この映画は、九州で脱原発に取り組む市民の姿を、
丹念に 正義感を持って 丁寧に 魂を込めて
西山監督が撮り続けられた映像です。
市民団体の、誠実で真剣な態度に対し、
九電や佐賀県庁のなんと不誠実な態度!
ビデオカメラを妨害しようとしたり、
市民を庁舎に入れまいとバリケードを組む職員がいたり。
信じられない光景に唖然としました。
市民の生命財産を守る立場の行政が、
市民を県庁に入ることを拒否するとは!
筋書きのないドキュメント、
でもこれが正真正銘 事実なのだということを
深く刻みたいと思います。
その後の対談は、30分では物足りないくらいの
深く心に訴えかける内容に圧倒されました。
3.11当日は、プルサーマル裁判の会の公判があり、
法廷の中にいらしたという監督。
「自分の出発点は水俣病です。
そして、今の福島原発事故の処理の仕方は、水俣とそっくりである。
チッソと国、東電と国、この構造はまったく変わっていない。
このことを、今問わなければいけないと思っています。
3.11前までに反原発と言っていた人は、阿部さんも含め、
非常に少数派でした。
しかも、その人たちは強靱な人たちです。
原発は、根こそぎ命を脅かすもの。
原発問題は決してむずかしいものではない。
知識がどうのということではなく、命の問題であり、
命を脅かすものに対して、どう考えるかということである。」
阿部さんは、時々声を詰まらせながら、
原発のことを家族で話してくださいと訴えました。
「原発事故があった時、優しい母に、
『私に原発のこと話してくれたことがあった?
お母さんは、原発に反対したことあるの?
事故が起きたのは、お母さんのせいじゃないの?』
と責めずにはいられませんでした。
もっと家族で原発の話をしてください。
私は、子ども達に教えています。 子どもの身を守るために。」
そう言えば、阿部さんの息子さんは、
腕に抱かれながら
『ゲンパチュ イラナイ』
と言っているのを聞いたことがありました。
「26年前にチェルノブイリ原発事故が起こった時に、
もっともっと反対運動が起こっていたら、
私たちは こんなに苦しまなかっただろうと感じます。
今更 反対しても…と言う人がいますが、
今がよければ、自分さえよければ それでいいのでしょうか。
それは、おかしいと思います。
インディアンは、
7代先のことまで考えて いろいろなことを決めていくそうです。
電気が足りてるとか 足りないとかそういうことではなく、
私たちのように苦しむ人がいるのならば、
原発はいらないのだと思います。
今でも、福島で苦しみながら 放射能におびえながら、
生活している人たちは たくさんいます。
私は避難してきましたが、家族がいっしょに生活できず、
二重生活になっています。
もっともっと声をあげてほしい。
日本で一番古くて危険な玄海原発は、すぐそこにあります。
佐賀、福岡の人たちは、もっと声を上げてほしい。
私たちのような悲しい思いをさせたくありません。」
今度の3.11には、ぜひたくさんの脱原発の声を上げましょう。
でないと、西山監督と阿部さんのお話は無駄になってしまいます。
いのちを守る闘争に 私たちも参加しましょう。
丹念に 正義感を持って 丁寧に 魂を込めて
西山監督が撮り続けられた映像です。
市民団体の、誠実で真剣な態度に対し、
九電や佐賀県庁のなんと不誠実な態度!
ビデオカメラを妨害しようとしたり、
市民を庁舎に入れまいとバリケードを組む職員がいたり。
信じられない光景に唖然としました。
市民の生命財産を守る立場の行政が、
市民を県庁に入ることを拒否するとは!
筋書きのないドキュメント、
でもこれが正真正銘 事実なのだということを
深く刻みたいと思います。
その後の対談は、30分では物足りないくらいの
深く心に訴えかける内容に圧倒されました。
3.11当日は、プルサーマル裁判の会の公判があり、
法廷の中にいらしたという監督。
「自分の出発点は水俣病です。
そして、今の福島原発事故の処理の仕方は、水俣とそっくりである。
チッソと国、東電と国、この構造はまったく変わっていない。
このことを、今問わなければいけないと思っています。
3.11前までに反原発と言っていた人は、阿部さんも含め、
非常に少数派でした。
しかも、その人たちは強靱な人たちです。
原発は、根こそぎ命を脅かすもの。
原発問題は決してむずかしいものではない。
知識がどうのということではなく、命の問題であり、
命を脅かすものに対して、どう考えるかということである。」
阿部さんは、時々声を詰まらせながら、
原発のことを家族で話してくださいと訴えました。
「原発事故があった時、優しい母に、
『私に原発のこと話してくれたことがあった?
お母さんは、原発に反対したことあるの?
事故が起きたのは、お母さんのせいじゃないの?』
と責めずにはいられませんでした。
もっと家族で原発の話をしてください。
私は、子ども達に教えています。 子どもの身を守るために。」
そう言えば、阿部さんの息子さんは、
腕に抱かれながら
『ゲンパチュ イラナイ』
と言っているのを聞いたことがありました。
「26年前にチェルノブイリ原発事故が起こった時に、
もっともっと反対運動が起こっていたら、
私たちは こんなに苦しまなかっただろうと感じます。
今更 反対しても…と言う人がいますが、
今がよければ、自分さえよければ それでいいのでしょうか。
それは、おかしいと思います。
インディアンは、
7代先のことまで考えて いろいろなことを決めていくそうです。
電気が足りてるとか 足りないとかそういうことではなく、
私たちのように苦しむ人がいるのならば、
原発はいらないのだと思います。
今でも、福島で苦しみながら 放射能におびえながら、
生活している人たちは たくさんいます。
私は避難してきましたが、家族がいっしょに生活できず、
二重生活になっています。
もっともっと声をあげてほしい。
日本で一番古くて危険な玄海原発は、すぐそこにあります。
佐賀、福岡の人たちは、もっと声を上げてほしい。
私たちのような悲しい思いをさせたくありません。」
今度の3.11には、ぜひたくさんの脱原発の声を上げましょう。
でないと、西山監督と阿部さんのお話は無駄になってしまいます。
いのちを守る闘争に 私たちも参加しましょう。
人として命を守るためにはどうすればいいのか
阿部さんのお話も、心にずっしりと残りました。
件名のことで、予定日がありましたらお知らせ下さい。
万象繰り合せて参加させていただきたいと思っています。