たいほう2

いろいろな案内の場

非線形な世界 その8 -グラナダにて―

2025-03-30 19:14:58 | ものがたり
 サルタンさんの運転でマドリードからで南下した。結構クラクションの音がうるさい国も多いが、ここは運転マナーがいいのか、ほとんど聞こえない。
 途中、ドン・キホーテの舞台となったカスティーリャ・ラ・マンチャ州を通る。ドン・キホーテは痩せ馬のロシナンテに乗ったサンチョパンサを従者にして、現実と空想を取り違えながら旅をする。ドン・キホーテはサルタンさん、サンチョパンサは私なのか。
 ラ・マンチャ州はスペイン中央部に位置し、南メセタと呼ばれる高原台地である。ここの土地はテラロッサが覆っている。「テラロッサ」とはイタリア語で「赤い土」のことである。大昔のサンゴの死骸が海底で積もって石灰岩層ができた。その地層がアルプス造山運動によって隆起し、陸化したのである。その石灰岩層の石灰に含まれる炭酸カルシウムが溶け出し、残った鉄分が酸化して赤土となった。テラロッサの土壌は余り肥沃でなく農作物の栽培にはむいていない。しかし近年、灌漑技術の発展で、オリーブやぶどうの生産が盛んになった。

マドリードからグラナダへの道。

 さらに南下する。そして遂にグラナダに到着する。途中休憩を入れて5時間の旅である。グラナダはシエラネバダ山脈の麓にあり、乾燥気候である。植物はほとんど生えてなく、地肌が見え、町は茶色を帯びている。モロッコのカサブランカとよく似た景色である。モロッコはジブラルタル海峡を挟んで向こうのアフリカにあるアラブ人の国である。気候が似ているせいなのだろうか。しかし街並みも似ている。
 これは歴史を考えると簡単なことであった。つまりスペインは長くイスラム教徒であるアラブ人が支配していたのである。キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動、レコンキスタは、718年に始まった。それ以降徐々にキリスト教国が南進し、ついに1492年スペインの最南端にあるグラナダを陥落した。これによってレコンキスタは終焉した。その後イスラム教徒は追放されたが、アラブ人の文化は破壊されなかった。古い建物は依然としてイスラム様式である。

カルタゴの町。植物はほとんど生えてなく、地肌が見え、町は茶色である。

非線形な世界 その7 -マドリードにて―

2025-03-16 18:34:07 | ものがたり
私はリヤドに戻った後、サルタンさんと別れを告げ日本に帰国した。しばらくしてサルタンさんから今度はスペインで水管理の仕事があるから来てくれないかとメールがあった。スペイン南部は地中海性気候で雨がほとんど降らない。スペインは農業国であるが、雨が少ないので水管理が重要となっている。
しかし前回の仕事の報酬をもらっていない。サルタンさんに報酬をくれるなら手伝ってもいいと返事した。しばらく返事がなかった。忘れたころまた同じメールである。報酬のことは書いていない。サルタンさんは東京工業大学で博士号を取得したが、その時の彼の同僚の話を思い出した。彼らはサルタンさんを嘘つき呼ばわりしていた。同僚の話では、博士論文の締め切り間際になってもまだほとんど完成していないので、見るに見かねて論文作りを手伝ったという。これからは私の想像であるが、サルタンさんはサウジアラビアでの儲け話かなんかを餌にして論文作りの手伝いをしてもらったのではないかと。そうだとすれば、今回の件も私に報酬など払うわけがない。

サルタンさんからのメールに対して何も返事をしないまま半年が過ぎた。するとまた同じメールである。報酬のことは今度も書いていない。スペインにはマドリードに会議で行ったことがあるが、それ以外の町には行ったことが無い。スペインを見てみたいとスケベ根性が出て、少なくとも航空代、宿泊代、食費を出してくれれば、行ってもいいと返事をしてしまった。するとすぐに返事があり、e-チケットを送ると言ってきた。

日本からスペインへの北極回りルート。

スペインへのフライトは長かった。現在ロシア上空は飛べない。ロシアを除け、南周りか北回りである。日本からスペインへ行く方向は偏西風に逆らう方向である。この時は偏西風が強く、急遽北回りとなった。日本からまず北東方向に向かい、カムチャッカ半島沖に向かう。行先とは逆方向である。そこからアラスカの西端を通り、北極海へと反転する。次にグリーンランドへと南に向かう。そしてアイスランド、イギリスを通りスペインに到着する。飛行時間は15時間である。北極を通るので運が良ければオーロラが見られるという。しかし一か八かのオーロラより、飛行時間を短くしてほしい。

