漫画家アシスタント物語 1~3章 22年改訂版 

ブログ「漫画家アシスタント物語」の第1章から第3章までをまとめました。 初めての方は、どうぞこちらから!

漫画家アシスタント物語 第3章 22年改訂版 まとめ2

2022年12月08日 00時48分26秒 | 漫画家アシスタント

          
( この写真は、東京都新宿区下落合方面から見たジョージ秋山プロの入っているマンション
  の遠景です。《2005年9月撮影》 )  


 【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】



 
             その11 ・・・・・・ 2005年10月05日 22時42分 (公開)
  
    
 「 ここは良いよォ・・・・・休みは多いし、徹夜は無いし・・・・・・本当に、
  ここは楽だよォ 」
 
ジョージ秋山プロで初めてジョージ先生に面接した時に会ったプレイコミ
ックの編集員が言った言葉・・・・・・・それは、まったく正しかったのです・・・・
・・・・。 ( 1978年昭和53年 春 )
 
古参漫画家アシスタント( 10年以上勤めている )が3人。他のアシスタント
も1年から2年勤めている。 
 
特別にここの給料がイイわけではない・・・ 前に勤めていたTBSテレビの
下請けのバイトが月10万円。 ここの初任給は手取り7万円( 会社なので一
応、厚生年金や社会保険有り )でした・・・・・全然多くない。 

ただ、今現在( バブル崩壊後 )はありませんが、当時はボーナスがありま
した。 年に4ヶ月分! これはありがたかったです・・・・・・。
 
 
ここはとにかく休みが多かったのです。 そしてただの一日も( 27年間! )
徹夜がありませんでした!( 漫画家の仕事場で徹夜がゼロというのは稀有
な例です )
 
仕事は週に3日から4日・・・・!

当時、まだ「週休2日制」すら一般に普及していなかった時代に秋山プロは
週給3~4日を実現していたわけです! 

その上、夏1ヶ月冬1ヶ月の長期休暇がありました。
 
さすが、「 お姉~ちゃん、あちきと遊ばない? 」というセリフで一世を風
靡した「 浮浪雲 」の作者です。 
 
我々アシスタントはジョージ先生に、貴重な時間をいっぱい与えられていた
わけですから、自分の漫画をガンガン描くチャンスだったわけですが・・・・・
 
私を含めこのチャンスを活かしきれずに、甘えて過ごしてしまった秋山プロ
スタッフ一同でありました・・・・・・いや・・・・・・

・・・・・・一人だけを除いて!
 
 
ガンさん( 仮名:羽賀 司郎、東京出身、28歳 )は私が秋山プロに入ってから、
2ヵ月後に独立するのですが、ガンさん( だけ? )は実によく作品を描いてい
ました。
 
だからこそ、デビューし連載を持って独立できたのだと思います。

ガンさんは、私がここに入った時にジョージ先生から「 小池( 私 )の事はおめ
ィにまかせるから・・・ 」と、言われたそうです。

そして、23歳、まだこの世の裏も表も何も知らない私に色々と・・・・・・・・・・
・・・・色々・・・・・・・・・・

・・・・・・そう「 色々 」の道を指南して下さった訳けで・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
さて・・・さて・・・・・・ 

この事については書くべきか、書かざるべきか・・・・・・・・

悩んでいるのですが・・・・・・・・・・・・・・・・

まぁ・・・・・・

大丈夫かな・・・・・・




           
( この写真は、東京池袋東口方面の繁華街です。ネオンの輝きは今も昔も変わりません。《2005年
  10月撮影》 )  


 
 
             その12  ・・・・・・  2005年10月13日 21時03分 (公開)
  
    
今回は、ガンさんが指南してくれた好色一代記です・・・・・・・。 

しかし、その前にガンさんについて少しお話したいと思います。
 
ガンさんがジョージ秋山プロに入ったのは1969年、春( 昭和44年、当時19
歳 )。

初めてジョージ先生に会った時は、耳に赤鉛筆をかけ、競馬新聞を小脇に抱
えてフラリとやって来たわけです。 

その時ジョージ先生は、いかにも軽そうなガンさんに一冊のノートを見せま
す・・・・・・

そのノートには、大勢のアシスタント志望者の名前が書かれていて、ガンさ
んが弟子入りできるかどうかは、難しそうな雰囲気が・・・・・・( この当時のジョ
ージ先生は少年ジャンプ、マガジン、サンデー、キング、チャンピオン・・・・
・・・ほぼ全てに週刊連載を持っていた頂点の時代でした。 )
 
