( この写真は、1970年代に秋山プロがあった東京、新宿区中落合の住宅街です。・・・・ 《2005年11月撮影》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その21 ・・・・・・ 2005年12月16日 22時41分 (公開)
秋山プロでもそうですが、他の漫画家アシスタントも意外と漫画を描きませ
ん。
勿論、描く人は描くのですが・・・・・・ やはり描かない人の方が、かなり多い
ようです。
前回は、アシスタントになってから7~8年漫画を描けなかったマツさんの事
を書きましたが、今回は35年間漫画を描いていないカンさん( 仮名:菅原 浩
二、神戸出身、現在53歳 秋山プロ在職 )の事を書きます・・・・・・
カンさんが秋山プロに入った( 「 第3章、その9 」 )のは16歳の時、1969年
( 昭和44年 )。その時までは確かに漫画を描いていたのですが、秋山プロ
に入った時から35年間( 2005年まで )ピタリと漫画制作が止まります・・・・。
カンさんにも実はマツさんと似たような経緯があります。 それは秋山プロ
に入ってすぐ、16歳のカンさんはジョージ先生にこう質問したのです・・・・・・
カンさん「 オレは今、何をやったらいいんでしょうか・・・? 」
当然、漫画をたくさん描けと言われると予想していたのですが・・・・・・・
先生 「 15~16歳で何って事もね~なァ・・・ 遊んでな。このまま
でいいんだよ・・・ 」
そして、カンさんは遊んでしまう・・・・・・
そして・・・・3年後・・・・・・
先生 「 このままじゃダメだぞ・・・・・・読んだ本で面白いと思った物
をネームにしてみろ・・・ 」( ネームは、漫画のシナリオです )
それを実行するのですが・・・・ ほぼ毎日ネームを作るのですが・・・・・ 深夜
に作ったネームを翌日の昼間に読むと・・・・・・ 面白くない・・・・・・
この繰り返しを10年・・・・・・あっという間の10年・・・・・・
私が秋山プロに入った頃には、コツコツとネーム作りをしていたカンさんだ
ったわけですが、その後ネームを作る事も自然になくなってしまいます・・・・
カンさんは、自然をテーマにした田園物や戦国時代をテーマにした物などを
せっせとネームにしていたのですが・・・・・・・
ついに原稿として完成する事なく35年がたってしまいました・・・・。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 「 今度の夏休みに一本描くよ・・・ 」と言って、本当に描いた人を一人
も見た事がない。 「 来月あたりから描こうと思ってるんだ・・・ 」
と言って、本当に描いた人を一人も見た事がない。 「 今から描
く! 」そう言える人しか漫画は描けない・・・・・・。 』
( この写真は、東京の目白通りから見上げた秋山プロのある某マンションです。・・・・ 《2005年12月撮影》 )
その22 ・・・・・・ 2005年12月23日 20時54分 (公開)
私が入った秋山プロには( 1978年昭和53年 )、初めガンさん( 仮名:羽賀 司
郎東京出身、28歳 )という漫画をよく描く先輩がいたのですが、2ヶ月ほどで
少年Kに連載を持って独立して行きました・・・・・・。
そして、全然漫画を描かない漫画家アシスタントたちが残りました・・・・・・・。
漫画よりカット絵の才能があるテラさん( 博多出身、26歳 )
秋山プロ漫画背景の大黒柱、カンさん( 神戸出身、25歳 )
幕末浪士の生まれ変わり、リョウさん( 岡山出身、24歳 )
下ネタと博打ならおまかせのマツさん( 広島出身、24歳 )
暗い清純少女漫画を描くユミさん( ?出身、推定25歳 )
私は当時( 1970年代後半 )から同人誌用にせっせと漫画を描いていましたが、
どれもプロを目指すというより実験的な「自己満足」だけの作品ばかりを描
いていました。
もし、そのままダラダラ同じ事を続けていたら100%デビュー出来ずに終わっ
ていただろうと思います・・・・・。
