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ハワイ留学*珍道中

のんびりハワイで猛勉強への挑戦!?

ゴーイングマイウェイな日々を大中継!

ハワイアンの悲しみ

2006-01-25 12:55:09 | ホノルルにお出かけ
私たちを送るホテルまでの道のり。

アレックスは交差点の赤信号で止まったと同時に、
斜め向こう側を指差した。
そこには、メタリックな素材で覆われたドームらしきものが、
午後3時のオレンジの太陽光を反射していた。

「あれが、リリカウラニの宮殿の場所だったんだよ」

リリカウラニはハワイ王朝の最後のクイーン。
そんな面影は、見出せない。

「ちっともそんなものがあったようには思えないだろ。」

確かに。
何せ今じゃ、メタリックな光放ってますから。

「一面に、やしの木やコアウッドで囲まれ、
色とりどりの花が植えられていたんだよ。」

まるで、自らの目で見たように目を細めて語るアレックスの姿は、
ハワイに対する彼の思い入れの深さを教えてくれる。

カリフォルニアから来た投資家たちによって、
ワイキキビーチをはじめビーチのそばの土地は買い上げられ、
次々と投資物件がにょきにょき立ちあがった。

「歴史的な建物がほんとに少ないね。
悪いのは誰?もちろん、ぼくらハワイアンだよ。
自分の大切なものを守れなかったのは、僕らだからね。」

と、とめどない悲しみと憤りを、低い声でぼそっと言い放った。

投資家や商人が悪いとは思わない。
彼らの冒険心と好奇心が、世界を面白くしてくれているし、
彼らは自らの生存をさらに確実にできる道を探っているのだから。
しかし、ネイティブ・ハワイアンたちにとっては、
自らのものを奪われていくのを、なにもできず指をくわえて見ていることしか
できなかった屈辱的な経験だったのだろう。
逆恨みしたくなるの気持ちをぐっとこらえて、
自らをなじるようなその言葉は、私をはっとさせた。

なくしても、欲すれば取り戻せるもの。
一度なくしたら、もう二度と手にできないもの。

私たちの体の中に育てられた文化を表象したものは、
一度なくしたら、もう二度とは手にできないもの。

それに気づいたときの焦燥感と悔しさがアレックスの言葉なのだろう。

ハワイアンの記憶

2006-01-18 12:00:23 | ホノルルにお出かけ
レンタカーできないので、ツアーに参加した。
26ドルで、アリゾナメモリアル+シティツアーというわけで、
タクシー移動しかできない私たちにとってはお得。
アリゾナ・メモリアルまで片道だけで35ドルかかるからね。

運転手兼ガイドのアレックスは、以前はメインランドで、
映画の照明の仕事していた。
仕事のあまりの忙しさと年を重ねたこともあって、
生まれ育ったハワイに戻ってきた。
そして、ネイティブハワイアンの血がはいっていることもあり、
ハワイアンスタディを専攻し、ガイド業に着いた。

彼は私たちをとある墓地に連れて行った。
明るい日差しに照らされた墓地には、赤い花が飾られていた。
その墓地を通り過ぎると、都会の中とは思えないほど、
ハワイの太陽をいっぱいうけた木々がうっそうと茂る林が広がった。
その中に足を踏み入れると、日差しは大きく育った葉にさえぎられ、
うっすらと暗く、乾いた涼しい風が通り過ぎる。
岩岩の間を清らかな川が流れ、鳥がさえずる。
ハワイ一の都会であるホノルルに、こんな場所があるとは・・・!

川の流れをさかのぼりながら歩くと、
アレックスが岩を指差した。

何か岩に描かれている。
人と犬の姿だ。
両手を広げた人の姿は、とても生き生きしていて、力強い。
紀元前500年に描かれたものだという。
こんなところにこんなものがあるなんて、
ここで育った彼だからこそが知るものなのだろう。
簡単に鉄の柵で囲まれたこの岩の横には、
紫のスプレーでいたずら書きがされていた。
たとえラスコーの洞窟画に比べれば、
この絵なんて取るに足らない存在だったとしても、
それでもハワイアンたちの先祖の生きた足跡なわけで、
その先祖たちへの冒涜であると感じてしまう。

さらに置くに進むと、林は開け、小さな滝が姿を現す。
「学校が終わると、時々は学校をさぼって、ここで友達と遊んだよ。」
と懐かしそうにアレックスが目を細める。
「よくあの岩の上から飛び降りたんだよ。」
10メートルはあろうかという岩が、滝つぼに向かって突き出ている。
こどもたちの楽しい笑い声と、白い水しぶきが目に浮かぶ。

今は、滝のすぐ上をハイウェイが走っている。
ここが都会の一部だということを思い出させるクルーだ。
誰も滝になんて気づかずに、スピードを上げて走り去っていく。
人も、場所も、考えもどんどん変わっていく。
どんどん忘れていく。
それに気づいたから、アレックスはこの場所に立っているのだろう。
そんな自分を意識したからこそ、ここの場所に人を連れてくるのだろう。
これが、ガイドブックにはない、ハワイのもう一つの顔だ。

真珠湾

2006-01-18 11:29:09 | ホノルルにお出かけ
Remenber Pearl Harbor!

その博物館に行ってきた。

日本軍の奇襲を受けたパールハーバーに止まっていた軍艦は、
大きなダメージまたは、沈没した。
そのうちの一つが、軍艦アリゾナ。
アリゾナ・メモリアルは、その沈んだ軍艦の上に作られた記念碑。
施設は大まかに、対岸に作られた博物館と、
海の中に沈んだアリゾナを観察するメモリアル部分のわれている。

博物館の中では、100フィート(30メートルくらい?)の
浅いパール・ハーバーの海の中でいかにミサイルを爆発させるか、
ミサイルに施された加工のことや、
小型飛行機郡をレーダーでキャッチしていたにもかかわらず、
カリフォルニアからやってくるアメリカ軍の一群と間違えた事実を
詳細にパネルで説明してくれる。

博物館から出れば、そこには65年前と同じ湾が広がる。
突き抜けるような青空とどこまでも静かな海だ。
その上に浮かぶように立てられた白いメモリアルは、
戦争に勝ったアメリカの気持ちの高揚をあらわすために
建物の両側は高くなっている。
そして建物の中心は、パールハーバーの衝撃を表すように、
下にゆるくカーブしている。
ドイツ人の建築家が作ったものだという。
皮肉だ。

海の中には、900人もの人々が眠る軍艦アリゾナが横たわる。
軍艦から流れ出した油で火の海の中でもがく人々の叫び声を、
今もこの海のどこかでは覚えていることだろう。
何千人という死者をだしたという。
消火しようとやってきた民間人も、飛行機から撃たれて死んだという。

そんな主張に耳を傾けていると、
広島、長崎はどうなるの?と気持ちがふつふつを沸いてくる。
もちろんこの博物館は、パールハーバーにフォーカスしたものだから、
そのことを始終語ればいいのだけど、どこかしっくりこない。
広島も長崎も、死んだのは兵士じゃなくて、民間人。

どんなにひどい状況だったか、
すさまじさを比べてもくだらないのかもしれない。
でもこの博物館は平和を願うためのものではなく、
パール・ハーバーの「屈辱」を忘れないためのものような気がしてならない。
これを見た子供たちに愛国心をはぐくむものとして作用したなら、
と考えるとなんだかすっきりしない気持ちなる。
マイナスの感情はどこまでも遺伝していく。
なかなか叶わないからこそ、
一番願うべきものは、平和ではないのだろうか。