ところが・・・・・・

意外と簡単に弟子入りがOKになったのです・・・・・・あのノートは先生の見栄
(?)だったのかもしれません・・・・・・
 
 
さて、ガンさんの話に戻ります・・・・・
 
ガンさんはスマートな色男でした。( 今現在は55歳ですが、もう10年以上会
ってないので、なお色男であり続けているかは不明 ) これほどの「 モテ男 」
はめったにいません。

私にとってはベスト3( No1はジョージ先生 )に入るほどの「 女たらし 」で
した。 悪い人ではないのですが、そのやさしいマスクと甘いトークに女性
はコロコロ転がされてしまいます。
 
私のようにモテない男にとってはとても信じられない様な事が起こります・・・
・・・・・・

ガンさんと一緒に西武池袋線沿線のある喫茶店に入った時の事です・・・・・

ウェイトレスさんが注文を聞きに来た時に、デレデレとガンさんを見つめま
す・・・・・初めて入った喫茶店のウェイトレスさんが、初見の客に向かってデレ
デレと色目を使うのをはじめて見ました。

彼女は、色気たっぷりに・・・・・

 「 あらァ、あたしの知り合いに、とてもよく似てらっしゃるから・・・・ 」

ウェイトレスが客をナンパするなんて・・・・・・モテない男にとっては不愉快極
まりない話です。

 
 「 小池ちゃん、簡単よォ。女は、みんな男を待っているんだからァ! 」
 
ガンさんによく言われた言葉です。 

夜の池袋駅前、雑踏の中を一緒に歩いていると・・・・・・

西武デパートや東武デパートなどの駅出入り口などで、その壁際に立ってい
る女性を指さしながら・・・・・・
 
 ガンさん「 小池ちゃん、あそこに立っている女に声かけてみ、誰
       でもいいから・・・・・・ 」
 
 私   「 え~ッ! 出来ませんよォ・・・ だってボーイフレンド
       か誰かを待ってるんじゃないですか・・・? 」
 
 ガンさん「 かまやしないよ、大丈夫だよ! 」
 
 私   「 出来ませんよ! 」
 
いったい何を話しかけろというのか、時々ついて行けなくなる事がありまし
た。
 
もしガンさんが漫画を描いていなかったら、絶対新宿あたりのホストクラブ
で売り上げNo1ホストになっていたのではないかと思います。 

ただ・・・・・・

表面上は、明るいガンさんなのですが・・・・・・

どこかに暗い一面があり、それが複雑な家庭環境に原因があるのか・・・・・水
子の霊が5~6体取り付いている事に原因があるのか・・・・・その辺のところは、
未だに分かりません。
 
 
漫画作品の明るさ、暗さ、重さ、軽さ、テーマ、キャラクターさまざまな事
に作者の「 性 」が関係してくると思います。

ですからここでは、その「 性 」ついて書いていく事が無意味では無いと信
じています。
 
 
23歳、私は当時風俗には全然興味がありませんでした。 そういう世界はテ
レビの「 11PM 」や「 ナイトショー 」( 1970~80年代の風俗番組 )の
中だけの世界だと思っていました。

そんなボンボンみたいな私をガンさんは・・・
 
 「 小池ちゃん、ダメよォ! もっと世の中の事知らなきゃ! 」
 
躊躇する私を笑い飛ばしながら・・・・・・
 
 「 暗いなァ! 小池ちゃん、ダメよォ! 明るく行かなきゃ! 」
 
当時、暗かった私にとって、『 明るく行く 』という言葉にまったく抵抗出来
ませんでした・・・・。
 
こうして私は・・・・・・

 「 小池ちゃん、大丈夫よォ! 」

羽虫が水銀灯に引き寄せられるように・・・・ 池袋のネオンの闇へ・・・・・・
 
 



          
( この写真は、東京池袋東口、サンシャイン通りです。私が行ったキャバレーはこの先を左折した
  所にありました・・・。《2005年10月撮影》 )  


 
 
             その13  ・・・・・・  2005年10月某日 (公開)
  
    
漫画家アシスタントの性生活について、誰か書いた人がいたでしょうか・・・・
・・・・? 