秋山プロに入った事は私の人生を大きく変えて行きますが、その事はいずれま
た・・・・・・・。
秋山プロの仕事場には毎夕方、富士山をシルエットにした夕陽が室内に差し込
みます・・・・・。
私は情熱よりも倦怠感のただよう様な仕事場の空気に違和感を覚えていました・・
・・・・。
『 アシスタントの仕事は2~3年で辞めてデビューする 』
・・・・漫画家アシスタントなら、誰もが考えるパターンです・・・・・・
実現する可能性は1~2割しか無い事を、まだ知らずにいたあの頃・・・・・。
夢もエネルギーもあるのに何をどうすれば良いのか判らない・・・・・・時間はどん
どん過ぎてゆくのに、自分だけ取り残されたような気分・・・・・・
仕事場をオレンジ色に染める夕陽に感傷的になるより、イライラと焦りを感じ
る20代前半のとんがっていた上昇志向・・・・・。
まだ、仕事に慣れずにいた頃です・・・・・・
秋山プロの当時の仕事は少年誌、青年誌あわせて連載が4~5本ありました。そ
の中でも長期に連載されていたギャグ(?)漫画に「 花のよたろう 」( 秋田書
店 )という作品がありました。
ギャグ漫画など描いた事がなかったのですが・・・・・・ 少年チャンピオンに連載
されていた「花のよたろう」の原稿にはジョージ先生の指示が何もありません
でした・・・・・・。
原稿には、何処かを歩くキャラクターだけ描かれていて、バックは真っ白・・・・
・・・・・
何を描いたらよいのか分らず、隣のテラさんに・・・・・・
私 「 この背景には何を描いたらいいんですか・・・? 」
テラさん 「 土手 」
私 「 どてェ・・・・・・??? 」
テラさん 「 よたろうが何時も歩いているのは土手なのヨ。 何時も
同じだから、前回のゲラを見て。 」
私 『 そうか・・・歩くキャラの背景には土手か・・・・・ 』
私の薄弱な記憶によると秋山プロにおける最初の仕事( 大ゴマ以外 )はこの
『 土手 』でした。
空は真っ白、アスファルトの道も真っ白、道の両側に少しだけ草を・・・・チョロ
チョロと描くだけの簡単な背景・・・・・・
・・・・・・1時間ほどで1ページ仕上がり!
あまりにも楽な仕事に私は内心ワクワクしたものです。
( この絵は、1978年昭和53年、私が22歳の時に同人誌用に描いた漫画の一ページです )
その23 ・・・・・・ 2005年12月31日 04時25分 (公開)
若い漫画家志望者がいつも、漫画の事ばかり考えているわけではありません。
20代の若さなら「 飲む、打つ、買う 」に、はまり込む事がよくあるものです。
私が23歳で秋山プロに入った頃( 1978年昭和53年 )の頭の中は漫画半分、性
欲半分といったところでしょうか・・・
男の場合は本能的な欲望もありますが、自分が一人前の男であると言う事を証
明したいという焦りや、女性との関係において性的関係を結ぶ事が、より強い
恋愛関係を作れる・・・・・
・・・・そんな幻想を信じて日々悶々とするわけです。
酒が好きな男はスナックに通ってウェイトレスさんを口説き、口が達者な男は
街で出会う女性に片っ端から声をかける・・・・・・。
酒も金も喋りもダメな男は、エロ本( アダルトビデオが当時まだありませんで
した! )を買って家に帰る・・・・・・。
20代の前半、私はせっせと同人誌活動に励みましたが、漫画が好きだからとい
う理由が半分・・・・・後の半分は女性と知り合える事が出来るという下心のためで
した。
秋山プロに入った当初はジョージ先生から・・・・
「 同人誌なんか辞めちまえ! 」
などと、アマチュアの世界をクソの価値も無いものとバカにされましたが、も
し私が先生に、
「 実は、女を引っ掛けられるんですぜ・・・・・・先生! 」
と言ったら・・・・・・ きっと、ジョージ先生は・・・・
「 俺ィも入れんかい! このバカモン! 」
と、言ったかも知れません・・・・・。
漫画研究会に入る・・・・・・・・( これは、ジョージ先生のところへ来る2年ほど前
21歳の時の話です )
いい娘がいなければ、すぐ他の漫研を捜す。
それでもダメなら、自分で漫研を作る!
