My Tokyo Sight Seeing

小坂やよい

青葉台 市川團十郎邸 その1

2007-06-17 12:42:04 | Weblog

百年に一人の歌舞伎役者といわれる市川海老蔵のファン。
十一代目海老蔵を襲名した年、私に海老蔵取材の仕事が舞い込んだ。
「こんなことってあるのー!」。

取材日まで幾日もなかった。
海老蔵の取材は難しい、という風評があったらしく、
制作会社が歌舞伎に詳しいライターを急ぎ探していた。
後援会に入るほどの海老蔵ファンであることを、周りに触れ回っていたので、
デザイナーの友人が「誰かいませんか」と聞かれて、私を押してくれたのだ。

「受けます、大丈夫です、その日空いてます」と返事した翌日が取材日前日。
制作会社に行き、制作会社担当者、デザイナー、プランナーと打ち合わせ。
プランナーが構成見取り図を説明する。
最後の最後に言われたのは、
「最悪、話をしてくれないようなら、一問一答形式でもいいですから」と。

「海老蔵は取材で話さない」という評判が立っていたようだ。
それは推察できた。
というのは、以前大阪公演の幕後、團十郎、新之助(当時)親子を囲んで、
後援会との食事会に出席したことがあって、そのときの感じからなんとなく。
お父さんは終始にこやかに各テーブル挨拶に回っていたが、
海老蔵は遅れてやってきて、だんまり、固い表情で、早々に引き上げてしまった。

芸能人の取材はけっこう大変である。
いくら宣伝のためとはいえ、取材者は違えども同じことを聞かれたりして、
うんざりしているので、取材対象者がサービス精神旺盛な人柄か、
質問がツボにはまるかしないと、あまり積極的に喋ってくれない。
取材者の技術によるところも大いにあるのだろうが‥‥。

当日、團十郎邸近くのファミレスに関係者が集まった。
クライアントの企業側担当者、請負親会社から2人、子会社のプランナーとその上司、
海老蔵側の窓口として松竹から劇場支配人、私で計7人。
これにカメラマンと助手、制作側を入れるとなんと11人が、この仕事に加わっている勘定。
普段、カメラマンと編集者と3人で仕事、多くてクライアントがはいって4人という形態しかしらないので、
この人数だけでもプレッシャーがかかる。

クライアントから一番下の私のところまでの間に、横に漏れていくお金の多いこと!
ま、丸投げでこのようにして仕事は動いているという、見本か。
でも、海老蔵取材だからギャラなしでもいいところ。

その席でも、劇場支配人が「話さないんですよねー」と言った。
受けた当初は驚きいっぱいだけだったのが、このころには不安が増していて、
この一言がだめ押しみたく、ワァーと広がる。
でも、もう後に引けない。
で、團十郎邸へ向かう時間となった。