漫画と個人的な性生活に何の関係があるのか? 

全然関係ないと思っている人が多いかもしれません。 しかし、漫画家の感
性とそれは深くつながっています・・・・・。


私の「 好色一代記 」の旅先案内人であるガンさん( 仮名:羽賀 司郎、東京
出身、昭和53年当時、28歳 )は、あの有名な石森プロ( 石ノ森章太郎先生の
仕事場、東京練馬区桜台 )でアシスタントをしていた経験があります。

そこでは、「 ハレンチ学園 」や「 デビルマン 」で有名な永井 豪先生とも
一緒に背景を描いていたそうですが、徹夜がイヤで、夜逃げしました。

そして、ジョージ秋山プロへ・・・・・・。 

ジョージ先生の「 パットマンⅩ 」( 1967年・講談社 )が大好きで19歳の時に
師事。そして約10年後に私が秋山プロに入り、2ヶ月だけのお付き合いでした
が、その強烈な印象を私に残して独立して行かれました・・・・・。

  ( 独立後、数回の連載で打ち切られ、その後は老母と身重の奥さんをかか
  えて随分とご苦労なさったそうです。前回「 出世頭 」と書きましたが、
  同時に「 貧乏頭 」でもあったのです・・・・ )


現在、風俗といえば、ソープランド、ヘルス、イメクラ、キャバクラ、のぞ
き、ホテトル、デートクラブ、デリヘル、ランパブ・・・・・・・と、百花繚乱です
が、1970年代の日本にはトルコ風呂( ソープランド )とキャバレーとごく少数
のパンマ( マッサージ売春 )と、芸者遊びぐらいしか「 風俗 」といえるものは
ありませんでした。

男が夜遊びに出かけると言えば、このいずれかしか選択肢がない時代に、私
は生まれて初めて「 キャバレー 」へ・・・・・。


池袋の東口、今のサンシャイン通りの近くにあったキャバレー「 ハワイ 」へ
連れて行かれたのです・・・・。

赤とピンクの照明の中に私より年上の女性たちとサラリーマン風の客が一人
か二人・・・・・。

ビールは、下戸の私にとってはただの苦い炭酸水・・・・。 

ダサい演歌のBGMはまるで「 バカだ~バカだ~ッ バカになれ~ッ 」と
叫んでいるようにガンガン響く・・・・・!

客一人に対して女性が一人付くシステムのようでしたが、残念ながらその時
私に付いた女性の事は全然憶えていません。 

 私   「 なに喋ったらいいんですか~ッ? 」

どなるように話さないと聞こえない。

 ガンさん「 何ンでもいいんだよ! テキト~にさァ! 」

ガンさんは楽しそうに指名(!)した女性としゃべっている・・・。

 私   「 何をすればいいんですか~ッ? 」

 ガンさん「 何ンでもやっちゃいなァ~! 」

とにかくBGMのクソ演歌がうるさい!

 私   「 何ンでもって、何を~ッ? 」

 ガンさん「 指だよ~、指! 」

演歌はうなる・・・・・!

 私   「 指ィ~ッ? 」

 ガンさん 「入れちゃえッ! 」

だんだん付いて行けなくなる・・・・・。 

それでも恐る恐る相手の女性のパンツに触る・・・・・・鋼鉄のように硬いパンツ
でした。 

残念ながら・・・・・・

この女性については、パンツの硬さしか記憶に残っていません・・・・。




          
( この写真は、東京池袋駅東口を出て、真っ直ぐ行った先にある繁華街です。賑やかさは昔と同じ
  ですが・・・ 《2005年10月撮影》 )  


 
             その14 ・・・・・・  2005年10月28日 13時05分 (公開)
  
    
キャバレーでの緊張した時間は、漫画とは全然関係ない無駄な時間ではあり
ません・・・!