当時、自覚はありませんでしたが、今から思えば純粋に漫画の事を考えていた
・・・・( 自分にはそう言い聞かせていましたが )のではなく、気持ちの半分はイイ
娘を捜していたのです。
そんな時に一人の女性に出逢いました。
彼女も私も21歳の春・・・・・。
その人は真ん中で分けた長い黒髪を、そのまま顔の半分ほどを隠す様にして、
胸下まで伸ばしていました。
その左右の長い黒髪からのぞく大きな瞳・・・・・・・それが、香る様に魅力的でした。
彼女の描く漫画は平凡でしたが、ルックスは非凡な美しさがありました。
素晴らしかったのは、美人なのに・・・・もの凄く優しかった事です。
私なんぞは「 一目会ったその日から! 」もう夢中でした・・・。
しかし・・・・・・
4年後・・・・・・彼女はあっけなく死んでしまいます。
25歳でした。
埼玉県浦和市の小さな病院で消化器系の病気によって亡くなりました・・・・・・。
( この写真は、1975~8年頃に住んでいた東京杉並区のアパートです。キレイに改装されています。
《2005年7月撮影》 )
その24 ・・・・・・ 2006年01月05日 02時49分 (公開)
艶やかに下がる長い黒髪・・・・・・大きな瞳・・・・・・・・
美しかった彼女は、25歳で死んでしまいます・・・・・。
埼玉県浦和市にある小さな病院に入院していた彼女を何度か見舞いに行きまし
た。
当時( 1976年昭和51年 )21歳だった私は、まさか4年後に彼女が死んでしまう
なんて想像もしていませんでした。
住んでいた高円寺から病院まで電車を4回乗り換え2時間以上かけて見舞いに行
ったのは真夏の頃だったと思います。( 埼京線はまだなく、赤羽線でした )
その頃はまだ、ジョージ先生に師事してはおらず、かわぐちかいじ先生の所で
仕事をしていました。
休みの日に病院へ見舞いに出かけるのですが・・・・・・
ある日・・・・・・
彼女には好きな彼氏がいる事を知りました・・・・・・。( 「 22歳の別れ 」なんて曲
が流行っていました )
その彼氏というのは、当時有名だった某ロックグループ( 大ヒットした曲もあ
りました )のリードギタリスト・・・・・( 確かにカッコイイよなぁ )
彼女が元気な頃にライブハウスへコンサートを見に行き、その時に知り合った
ようです。
彼女は私の事などまるで眼中になく、そのロックグループのリードギタリスト
の事を病床で慕いつづけていたのです・・・・・・。
毎日、毎日・・・・・・いつ見舞いに来てくれるのかと・・・・・・。
ところがその某ロックグループのリードギタリストのクソ野郎は・・・・・・・ただの
一度も見舞いには来なかったのです。
真夏の炎天下を汗ダクになりながら何度も見舞った私は、みじめに落ち込んで
いくだけ・・・・・・・
ちなみに、私の和製ロック嫌いはこの頃から始まりました・・・・・・
まあ、そんな事はともかく、私の恋は晩秋の枯葉の様にむなしく散ってしまう
わけです・・・・・。
ちなみに、彼女はその後退院して、元の生活に戻って仕事に趣味に夢に・・・・・時
間を惜しむ様に走り出します。
イギリスのロックグループが好きで、ライブを見にイギリスまで出かけるほど
活動的でした・・・・・
そんな頃の私は・・・・・・
毎日々々・・・・彼女の事をあきらめよう、忘れよう、消し去ろう・・・・と悶々として
いました。
あたかも、腐った油の中をもがき進む様に・・・・・・。
そして、2~3年してやっと彼女の事をあきらめられた頃に、彼女は死んでしまい
ました・・・・・・
25歳( 1980年昭和55年 )、当時、私は( ジョージ先生に奨められ )夢中で本を読
んでいました。
時代小説、世界文学、日本文学、純文学、雑誌、情報誌・・・・・・片っ端から読みま
した・・・・・・1年ごとに、スチール製の大きな本立てが1つづつ増えていきます。
この頃の読書への集中は、私の朦朧とした人生に確固たる進路を照らし出してく
れます・・・・・・・。
漫画家アシスタント物語、血の教訓
『 私の師匠は「 やさしい人間でなければ、漫画は描けない! 」と、
決然と言われたが・・・・それは、「 優しくなければ、描く資格がな
い 」という意味にもとれる 』
( この写真は、1978年頃、秋山プロの先輩たちに誘われてよく行った喫茶店です。目白通りと山の手
通りの交差点に今でもあります。《2005年12月撮影》 )
その25 ・・・・・・ 2006年01月19日 21時55分 (公開)
23歳、1978年昭和53年の春・・・・・・・。
私は秋山プロに入社以来ほぼ毎日( 数ヵ月間 )、出勤時間( お昼 )に遅刻して
いました・・・・・。
私の暗い性格は、その生活を夜更かし型に変え、しだいに寝つきも悪くなり・・・・
・・朝、起きる事がなかなか出来なくなりました・・・・・。
ついには目覚まし時計を3~4個も用意して寝床につく始末・・・・・・・。
夜明け近くに横になっても2,3時間は寝付く事が出来ない・・・・昼頃、幾つかの目
覚まし時計を蹴飛ばしながら、あわてて秋山プロに向かう・・・・・。
汗びっしょりかいて秋山プロのドアを開け、いつもの様にとぼけた顔して自分の
イスに体を沈める・・・・・・
先輩スタッフ6人は、もうせっせと仕事を始めている。毎日30分以上遅刻して来
る私に誰も何も言わない・・・・。
「 小池君! お昼は何にしますかァ? 」
いつも、明るくそう声をかけてくれるユミさん( 仮名:吉村由美子、?出身、?
