売していたのでいろいろ話をすることで、小豆を素早く煮る方法とか、焼きもちの皮の作り方とか聞くことができました。右隣のT子さん手作りの秋刀魚鮨はあっという間に完売してしまいました。私も昨年美味しかったので楽しみにしていました。お米と麹で秋刀魚とキャベツと人参を漬けこんだ飯ずしはなかなか自分では造れないし、スーパーで売っているものは物足りなくて美味しい飯ずしを楽しみにしていました。T子さんはその他に蕨を長いまま漬けこんだものを味付けして出していました。漬けこんだ胡瓜に味付けしたもの、さつま芋を蒸かして裏ごしして干しブドウとマヨネーズで仕上げたものとか、何か昔の家庭料理が並んで、インターネットのクックパットにも調理法が載っていないものを私より少し年上のT子さんがつくれることに驚いてしまいました。
 「冷蔵庫や電子レンジが家庭に入ってくる前の料理」に反応してしまうのは、味覚の記憶が私の中にあるからです。過去の食べ物の味の記憶が懐かしくて、素材の素生が気にかかります。母がいつも造った赤カブの酢漬けは、頑張って今年も作ってみましたが、来年は自分が作った赤カブで酢漬けをつくってみたいと思います。
 田舎暮らしは野菜の出どこがはっきりしているので安心です。りんごも青森と中山(大館)では違います。無意識に日常会話で産地を確認しています。自分が畑をやるようになって、野菜の区別がつくようになりました。○○さん家のネギと××さん家のネギとは味も形も違うのです。ましてや私の畑のネギは違います。
 分館祭の隣のおばあさんの大根は大きくて、私の足より太いのに驚きました。大きくて重いので誰も買わないので一本もらいましたので人参をあげました。90歳近くても畑で野菜をつくっているなんて驚きですが、畑で土にふれていると丈夫になると聞いたことがあります。人間も生き物なのだと思いますが、当たり前かな!