つまり、女の子のオッパイをもんだり、パンツを脱がそうと無駄な汗を流す
事が漫画制作に結びついていきます。( ポルノ漫画を描くという意味ではあ
りません )

より具体的な言い方をすれば・・・・・・私はこの瞬間( ガンさんとキャバレーに
いた1978年昭和53年6月某日の夜 )ガンさんを学んでいた( 盗んでいた )と言
えます。

ガンさんという人間を特別な状況下で捉えていたのです。・・・残念ながらお相
手の女性からは「 パンツの硬さ 」しか学んではいませんでしたが・・・・・

この「 捉え方 」や「 捉える大きさ 」が私の感性の限界を意味します。

この限界値の大きな人を「 感性の豊かな人 」といい、創作活動の重要な柱に
なるのではないかと思います。


記憶ではこのキャバレー「 ハワイ 」には3,4回「 旅行 」したと思いますが、不
満そうな私を見て、ガンさんが言いました・・・・・

 ガンさん 「 小池ちゃん、今いくら持ってる・・・? 」

 私    「 1万円くらい・・・・・・ 」

 ガンさん 「 よし! 行くぞ! 」

1978年昭和53年7月某日の夜10時ごろ・・・・・・私は生まれて初めてトルコ( ソー
プランド )旅行に行く事になりました・・・・・・。


私はそこで、「 ハワイ 」での出来事より、もっと強烈に相手の女性( トルコ人
ではありません! )から感性を刺激されます・・・。

「 ただのスケベだろ 」と、言ってしまえばそれだけの事なのかもしれません
が・・・・・・・・


 ( お待たせいたしました・・・・・・いよいよ、その時がやってまいりました )




          
( この写真は、1978年に初めて行ったトルコ(現ソープランド)「丘」があった池袋東口の路地裏
  ・・・・《2005年10月撮影》 )  



             その15 ・・・・・・ 2005年11月04日 18時51分 (公開)
  
    
ソープランドの料金システムは、受付で払う入浴料と個室内でコンパニオンさん
に払うサービス料の2回払い方式になっています。

当時の料金相場は安い所で両方合わせて1万3~4千円位( 今は、もうちょっと高
め )。 高級店で3万円位でした。 

80年代のバブルの時代に6万円、7万円という超高級ソープが出てきますが、同時
に「エイズ騒動」がこの業界に大打撃を与えました・・・・。

その後の平成不況下で料金が低く押さえられたまま現在に至っています。


私は聖徳太子( 当時の1万円札 )1枚を握りしめ、ガンさん( 東京出身、28歳。氏は
この時オケラでした )に連れられて池袋東口の路地裏へ・・・・・・・。

忘れもしません、池袋東口を出て「 耕路 」( 喫茶店 )のわきを真っ直ぐ行き、突き
当たりにある牛丼屋の横を入った所に・・・・・・・・・

「 トルコ( 現ソープランド )丘 」はありました。 

オレンジ色の小さな看板「 トルコ丘 入浴料4000円 」・・・・・陰気な和風の玄関・・・
・・・・ 

一枚だけのガラス引き戸を開ける・・・・・・

ガラガラガラ・・・・・


 ガンさん 「 オレ、待合室で待っててやるから・・・・ 」

 私    「 ガンさん、本当に1万円で大丈夫ですか? 」

 ガンさん 「 ん・・・? 入浴料4000円で・・・・・中が確か・・・・・・1万だから・・・・・ 」

 私    「 た・・・足らないじゃないですかッ! 」 

私は小さな声でそう言ったのだが・・・・・

 受付   「 いらっしゃいませェ~! 」

中年のボーイさんがニコニコしながらこちらを見ている・・・ 

とりあえず奥へ・・・・・・・会計で入浴料4000円を払う。 

ガンさんは、ボーイさんに自分は待合室で待っているからと告げる・・・・・・。


 私    「 ほ・・・本当に後・・・・・6000円しかないんですよォ! 」

ガンさんは、妙に落ち着いていて、あわてている私を哀れむように見つめながら・・
・・・・はっきりと・・・・・・!

 ガンさん 「 大丈夫。 大丈夫よォ~小池ちゃん! 値切ればまけてくれ
       るから! 」

 私    「 本当に大丈夫なんですかァ・・・? 」

 ガンさん 「 大丈夫よォ~小池ちゃん、 ホントに! 」


しかし・・・ それは、ウソでした・・・・・!