サルタンさんとはマドリードの飛行場で会った。会うなり一言「ヘイユー」。何がヘイユーだ、先に金を払ってほしい。
「元気でいるよ、ところで今までの報酬の件だが、払ってくれるよね」
「ああ報酬ね。この仕事でうまくいったら払うよ」
「前回、ダンマームの仕事はうまくいって、市からたんまりプロジェクト資金が入ったと言ってたよね」
「ああ、あれは君たちが協力してくれなかったから、ぽしゃったよ」
「君たち」とは、私の相棒の藤木君のことである。彼は人工衛星画像の解析の達人で、ダンマームの仕事を手伝ってくれる予定であった。しかしその彼がある程度仕事に決着をつけた後、報酬を要求した。サルタンさんを信用していなかったのであろう。結局彼が正解で、サルタンさんは報酬を払われずじまいであった。おそらくダンマームの仕事がぽしゃったというのは噓で、プロジェクト資金を独り占めしたのであろう。私としては大した仕事をしていないので、いろいろ旅をさせてもらっているので、満足している。しかし藤木君にとってはタダ働きである。怒るのも無理はない。サルタンさんは私に藤木君をなんとか丸め込んでくれと言わんばかりである。
「藤木君は報酬をもらえなければ何も協力しないと言っているよ」
「ユーにコーディネータ役をお願いしている。ミスター藤木のことは頼んだよ」
「報酬を払わない限りそれは無理だ」
「ここまでユーを招いておいて、それは契約違反だ」
「君と契約を交わした覚えはないよ」
「いや以前Agreementを交わした」
確かに私とではなく、私が以前いた会社とサルタンさんの間で協力に関するAgreementを交わしていた。
「そのAgreementは私とは関係ない」
「今更そんなこと言っても、兎に角ここまで来たのだから、一緒にプロジェクトの可能性だけでも調べたいのだけれど」
空港で言い合いをしていたら、通りすがりの人が我々を見返す。仕方なくサルタンさんについていくことにした。車をレンタルしてグラナダまで行くという。

(つづく)

地球物理学者が語る手賀沼物語その5 ―手賀沼の農業―

2023-08-20 16:26:32 | 日記
手賀沼周辺の農業
 手賀沼は古くから埋め立てが進み、農地となっていった。さらに近年、農地は住宅地への転用が進んでいる。我孫子市は手賀沼沿いや利根川沿いに農地活用計画を策定し、農地の保全・活用及び農業の振興を進めている。図1は我孫子市西部の土地利用法規制の図である。凡例の農用地区域とは、「農業振興地域の整備に関する法律」によって定めた、住宅や店舗、工場等の開発が制限されている、つまり農業以外には利用できない土地である。


図1 手賀沼西側の我孫子市土地利用法規制の図。黒四角は写真1に映っているところ。赤い星印は写真1を撮った場所。

 手賀沼のもともとの湖岸線はハケの道と呼ばれており、湧水、湿地がある。写真1に映っている田畑は、住宅や店舗、工場等の開発が制限されている手賀沼北西岸の農用地区域である。手前がハケの道で、沼側に埋め立てて造られた田畑が広がる。


写真1 手賀沼北西岸の住宅や店舗、工場等の開発が制限されている田畑。

 この土地は埋立地であることから水はけが悪く生産性が低く、販売作物の栽培も難しい。さらに農家の高齢化が進み、担い手・後継者も育たない状況となっている。この状況を解決するためにNPO法人手賀沼トラストが発足した。趣旨は、自然と共生する地域の創造を目指し、地域住民や土地所有者の理解と協力を得ながら、手賀沼周辺の樹林地、農地や史跡などを保全することである。農家から農地の管理を任され、農業をするわけである。集まった人たちはほとんどみな農業の素人であり、失敗も多い。
 著者は農業の勉強のため、また手賀沼の研究のためこのNPO法人に入会した。完全無農薬の生産なので、雑草は半端でない。暑い日の雑草取りは辛い。それにうどん粉病などの病気にもなりやすく、カラス、コブハクチョウやハクビシンにも食われてしまう。それでも助かったすいか、トウモロコシ、枝豆、かぼちゃなど多くの新鮮な農産物を手に入れることができる。
 写真2、3は手賀沼トラストのメンバーが田んぼの周りに取り付けた手作りのかかしである。


写真2 手作りのかかし。


写真3 著者が作成を手伝ったみなしごハッチのかかし。

これでカラスから稲が守れるかと疑うが、かかし作りもまた楽しい。

(つづく)

