今年もまた桜の季節が巡ってきた。
数年前まで花見といえば、友人の会社が主催するここ青山墓地での夜桜が恒例だった。
花見の宴を張る場所は、広い墓地の中でも桜が多く、幅広い通路のある一角で、朝から場所取りが行われる。
夕刻から仕事を終えた人たちが集まり出して、それぞれ派手に宴会している。
鉄板持ち込んでやきそば、コンロ持参で焼き鳥と、料理も人も溢れ返って、
それを盛り上げるかのように、この時期だけ通路にライトが点く。
当然回りは墓石に囲まれているわけで、そちらは薄暗がりだ。
場所を取れなかった少人数組が、通路から外れた墓石の横、暗がりの中で座っているのを見たときは、さすがに花見とは思えない光景だった。
吉祥寺・井の頭公園の桜も優雅だが、こちらの花見は若者が多くて騒がしい。
知り合いのポーランド人女性は、井の頭公園が借景のマンションに住んでいる。
日頃は静かな場所なのに、花見シーズンは毎年うんざりするらしい。
日本人男性と結婚して、すでに日本での暮らしの方が長いのだが、
日本社会、日本人、日本文化に独自の見解を持つ彼女。
ポーランド人が2人よれば、3つの意見が出るといわれる国民性だとかで無理もないが。
そんな彼女が、桜が咲いたからといって酒を酌み交わす日本人の気持が分からないという。
自宅ベランダの前方で騒音を撒き散らす、迷惑以外の何ものでもないのだろう。
あるとき私が何気なく「昨日は青山墓地で花見だった」と彼女に言ったら、
びっくりして、「お墓でしょ。人が眠っているのよ」と。
『まったく、日本人のすることは信じられない』とでも言いたそうに、あきれ返った表情。
桜を愛でることは理解できても、お酒を飲んでのドンチャン騒ぎを、しかも墓場でというのが、
信仰心の厚い外国人の彼女に理解できないのは、最なことだろう。
桜ほど、時の流れ、人の移り変わりを感じさせる花はないが、
その日本人的心情は、外国人にとっては異文化かもしれない。
「でも、お墓の下にいる人たちも喜んでると思うけど」と私は彼女に遠慮がちに言った。
人間ウオッチングの好きな私がお墓に入ったとしたら、
どれほど美しくとも桜だけ見ているのはもの足りない。
飲んだくれていてもいい、生身の人間も見ていたいと思うのだが。
(来週日曜のブログアップはお休みします。)