          
( この写真は、東京、池袋駅東口。初めて行った"トルコ丘"近くのネオン街です。・・・・《2005年
  10月撮影》 )  




             その16 ・・・・・・ 2005年11月10日 22時37分 (公開)
   
    
性風俗に対するイメージというものは未体験者にとっては不潔で危険な場所・・・・
・・・・・と、いった感じかもしれません。

1978年、初めて行ったソープランドに対して私もそうしたイメージを持っていま
した。 しかし、実際体験してみると以外に明るく清潔なので驚きました。


待合室で待っていてくれるガンさんを後に、安っぽいスリッパをペタペタさせな
がら個室へ・・・・・・

個室には担当するコンパニオンさん( ソープ嬢 )が案内してくれます・・・・・なんと
表現したらいいのか・・・・・ 

ハロウィンのかぼちゃキャラを少しカワイクしたような・・・・・・・田舎っぽい小柄
な女性・・・・・・・・・ ( 当時23歳の私より10歳位年上か・・・ )

初めてのソープランドで、最初に口にする言葉がサービス料金を値切る話とは・・
・・・・・今、思い出しても気が滅入ってきます・・・・・・


 ソープ嬢 「 お湯加減はいかがですかァ? 」

 私    「 ・・・は・・・・・・・はあ・・・ い、いいです・・・・・・ 」

彼女はニコニコ作り笑いを浮かべながら、オケにブクブクとシャボンの泡をたて
ている・・・・・ 

お湯の中で、のん気にはしていられない・・・・・早く料金について話を始めなくて
は・・・・・・・・・ ( 私の所持金6千円・・・ )

 私     「 あ・・・ あのォ・・・・ 料金はァ・・・・・・・・・ 」

 ソープ嬢 「 え? サービス料ですかァ? 1万円ですよォ 」( それは知っ
       てるの、それは )

彼女はこの瞬間まではニコニコしていた・・・・・・・

 私     「 あのォ・・・・ 少しィ・・・ まけてェ・・・・・・もらえませんでェ・・・
        ・・・・しょうかァ・・・・・・・・・ 」

彼女のニコニコした顔が「 ニコ 」っと止まった。 

笑い仮面のようだ・・・・・・

そして、きっぱりとクールに・・・・

 ソープ嬢 「 いくら? 」

 私     「 あのォ・・・・・ ろ・・・6千・・・円・・・・・・位にィ・・・・・・・ 」

笑い仮面は消え、まずい物でも食べている様な不機嫌な顔で・・・・・・・・・チッ、と
舌打ちした。

 ソープ嬢 「 外歩いてる女に、1万やるからヤラせてくれって言ってさァ
        ヤラせてくれる女がいるかいッ! 」

 私     「 ・・・・・・・・・・・・・ 」

 ソープ嬢 「 1万円だって安過ぎるくらいなのに! 」( ごもっとも! )

私はお湯の中で、ここにいる自分を憎んだ・・・・・・・。


結局、中途半端なまま・・・・・ご帰宅となるが・・・・・・・・・

このシチュエーションは色々な漫画のシーンに利用できる・・・・・・・

例えば・・・・・・

ボスキャラの魔女を倒そうとする未熟なナイトとか・・・・・・

女組長に面会した新米刑事とか・・・・・・



   漫画家アシスタント物語、血の教訓
   

  『 どこでいくら使って遊ぼうが、十分おつりがくる位ネタに利用して
     いくのがプロの漫画家。 「 楽しかった 」「 面白かった 」で終わ
     っていたら一生漫画家にはなれません。』
 
    

    

          
( この写真は、ジョージ秋山プロ室内。ちょうど仕事が終わったところです・・・・《2004年撮影》 )  




             その17 ・・・・・・ 2005年11月某日 (公開)
  
    
「 内の仕事場には『 ムショ帰り 』も居るんだぜェ・・・ 」

私がこの仕事場に勤め始めた頃( 78年春 )にジョージ先生( 当時35歳少年誌青年
誌合わせて4~5誌連載 )に言われた言葉です。

この仕事場のアシスタントたちのユニークな顔ぶれをちょっと大げさに言った
のだと思います。 

しかし、当時の私はそんな事とは知りませんから、いったい誰が「 ムショ帰り 」
なのか・・・・・そしていったい何をやらかして刑務所に入ったのやら・・・・・・仕事中
にあれこれ考えていたものでした・・・・・・。

