百年に一人の歌舞伎役者といわれる市川海老蔵のファン。
十一代目海老蔵を襲名した年、私に海老蔵取材の仕事が舞い込んだ。
「こんなことってあるのー!」。
取材日まで幾日もなかった。
海老蔵の取材は難しい、という風評があったらしく、
制作会社が歌舞伎に詳しいライターを急ぎ探していた。
後援会に入るほどの海老蔵ファンであることを、周りに触れ回っていたので、
デザイナーの友人が「誰かいませんか」と聞かれて、私を押してくれたのだ。
「受けます、大丈夫です、その日空いてます」と返事した翌日が取材日前日。
制作会社に行き、制作会社担当者、デザイナー、プランナーと打ち合わせ。
プランナーが構成見取り図を説明する。
最後の最後に言われたのは、
「最悪、話をしてくれないようなら、一問一答形式でもいいですから」と。
「海老蔵は取材で話さない」という評判が立っていたようだ。
それは推察できた。
というのは、以前大阪公演の幕後、團十郎、新之助(当時)親子を囲んで、
後援会との食事会に出席したことがあって、そのときの感じからなんとなく。
お父さんは終始にこやかに各テーブル挨拶に回っていたが、
海老蔵は遅れてやってきて、だんまり、固い表情で、早々に引き上げてしまった。
芸能人の取材はけっこう大変である。
いくら宣伝のためとはいえ、取材者は違えども同じことを聞かれたりして、
うんざりしているので、取材対象者がサービス精神旺盛な人柄か、
質問がツボにはまるかしないと、あまり積極的に喋ってくれない。
取材者の技術によるところも大いにあるのだろうが‥‥。
当日、團十郎邸近くのファミレスに関係者が集まった。
クライアントの企業側担当者、請負親会社から2人、子会社のプランナーとその上司、
海老蔵側の窓口として松竹から劇場支配人、私で計7人。
これにカメラマンと助手、制作側を入れるとなんと11人が、この仕事に加わっている勘定。
普段、カメラマンと編集者と3人で仕事、多くてクライアントがはいって4人という形態しかしらないので、
この人数だけでもプレッシャーがかかる。
クライアントから一番下の私のところまでの間に、横に漏れていくお金の多いこと!
ま、丸投げでこのようにして仕事は動いているという、見本か。
でも、海老蔵取材だからギャラなしでもいいところ。
その席でも、劇場支配人が「話さないんですよねー」と言った。
受けた当初は驚きいっぱいだけだったのが、このころには不安が増していて、
この一言がだめ押しみたく、ワァーと広がる。
でも、もう後に引けない。
で、團十郎邸へ向かう時間となった。