歳 )。 近くのおそば屋さんに出前の注文をしてくれるのだ・・・・・。
そこで私はいつもの様に・・・・・・
「 鍋焼きうどん! 」
私が秋山プロに入ってきてから2ヶ月ほどで、ガンさん( 仮名:羽賀 司郎、東京
出身、28歳 )は独立して、辞めていかれました・・・・・。
ガンさんは「 週刊少年K 」に喫茶店のボーイさんを主人公にした漫画の連載を
勝ち取ったのです・・・・・・当時、ガンさん28歳。
映画「 サタデーナイトフィーバー 」が流行、ディスコが雨後のたけのこの如く
あちこちに出店した頃でした・・・・・・
ガンさんはTVで見た若者のインタビューをよく引用していました・・・・・・
ガンさん「 小池ちゃん! そのテレビリポーターがディスコで踊る若者
にさぁ、こう質問したのよ・・・ 『 あなたにとって青春とは? 』
って・・・ その若者、何て答えたと思う? 」
私 「 ・・・さ・・・さァ・・・・・・・・・? 」
ガンさん「 自分の額の汗を示しながら・・・ 『 これだゼ・・・・! 』って!
小池ちゃん! カッコイイと思わない? 暗いのはダメよォ~
ッ! これが青春よォッ! 」
当時、何度も同じ話を聞きました・・・・・・・。
私は俗に言う「 流行り物 」は苦手で、ディスコも大嫌いでしたから、この話を
されるたびに気が滅入ったものでした。
ガンさんは、デビュー前からものすごく作品を描いていました・・・・・・しかし、
あまり推敲もせず安直に描き飛ばしてしまう欠点があったのです・・・・・。
とにかく「 週刊少年K 」で連載を持った事は確実に漫画家への第一歩を踏み出
した事になるのですが・・・・・
この時は、それがまさか地獄の一丁目への門出になろうとは、誰一人予想もし
ていませんでした・・・・・・。
( この写真は、最近撮った秋山プロの玄関です。書き下ろし単行本の刊行に伴い久しぶりにお客さん
が大勢来ました。《2006年1月撮影》 )
その26 ・・・・・・ 2006年01月26日 21時14分 (公開)
多くの漫画家アシスタントが夢見る事は連載を持って独立する事です。
もし、すぐ横にいる先輩が連載を持って独立して行ったら・・・・・・
どれほど、その先輩が光り輝いて見える事でしょう・・・! ( 数年後の自分の姿
をオーバーラップするわけです・・・ )
独立する苦しみなど理解出来ずに、白紙がのった机と向かい合う毎日の孤独な
苦行を想像すらせず・・・・・・・
私は、ただ・・・・・・ 漠然とあこがれていたのです・・・・・
私はこの頃のガンさん( 東京出身、28歳 )を見ていてさわやかに羨ましく、そ
の明るい面だけを眩しく見上げていました・・・・。
ガンさんには当時、同い年の奥さんがあり、老母も扶養しておられました。
そのガンさんが長年( 10年近く )のアシスタント生活から独立!
「 ○○なあいつ 」「 ○○サニー 」( 「 週刊少年K 」 )、ガンさんが描くウ
ェイター物語、連載開始・・・・・・
独立、連載・・・・・・いよいよ、一人前の漫画家としての第一歩を歩み始めたわけ
ですが・・・・・・・
1978年( 昭和53年 ) 初秋・・・・・ 街には、沢田研二やピンクレディーの明る
い曲が流れていました・・・・・・。
連載は少なくとも半年位は続くのでは・・・・と思われていたのに・・・・・・
たった2ヶ月ほどで終わりました・・・・・・・。
ものすごく突然切られてしまいました・・・・・・・。
はた目には、また何処か他の出版社で仕事をするのかなぁ・・・・などと、のん気
に傍観していたのですが・・・・・・・
本人の焦りと苛立ちは、尋常ではなかったろうと思います。
ガンさんは新作を持って出版社を回ります・・・・・・
その新作を私も見せてもらいまいたが・・・・・・・・
『 ん~・・・・・・・ イマイチ・・・・か・・・・・・ 』
連載が打ち切りになった頃・・・・・・
たまたま、遊びに行っていたマツさん( 広島出身、24歳 )のアパートで、私は
ひどいイタズラを思いついたのです・・・・・・・
マツさんと私は声色を使ってガンさんをだましてやろう・・・・・・などと考えたの
でした・・・・・・
マツさん「 引っかかるワケなかろ~ 」
私 「 そうですよねェ・・・・ 」
二人はバカバカしいとは思いつつ・・・・ガンさんにニセ電話をかけます・・・・・
まず私が渋い声色を使い・・・・
私 「 羽賀先生のお宅ですかぁ? 私は少年ジャンプのウソノと
言うものですが・・・・・・実は少年○○に連載された、先生の
作品を拝見してお電話しました・・・・・ 」
すぐ、バレると思っていたのですが・・・・・・・
ガンさんは意外にもすっかりハメられて、緊張から声を上ずらせる・・・・・。
人の気も知らない私は、命がけで笑いをこらえていました・・・・・。
私 「 是非、先生に連載のご相談などしたいと・・・・・・一度、
お会いしたいと思うのですが・・・・・」
・・・・・もう我慢できない!