仕事場のスミに座る坊主頭の男・・・・・この男が怪しい・・・・・目つきが悪く、声が
しゃがれて品がなく、いかにも「 悪 」っぽい・・・・・・。 

それがマツさん( 広島出身、24歳、当時、秋山プロ3年目 )でした・・・・・・。

背は小柄なのですが肩をいからせ猫背で歩く姿は任侠風。

仕事中は、ただの一言も口を利かない・・・・・・そして、笑うという事もまるでなく、
いつも眉間にシワを寄せながらしゃがれ声で、ボソリボソリともらす広島弁・・・・・・


私はある日、下落合( 東京新宿区 )にある喫茶店で氏と二人で喋っている時に気に
なっていた事を訊いてみました・・・・・・

まず、ジョージ先生が「 ムショ帰り 」が居ると言っていた事を話すと・・・・・・

 マツさん 「 ムショ帰りィ・・・? そんな奴おらんじゃろォ、内にィ・・・ 」

 私     「 でも・・・・・・確かに先生が・・・・・・ 」

マツさんがふと思い当たる事でもある様に顔を上げ・・・・

 マツさん 「 ひょっとして・・・・ ○○さんの事けェ? ・・・・じゃがありゃ~
        刑務所っつ~事じゃなかろォ・・・・・  」

 私     「 ○○さん・・・? 」

 マツさん 「 おお、そうじゃ。 酒に酔って女にちょっかい出して留置場
        に入れられたンよ。」
 
 私     「 ・・・留置場に・・・・・? 」

 マツさん 「 一日だけよ。 強制ワイセツっちゅ~たって、本人は酔っ払
       ってて何ンも憶えとらン。 目が覚めたら留置場じゃったと 」

 私     「 ・・・・・・・・ 」

 マツさん 「 ありゃ~ ムショ帰りとは言わんじゃろォ・・・ 」

 私     「 そうだったんですか・・・・オレはてっきりマツさんが・・・・・・そ
        うなのかと・・・・・・・・すいません・・・・・・ 」

 マツさん 「 ・・・・・・・・・ 」

マツさんは一瞬、目を大きく見開き・・・・

 マツさん 「 ハヒッ ハヒッ ハヒッ・・・! 」

しゃがれ声で笑いながら・・・・・・

 マツさん 「 ワシがムショ帰りけェ・・・・・・ ひっでェ~のォ~ッ! 」

二人で笑う・・・

 マツさん 「 わしゃ、そんな風に見られとるンかい・・・・んん~・・・・ 」

すぐマジな顔に戻るマツさんである。 


でも、無口なマツさんはお酒を飲むと人が変わったように饒舌になる・・・・・・。

次回は、マツさんとジョージ先生との思い出を・・・・・・
  
  
   

          
( この写真は、1975,6年当時にジョージ秋山プロがあった東京新宿区中落合の某マンションです。
  ・・・・《2005年10月撮影》 )  



             その18 ・・・・・・ 2005年11月25日 02時29分 (公開)
   
     
喫茶店でコーヒーが運ばれても二人は沈黙していた・・・・・・・

「 おめィ~は・・・バカかァ?! 」

マツさん( 仮名:松村 祐樹、広島出身、当時21歳 )が初めてジョージ先生と喫茶
店でコーヒーを飲んだ時に言われた言葉です。 ( 1976年 昭和51年 )