非線形な世界 その6 -バーレーンで豪遊―

2023-05-03 16:03:19 | 日記
 ダンマームの市役所の成功に大喜びのサルタンさんと私は、車でバーレーンに向かった。バーレーンは琵琶湖とほぼ同じ面積に島嶼国である。サウジアラビアとは全長25キロメートルの橋で繋がっている。日本で一番長い橋は東京湾アクアラインのアクアブリッジで、4.4キロメートルである。これの何倍も長い橋を時速100キロメートル以上で突っ走る。まるで海の上を滑っているようだ。


バーレーンへの橋、キング・ファハド・コーズウェイ

 わずか15分ほどでイミグレーションのあるウムアンナサン島に到着した。サルタンさんは車を降りてイミグレーションへと向かった。暫くして車に戻り、そのまま私を乗せて本島へと向かった。
 私は日本人でサウジアラビアからの入国なので、本来は手続きが必要なはずである。しかし何も手続きをせず入国できた。これは不法入国なのだろうか。
 サルタンさんはバーレーンには何度か来たという。お目当ては会員制のクラブであった。


バーレーンのクラブ
 
 バーレーンでは一部のホテル・レストランで飲酒が許可されており、また酒類の販売店もあることから、中東では、飲酒について比較的寛容な国と言われている。訪れたクラブも飲酒ができる。レストランのテーブルに座ると早速ワインをオーダーした。周りに座っている客の大部分は英国人だという。
 1本、2本と杯を重ねる。最後はへべれけである。酒を飲んでいることは奥さんには内緒にしているそうだ。当たり前だ。外国人はともかくとして、イスラム教の信者がこんなに酒を飲んでいることがあからさまになったら大変なことになるはずだ。
 クラブ内の部屋を予約したから寝ようと促してきた。まだ明るいが、彼に従ってベッドに入った。するとすぐに寝てしまった。
 2-3時間寝たのか。サルタンさんが私をたたき起こす。すぐにリヤドの戻ると言う。あたりは真っ暗になっていた。

(つづく)

非線形な世界 その5 -ダンマームのマングローブ―

2023-05-01 14:40:00 | 日記
 ダンマームに着いたのはもう夕方であった。ダンマームはリヤドより埃っぽくない。多分海岸に近いためだと思う。早速海沿いに行く。目の前はペルシャ湾である。その海沿いにはマングローブが生い茂っている。しかし東南アジアにあるマングローブと比べとても立派とは言えない。

ダンマームの海岸に茂るマングローブ

 サルタンさんはマングローブを見つけると興奮しはじめた。マングローブ林の中を歩く若者たちに何をしているのか訊く。すると魚捕りをしていたとのことである。それを聞くとサルタンさんはまた興奮する。マングローブ林の中は魚介類がたくさん生きている。このマングローブを守らねば、という思いが彼を興奮させるのだろう。

 翌日訪れた先はサウジアラビア東部地区の市役所であった。

東部地区の市役所

 ビルの中に入るとサルタンさんは歩きながら私にお説教口調で、「自信たっぷりの態度で、質問に対しては分からないとは言うな」と言う。これから何が起きるのか。扉に市長室と書いてある部屋の前で立ち止まった。そして私を廊下に残し、部屋に一人で入っていく。扉の隙間から若い紳士が見えた。サルタンさんは中でその紳士と何やら話をしている様子である。しばらくして部屋から出ると私に「少し待とう」という。
 廊下で3-40分待ったか。すると中にいた紳士が現れ、私たち二人を部屋に案内した。中に入ると数名の紳士がいる。中央には市長らしき人物が座っていた。
 サルタンさんはアラビア語で、今まで見せたこともない真剣な表情で話を始めた。暫くして私に説明するよう促す。
 20分ぐらい都市の緑化構想について話をした。時々サルタンさんがアラビア語で補足説明を加えた。私の説明が終ると質問攻めにあった。「自信たっぷりの態度で、質問に対しては分からないとは言うな」というのはこの時なのだと悟った。分からないことでも、分かったふりをして答えた。
 質疑が終わると、部屋の外で待つように言われた。サルタンさんと部屋を出、また数十分廊下で待った。再び部屋に呼び戻された。今度は部屋の中には市長らしき紳士だけであった。どうやら部屋と部屋の間は廊下に出なくても行き来ができる構造になっているようである。市長らしき紳士はサルタンさんに笑顔で話をする。するとサルタンさんは両腕を広げ、その紳士と抱擁を始めた。次は握手攻めである。しばらく握手をしたまま話を続けていた。
 部屋を出るとサルタンさんは有頂天である。我々の緑化構想が認められたとのことである。早速お祝いに行こうと言う。

(つづく)