私 「 あ・・・ 今、編集長と代わりますので・・・・・・・ 」
後で聞いたのですが、この瞬間、ガンさんは受話器を握りながら、新連載の
構想が頭の中をかけめぐっていたそうです・・・・・
ところが・・・・・・
マツさん「 ・・・・・・ガンさん! ワシじゃ! 」
ガンさん「 ・・・・・・・・・・??? 」
ガンさんはこの時、頭の中が真っ白に・・・・・・
マツさん「 ワシじゃっ! マツじゃっちゅ~の! ガンさん!」
新連載の構想が・・・・真っ白に消えていく・・・・・
ガンさん「 ・・・・・・・・・・・ 」
マツさん「 まだ、分らんのけェ・・・? 」
ガンさんは夢から覚めます・・・・・
マツさん「 嘘なんじゃ~! ・・・・・・そう! ・・・・・・全部ウソ!! 」
大変申し訳ない事をしてしまいました・・・・
この後、ガンさんが新連載を得、漫画家になっていたならこの話はシャレで
済んでいたのですが・・・・・・
実は・・・・・・
後にも先にも、「 依頼 」の話はこの「 ニセ依頼 」ただ一つで終わってしま
い・・・・・・・
もっともこの時のガンさんには、後輩たちのイタズラを笑って許してくれる
余裕があったのですが・・・・・・。
その後、何度も出版社をまわって持込みをした結果・・・・・・・
原稿を買ってくれる所はどこにもなく・・・・・・すっかり漫画制作を見切ってし
まいました・・・・・・・・・
これ以降、ガンさんは漫画家アシスタントに戻る事もありませんでした。
( 意地でも戻りたくなかったそうです・・・ )
アルバイトを転々とし・・・・・奥さんと別れ、老母とも別居して一人孤独に・・・
・・・・・どぶ川をはいずる様に生きていきます・・・・・・・
建設現場で日雇い労働の日々を送っていた頃、アパートの家賃やその日の食
費にも困るようになり・・・・・・
ついに、ジョージ先生の所へお金を借りに行く事になります・・・・・・
その時のいきさつは次回に・・・・・・。
( この写真は、ジョージ先生が、10年ほど前まで住んでいた目白の高級住宅街です。写真の奥を左へ入っ
た所に、先生のレンガ風のシャレた自宅がありました。《2005年11月撮影》 )
その27 ・・・・・・ 2006年02月02日 22時25分 (公開)
漫画家としてデビューする多くの新人の内、1年以上連載を維持できる人は
稀にしか居ない( 1割未満 )・・・ それが、この業界の現実です。
私も若い頃( 1978年、23歳 )はそんな事とは露知らず、他の漫画家志望者
と同じようにデビューすればなんとかなる・・・・と思っていました・・・・・・・。
デビューする苦労より、デビュー後の連載を維持する事の方が10倍苦しい
のではないでしょうか・・・・・・・。
この時期を振り返って、その成功者は・・・・・・
「 苦しいというより、充実してたよ 」とか、
「 あの頃は、夢中だったしなァ 」とか、
「 楽しく描くってのが一番大切ね! 」とか、
「 銀行口座にじゃんじゃん金が振り込まれるんで怖かった 」
・・・・などと言いますが・・・・・・・
この業界では、この様なすっトボケた事を言えるタフさこそが要求される
のではないかと思います。
さて、ガンさんの話は「 例外 」ではなく「 通例 」といえます。
夢も希望も金もない・・・・
腹を空かして知人、友人に借金のしまくり・・・・そして、ついにジョージ先
生の所へ・・・・・・・・・
この話は、ずいぶん後になってから、ガンさん本人に直接聞いた事です
・・・・・・。
しかし、ジョージ先生から裏はとっていませんし、なにぶん古い話なので
当時の詳しい事情もよく分らないのですが・・・・・・
ガンさんは、ジョージ先生に10万円( 当時のアシスタントの平均的な月給
額 )の借金をお願いしに自宅を訪ねたのでした・・・・・・
連載が打ち切られてから数年、経っていました・・・・・
さっそく苦しい生活を切々と語り、借金を申し込むのですが・・・・・・
先生 「 おみィ~には、貸せにェ~よ! 」
ガンさんはこの時、生まれて初めて「 殺意 」というものを感じたと言って
いました。( 注:カッとなったのは事実ですが、本意ではありません )
『 10年も仕事をしたのに・・・・・たった10万円貸してくれね~のか
よォ~! 』
「 小池ちゃん、本当に殺意を持ったよ・・・・・・ 」( 苦笑)
ガンさんは、軽い冗談の様に・・・・・
「 殺してやりたい・・・って・・・・・・・人間って怖いよなァ・・・・・ 」
ジョージ先生は決してケチではありません。
何人ものアシスタントたちが。給料日前に借金を申し出れば1~2万円( 現在
の2~4万円の価値 )はすぐ貸してくれました。
そして、誰も返す様子が無くても・・・・10年以上、3~40万借りっぱなしでい
ようとも、ただの一言も「 返せよ 」とか、愚痴ったりする事はありません
でした。 ただの一度も!