マツさんが始めて先生に会ったのは、高校2年の春。 二人の友人と広島から上
京して、自分たちの原稿を見てもらった時です。

先生( 当時31歳、売れっ子漫画家 )はその時、ていねいにそして鋭く3人の漫画少
年に批評してくれたそうです・・・・・・。

「 感性で描け! 」そして、不要なコマやページを指摘しつつ「 これなら3コマ
で描ける! 」等々・・・・


マツさんは18歳で家を出て東京で自立します・・・・・漫画家めざして・・・・・・ 

すぐに漫画家デビュー出来るだろうと思っていたのに・・・・・そう甘くはありませ
ん・・・・・・。

1ヶ月はアルバイト、次の1ヶ月は漫画制作・・・・・・しばらくそのペースで雑誌に
投稿していました。 

1年ほどで新人賞の最終選考に残るレベルになったり、編集員がアパートまで訪
ねて来てくれたりしたそうです。

しかし・・・・・・ 

デビュー出来ぬまま時間は過ぎ・・・・・・20歳を越え・・・・・・21歳になる頃まで短期
アルバイトと漫画制作・・・・・・

インスタントラーメンで空腹をいやす日々が続きました・・・・・・。 

すっかりやつれたマツさんが労働意欲も失せ落ち込んでいた時・・・・・

知人の勧めもあって、ジョージ先生の所でアシスタントをやる事に決めたのでし
た・・・・。

 『 漫画を描きながらメシが食えるなら・・・・ 』

・・・・・・そんな気持ちで3年ぶりにジョージ先生の仕事場へ・・・・・・・・。

 先生  「 おめィ、今何やってんだァ・・・? 」

 マツさん「 実は何もやってないんです・・・・・・出来ればアシスタントに・・・・ 」

 先生  「 ・・・・んん 」 

ジョージ先生は、二つ返事でOKしてくれました。

 先生  「 おめィ、前にここへ来た事あんだろォ・・・? 」

 マツさん 「 はい、3年前に・・・ 」

 先生  「 何でここで仕事したいんだ・・・? 」

 マツさん 「 ・・・・・・・こ・・・ここしかないから・・・・・・・ 」( 笑う )

 先生  「 おめェ、笑うといい顔してるな・・・ 」


アシスタントの初日、仕事場近くの喫茶店に呼ばれたマツさん。

ジョージ先生の座るテーブルにつきますが、先生は運ばれたコーヒーを前に一
言もしゃべりません・・・・・・。 

マツさんも、何がなんだか分らず黙っていました・・・・・・。

先生の沈黙は、まだつづきます・・・・・・

マツさんも黙っています・・・・・・

だんだん息苦しく・・・・・・・・・すると・・・・・・

 先生  「 おめィ~は・・・バカかァ?! 」

 マツさん 「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

マツさんはどう答えたらいいのか必死に考えます・・・。

 『 俺はバカなんかじゃない!』

・・・・・なんて答えられっこないし・・・・・・・・

マツさんは考える・・・・・・・・・・・

必死に考え、そして・・・・・・・

 マツさん 「 は・・・・ はい・・・・バカです 」

 先生  「 それでいいんだ 」

 マツさん 「 ・・・・・・・ 」

 先生  「 バカになれ! 漫画バカに! 」


漫画家アシスタントにとって、憧れの先生に弟子入りした時の事は、生涯忘れ
る事の出来ない思い出になります・・・・・・。




          
( この写真は、1978年当時に秋山プロのマツさんと一緒に入った喫茶店があった目白通り、中落
  合界隈です。すっかり変わってしまって当時の面影もありません・・・・《2005年11月撮影》 )  



             その19 ・・・・・・ 2005年12月02日 21時08分 (公開)
  
    
それまでカチカチと動いていた時計が、ある時、ピタリと止まってしまう様に、
漫画制作の勢いが止まってしまう事があります・・・・・・。

1976年、マツさん( 広島出身、当時21歳 )がジョージ秋山先生に師事しました。
遅刻男の私がやって来る2年ほど前です。

腰まである長髪、破れたジーンズにサンダル。 くわえタバコにしゃがれ声の広
島弁・・・・・・( 私が入社した頃には坊主頭になっていました )

背景処理のスペシャリストならカンさん( 神戸出身、‘76年当時23歳 )。アシスタ
ントのイケ面ホスト№1のガンさん( 東京出身、‘76年当時26歳 )。 

そして、秋山プロの名物男と言える存在がこのマツさんです。


マツさんは初め、ジョージ先生に一週間は先輩たちの仕事を見てるだけで良いか
らと言われたそうです・・・・・・ ( 私の時と同じです! ) 

そして・・・・・・

本当に見ているだけで過ごしました・・・・・・ 

いや、それどころか・・・・退屈のあまり横になって寝ていたのです・・・・・。 

先輩たちが黙々と仕事をしているその脇で、ゴロゴロ横になって漫画雑誌を読ん
だり、グ~グ~寝たり・・・・・・・

そして、ついに一週間が経とうとしている時・・・・・・

イイ気分で寝ていたマツさんの、腰のあたりを誰かがつま先で蹴りました・・・・ 

マツさんが横になったまま、あわてて振り返ると・・・・・

先生が上から見下ろしている・・・・・・

 先生  「 おめィ~・・・ 何やってんだァ・・・? 」

 マツさん 「 はぁ・・・ 寝てましたぁ・・・・・ 」

 先生  「 寝てましたじゃね~だろォッ! バカヤロウッ! ここは、
       戦場と同じなんだぞォッ! 」

・・・と、一喝される・・・・・・。 

マツさんの心臓が凍りついた一瞬である。


こうしてマツさんは、アシスタントの初歩・・・・・・・

ベタ塗りと、先輩が描いた原稿のホワイト仕上げ・・・・が始まりました。 

実にこの日から6ヶ月間も毎日毎日、「 ベタマン 」( 墨ベタ専門 )をやらされる
はめになったのです・・・・

そして、すぐ漫画家になれるものと思い込んでいたマツさんはこの日から数年間、
自分の漫画を描かなくなります・・・・。 

 『 漫画なんて、何時でもすぐ描けるけェ・・・・ 』 

その気持ちこそが実は深い落とし穴だった事に、この頃はまだ気が付いていませ
んでした・・・・・・・。




          
( この写真は、今月の8日にマツさんと仕事帰りに寄った目白通りのカフェです。コーヒーとココア
  で500円ちょっと・・・結構安いです。 《2005年11月撮影》 )  



             その20 ・・・・・・  2005年12月09日 21時25分 (公開)
  
    
 私   「 秋山プロに入る前はあれほど漫画を描いていたのに、どうし
      て入ったとたんに描けなくなったんですか・・・? 」

 マツさん「 先生に『 描くなッ! 』って言われたんじゃ・・・ 」

 私   「 えッ!? 」


2005年12月8日、目白通りの或るカフェでマツさん( 51歳、現在も秋山プロに在籍 )
は30年前を思い出しながら語ってくれました・・・・・

『 描くなッ! 』と言う言葉は、『 もっと勉強しろ 』という意味だったようです。
しかし、マツさん( 1976年昭和51年、当時21歳 )は本当に描かなかったのです。

その後7年間も・・・・・・。

 マツさん「 あの頃は酒の味も覚えた頃だし、女もおったしのォ・・・そっちに
      イッてしまったのォ・・・・・・ でも、本は結構読んだのォ・・・・・そ
      れに映画もよく見たのォ・・・・ 」


そんなマツさんも、あっという間に7年がたち、30歳を前にして焦り出します・・・・。 

私もなぜか30歳を目前にした頃に最も多く漫画を描きました。 

マツさんは週に一本の短編作品を描く事を自分に課します。 

しかし、三週目の作品でつまずいてしまいます・・・・・・。

それっきり、道を見失った旅人の様に漫画制作から遠ざかっていってしまいまし
た・・・・・・。 


マツさんは秋山プロに入ってから30年になりますが、初めに先生から『 描くな
ッ! 』と言われてからその後、先生から『 描け 』とは言われませんでした・・・・。

 マツさん「 先生は『 描くなッ! 』と言ってから30年間一度も『 描け 』
      とは言わんかったのォ・・・ 」

 私   「 本当ですか? 一度も? 」

 マツさん「 ・・・ん・・・・・・でも、この間( 一ヶ月ほど前 )一緒に朝まで酒を飲
      んだ時『 描け 』って言ったんじゃ・・・・・今頃、言われてもなァ
      ・・・・・もう描けんぞォ・・・・・・・ 」

 私     ( 笑い )

 マツさん「 30年前に言ってくれりゃガンガン描けたんじゃがのォ・・・
      ・・・もう、描けん・・・・・ 」




         「 漫画家アシスタント 第3章 22年改訂版 まとめ3 」 へつづく・・・



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       * 参考 *   
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  .............. 私(yes)のアシスタント履歴
  
  1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
           4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
     
  1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
           ったのですが、背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)

  1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
           事欠きません。たった1週間しか勤まりませんでした。(21歳)

  1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
           ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
           主演でTVドラマ化されていました。(23歳) 

  2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、タイ・チェンマイにて隠居中。(62歳)

                    
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【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」

          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )




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