なぜ、ジョージ先生が10万円を貸さなかったのか・・・・・・・それは、今でもよ
く分っていません・・・・・・・。
ただ・・・・・・
最近になって、私が小耳にはさんだ噂では・・・・・・
ガンさんが借金しようとした時、先生に・・・・・・
「 女が妊娠しちゃって・・・・・堕す金もないんです・・・・ 」
・・・・ってな話をしたとか、しないとか・・・・・・
まぁ・・・・その話の真偽はともかく・・・・・・
「 殺してやる 」と思った時から4年後には・・・・・・
「 あの時、貸してくれなくて良かったんだよ・・・ 」
・・・・とガンさんの心境が180度変わっていました・・・・!
そして・・・・・・・
連載打ち切りから多くの体験を積んだ8年後( 1985年ガンさん35歳 )・・・・・
新たな連載を引っ下げてどん底からの奇跡的なカムバックを果たします!
この話はいずれ機会を改めまして・・・・・・・
( この写真は、秋山プロに送られてくる雑誌の山です。大体1~2週間分ですが、ちょっと整理するのを
怠ると山の様に積み重なって大変な事になります。ほとんど未開封のまま処分されます。《2006年1
月撮影》 )
その28 ・・・・・・ 2006年02月10日 03時51分 (公開)
東京、目白駅から10分ほどの所に秋山プロがあります。 13階建ての白い
マンションの7階・・・・・・
昼過ぎからの仕事だというのに、私はいつも2~30分遅刻してドアを開けま
した。
肩まで届く長髪と下駄。 ひざの擦り切れた汚いGパン。 タバコのヤニで
真っ黒な歯。
度の厚いメガネの中に、まだ眠そうな目玉が浮いている・・・・・。
1978年、まだ23歳だった私は老人の様にノロノロと席につく・・・・・・。
そして、すぐ仕事をせずに、まず秋山プロの廃品同然のラジカセにズ~ズ
~しく私好みのテープをかける・・・・・。( ユーミン、イーグルス、山崎ハコ
・・・ )さらにタバコを一服・・・・・。
いつも最初に声をかけてくれるのはユミさん(仮名:吉村由美子、?出身、
自称23歳)でした。
「 今日は何にしますかァ~? 」
明るく、店屋物の注文を聞いてくれる。
誰も喋らない仕事中にユミさんだけはよく喋りました・・・・。
ほとんど、自分の好きな食べ物や趣味などの話。 後は自分が住んでいる
アパートの大家さんへの不満など、とるにたらない事を( 本人一人だけが )
面白そうに喋っていました。
私は、そのどうでもいいお喋りが大好きでした。
以前、仕事をしていたかわぐちかいじ先生の所や、他の所でも仕事中のお喋
りは、アシスタントにとってはとてもいいガス抜きになると思っていたから
です・・・・
しかし、秋山プロではユミさん以外は誰も喋りません。
ユミさんが喋らなければ、完全に沈黙が支配します・・・・何時間でも・・・・・・。
彼女が秋山プロに来たのは、1977年、私が来る1年前でした。
当時、男性ばかり5人のスタッフの中に一人の女性がやって来たわけです。
今年で52歳になるマツさん( 広島出身、当時23歳 )は、秋
山プロに入って1年目の当時( 1977年昭和52年 )を振り返って・・・・・
マツさん 「 わしゃのォ、あん頃は女がおってのォ、新入りのユミちゃん
にはあんまり興味はなかったのォ・・・ 」
私 「 じゃ、あんまり喋ったりしなかったんですか・・・? 」
マツさん 「 いやァ・・・・ ヤラせろとは言ュ~ちょったのォ・・・・・ 」
私 「 ・・・はあ・・・・・・・? 」
マツさん 「 わしゃァ、ヤル事っきゃ考えとらんかったからのォ・・・・ヤラ
せェ! ヤラせェ! ・・・そればっかヨ! 」
マツさんは、例のしゃがれ声でハヒハヒッと、小さく笑う。
暗く陰気な漫画を描く潔癖なユミさんと、ざっくばらんな広島男は、以外に
気が合ったそうです。
マツさんは・・・・・・
「 わしゃァ、気兼ねなく何でも喋れる妹みたいに思ォちょったんよォ・・・ 」
・・・・と、当時を振り返りますが・・・・・・しかし、1年後にユミさんの小さな嘘が
和やかな二人の関係にヒビを入れてしまします・・・・・
それまで、盛んに口説き続けたマツさんを笑って相手にしなかったユミさん
は、実は22歳ではなく25歳であると分ったのです・・・・・。
はた目には「 3つサバを読んだだけの事 」なのですが・・・
しかし、マツさんはユミさんを妹の様に思い、そして信じていた事が裏切ら
れたからか・・・・・1年間振られっぱなしだった恨みからか、この日を境にユミ
さんを毛嫌いする様になります。
私が秋山プロに入って来たのはそんな頃でした・・・・・。
( この写真は、東京池袋の映画館旧「文芸座」があった所です。今は大きなパチンコ店になっています。
左側に「新文芸座」の入り口もあります。《2006年2月撮影》 )
その29 ・・・・・・ 2006年02月17日 16時09分 (公開)
ユミさん( 仮名:吉村由美子、?出身、自称22歳 )が漫画家アシスタントと
して、秋山プロに入ってきたのは私が入る1年ほど前でした。( 1977年昭和
52年 )
男5人の中に突然、女性が入って来たわけです。 オオカミ( ? )たちが意識
しないフリをしていても仕事場の空気は微妙に変わりました・・・・・・。
それまでは男同士の気安さから、風呂にもはいらず、汗臭い体臭にさえ気付
かず、オナラも平気でしていたアシスタントたちが・・・・・
ユミさんが来てからは、服装にも気を付け、仕事中にオナラをしなくなった
のです。
しばらくしてから・・・・・
ある先輩アシスタントが、消しゴムを仕事中にわざと落として、ユミさんの
スカートの中を覗いているとか・・・・・・そんな噂が広まったりしました。
もっともそれは、ただのイタズラ好きのアシスタントのホラ話ですが・・・・・・。
( ユミさんとその先輩アシスタントが相当に傷ついた事は言うまでもありま
せん )
また、別の先輩アシスタントは、よく彼女をデートに誘ったりする事があっ
たそうです。
その日も彼は、ユミさんを池袋の文芸座(映画館)に行こうと誘ったのです
が・・・・・・用事があるからと断られ、仕方なく一人で文芸座へ・・・・・
館内の通路を歩いていると・・・・・他のアシスタントと一緒に来ていたユミさ
んとバッタリ鉢合わせになった・・・・・・などという話もあります。
しかし、時間の経過とともにユミさんの身持ちの堅さと極端な潔癖さに気付
いたオオカミどもは、誰も彼女をデートに誘わなくなります。
私がユミさんにちょっと屈折した感性を感じたのは、二人でコーヒーを飲ん
でいた時の事です・・・・・
会話の中で、元カレの話になります・・・・・・
ユミさん「 小池君、あたし初めてキスした時に分かったんだァ・・・ああ
・・・この人( 相手の男性 )は私を愛してはいないんだなァ・・・
・・・・って 」
自分に対して性的である相手を全て敵視する悪癖が彼女にはありました。
ところが、反面人一倍好奇心が強くエッチな事にも積極的に興味を示す
のです・・・・・・
マツさんがこの当時を振り返って語ります・・・
私 「 マツさんが初めてユミさんをデートに誘った時に、映画を
見にいったんですよね?」
マツさん「 そ~じゃ 」
私 「 その時は、映画がポルノ映画の『 肉体の○○ 』だって人から
聞いたんですが・・・・ 」
マツさん「 そりゃ~違うのォ・・・ 『 肉体の○○ 』じゃなく、『 妖精の
○○ 』じゃ。 だいたいワシがポルノに誘ったんじゃない!
ユミちゃんがこれ見たいって言ュ~たんじゃ! 」
私 「 初めてのデートで、ユミさんがポルノを?! 」
マツさん「 そうじゃ。 ホンマよ。 じゃが映画館に入って5分もせん
うちに出よったんじゃ・・・。汚らしいとか言うてのォ・・・・ 」
ユミさんは 『 妖精の○○ 』というタイトルで、清純映画と誤解したのか・・・?
私 「 汚らしい・・・・ ですか・・・・ 」
マツさん「 自分から見たいと言い出したくせに・・・・・勝手なもんよ 」
ユミさんには、性的な事は「 不純、不潔 」、禁欲的な事は「 純粋、純潔 」
なんだ、という固定観念がありました。
このことが後に秋山プロを飛び出してしまう大きな原因になります。
( この写真は、J・Aプロで夜になるとアシスタントに配られる仕出し弁当(5~600円)です。この冷
メシを毎日50代のオヤジどもが、がん首並べてムシャムシャ食うのです。《2006年2月撮影》 )
その30 ・・・・・・ 2006年02月25日 21時43分 (公開)
その頃、前回書きました様にマツさんとユミさんの関係がこじれるわけです。
私が秋山プロに入った1978年春はちょうどそんな頃でした・・・・・。
マツさんは、仕事中に話をしたり笑ったりする事がまったくありません。し
かし、お酒が入ると饒舌な広島弁が流れ出します。
ちょっと短気で( 高校時代はそうとう目立つツッパリだったそうです )無鉄砲
な所がありました。
ユミさんは、おしゃべりで明るく( 描く少女漫画は暗かったのですが・・・ )律
儀でやさしい人でした。
私が秋山プロに入って半年ほどした頃( 1978年 初冬 )、ちょっとした出来事
がありました。
それは、この二人の関係が険悪化している事が最初に分かった出来事でした
・・・・・・。
仕事開始の午後1時ごろ、いつもの様に遅刻して寝ぼけ眼の私が席へ着いた
のですが・・・・・・
ユミさんは、私に出前の注文を聞くのを忘れていたのです。 私自身も、注
文する事を忘れていていたのです・・・・・・
4~5分して、マツさんが席を立つと、ユミさんの背後へ回り・・・・・
ガッシャーーーンッ!!
一瞬、アシスタント全員が凍りつきました。何が起こったのか・・・・?
マツさんはユミさんの椅子を蹴飛ばしたのです。
音は大きかったのですが、ユミさんが怪我をするような事はありませんでし
た。
マツさん 「 注文を聞いてやらんかいッ!」
・・・・と、一声怒鳴るとそのままトイレへウンチをしに行きました・・・・・。
秋山プロに入ったばかりの私には、この二人の関係を知りませんでしたから、
いったい何がど~なっているのか、当時は全然分りませんでした。
数ヶ月前にはマツさんがしつこくユミさんに・・・
「やらせェやァ・・・・ よかろォがァ・・・・・」( 今なら完全なセクハラ! )
などと、話しかけていたのに・・・・・・
その当時、マツさんはジョージ先生から・・・・
「 おめェ~、手ェ出すんじゃねェ~ぞォ! 」
・・・・と、注意された事もあったらしいのですが・・・・・・セガレを大きくした広
島男には無駄な説教だったのかもしれません・・・・・。
ユミさんは、その後マツさんとは絶交状態に・・・・・。
そして・・・・・・
他の先輩が、自分のパンツを覗いているんじゃないか・・・・? みんなにイヤ
ラシイ目で見られてるんじゃないか・・・・? 先輩アシスタントの一人が、ジ
ョージ先生の奥さんと不倫してるんじゃないか・・・・・・・・?
・・・・・考えてみれば、バカバカしい誤解や嘘に一人で傷ついてきたユミさんだ
ったわけです・・・・・・・。
ユミさんが秋山プロを飛び出す事になる決定的な事件が起きたのは、秋山プ
ロに新しいアシスタントがやって来るその当日でした・・・・・・・・。
「 漫画家アシスタント 第3章 22年改訂版 まとめ4 」 へつづく・・・
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* 参考 *
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.............. 私(yes)のアシスタント履歴
1974年昭和49年 さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、
4,5ヶ月のお手伝いでした。 (19歳)
1976年昭和51年 かわぐちかいじ先生 この当時、氏は今ほど有名ではなか
ったのですが、背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)
1977年昭和52年 村野守美先生 漫画界一の豪傑と言われ、エピソードには
事欠きません。たった1週間しか勤まりませんでした。(21歳)
1978年昭和53年 ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリ
ジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの
主演でTVドラマ化されていました。(23歳)
2017年平成29年 ジョージ秋山プロを退社、タイ・チェンマイにて隠居中。(62歳)
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )