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いろいろな案内の場

地球物理学者が語る手賀沼物語その5 ―手賀沼の農業―

2023-08-20 16:26:32 | 日記
手賀沼周辺の農業
 手賀沼は古くから埋め立てが進み、農地となっていった。さらに近年、農地は住宅地への転用が進んでいる。我孫子市は手賀沼沿いや利根川沿いに農地活用計画を策定し、農地の保全・活用及び農業の振興を進めている。図1は我孫子市西部の土地利用法規制の図である。凡例の農用地区域とは、「農業振興地域の整備に関する法律」によって定めた、住宅や店舗、工場等の開発が制限されている、つまり農業以外には利用できない土地である。


図1 手賀沼西側の我孫子市土地利用法規制の図。黒四角は写真1に映っているところ。赤い星印は写真1を撮った場所。

 手賀沼のもともとの湖岸線はハケの道と呼ばれており、湧水、湿地がある。写真1に映っている田畑は、住宅や店舗、工場等の開発が制限されている手賀沼北西岸の農用地区域である。手前がハケの道で、沼側に埋め立てて造られた田畑が広がる。


写真1 手賀沼北西岸の住宅や店舗、工場等の開発が制限されている田畑。

 この土地は埋立地であることから水はけが悪く生産性が低く、販売作物の栽培も難しい。さらに農家の高齢化が進み、担い手・後継者も育たない状況となっている。この状況を解決するためにNPO法人手賀沼トラストが発足した。趣旨は、自然と共生する地域の創造を目指し、地域住民や土地所有者の理解と協力を得ながら、手賀沼周辺の樹林地、農地や史跡などを保全することである。農家から農地の管理を任され、農業をするわけである。集まった人たちはほとんどみな農業の素人であり、失敗も多い。
 著者は農業の勉強のため、また手賀沼の研究のためこのNPO法人に入会した。完全無農薬の生産なので、雑草は半端でない。暑い日の雑草取りは辛い。それにうどん粉病などの病気にもなりやすく、カラス、コブハクチョウやハクビシンにも食われてしまう。それでも助かったすいか、トウモロコシ、枝豆、かぼちゃなど多くの新鮮な農産物を手に入れることができる。
 写真2、3は手賀沼トラストのメンバーが田んぼの周りに取り付けた手作りのかかしである。


写真2 手作りのかかし。


写真3 著者が作成を手伝ったみなしごハッチのかかし。

これでカラスから稲が守れるかと疑うが、かかし作りもまた楽しい。

(つづく)

非線形な世界 その6 -バーレーンで豪遊―

2023-05-03 16:03:19 | 日記
 ダンマームの市役所の成功に大喜びのサルタンさんと私は、車でバーレーンに向かった。バーレーンは琵琶湖とほぼ同じ面積に島嶼国である。サウジアラビアとは全長25キロメートルの橋で繋がっている。日本で一番長い橋は東京湾アクアラインのアクアブリッジで、4.4キロメートルである。これの何倍も長い橋を時速100キロメートル以上で突っ走る。まるで海の上を滑っているようだ。


バーレーンへの橋、キング・ファハド・コーズウェイ

 わずか15分ほどでイミグレーションのあるウムアンナサン島に到着した。サルタンさんは車を降りてイミグレーションへと向かった。暫くして車に戻り、そのまま私を乗せて本島へと向かった。
 私は日本人でサウジアラビアからの入国なので、本来は手続きが必要なはずである。しかし何も手続きをせず入国できた。これは不法入国なのだろうか。
 サルタンさんはバーレーンには何度か来たという。お目当ては会員制のクラブであった。


バーレーンのクラブ
 
 バーレーンでは一部のホテル・レストランで飲酒が許可されており、また酒類の販売店もあることから、中東では、飲酒について比較的寛容な国と言われている。訪れたクラブも飲酒ができる。レストランのテーブルに座ると早速ワインをオーダーした。周りに座っている客の大部分は英国人だという。
 1本、2本と杯を重ねる。最後はへべれけである。酒を飲んでいることは奥さんには内緒にしているそうだ。当たり前だ。外国人はともかくとして、イスラム教の信者がこんなに酒を飲んでいることがあからさまになったら大変なことになるはずだ。
 クラブ内の部屋を予約したから寝ようと促してきた。まだ明るいが、彼に従ってベッドに入った。するとすぐに寝てしまった。
 2-3時間寝たのか。サルタンさんが私をたたき起こす。すぐにリヤドの戻ると言う。あたりは真っ暗になっていた。

(つづく)

非線形な世界 その5 -ダンマームのマングローブ―

2023-05-01 14:40:00 | 日記
 ダンマームに着いたのはもう夕方であった。ダンマームはリヤドより埃っぽくない。多分海岸に近いためだと思う。早速海沿いに行く。目の前はペルシャ湾である。その海沿いにはマングローブが生い茂っている。しかし東南アジアにあるマングローブと比べとても立派とは言えない。

ダンマームの海岸に茂るマングローブ

 サルタンさんはマングローブを見つけると興奮しはじめた。マングローブ林の中を歩く若者たちに何をしているのか訊く。すると魚捕りをしていたとのことである。それを聞くとサルタンさんはまた興奮する。マングローブ林の中は魚介類がたくさん生きている。このマングローブを守らねば、という思いが彼を興奮させるのだろう。

 翌日訪れた先はサウジアラビア東部地区の市役所であった。

東部地区の市役所

 ビルの中に入るとサルタンさんは歩きながら私にお説教口調で、「自信たっぷりの態度で、質問に対しては分からないとは言うな」と言う。これから何が起きるのか。扉に市長室と書いてある部屋の前で立ち止まった。そして私を廊下に残し、部屋に一人で入っていく。扉の隙間から若い紳士が見えた。サルタンさんは中でその紳士と何やら話をしている様子である。しばらくして部屋から出ると私に「少し待とう」という。
 廊下で3-40分待ったか。すると中にいた紳士が現れ、私たち二人を部屋に案内した。中に入ると数名の紳士がいる。中央には市長らしき人物が座っていた。
 サルタンさんはアラビア語で、今まで見せたこともない真剣な表情で話を始めた。暫くして私に説明するよう促す。
 20分ぐらい都市の緑化構想について話をした。時々サルタンさんがアラビア語で補足説明を加えた。私の説明が終ると質問攻めにあった。「自信たっぷりの態度で、質問に対しては分からないとは言うな」というのはこの時なのだと悟った。分からないことでも、分かったふりをして答えた。
 質疑が終わると、部屋の外で待つように言われた。サルタンさんと部屋を出、また数十分廊下で待った。再び部屋に呼び戻された。今度は部屋の中には市長らしき紳士だけであった。どうやら部屋と部屋の間は廊下に出なくても行き来ができる構造になっているようである。市長らしき紳士はサルタンさんに笑顔で話をする。するとサルタンさんは両腕を広げ、その紳士と抱擁を始めた。次は握手攻めである。しばらく握手をしたまま話を続けていた。
 部屋を出るとサルタンさんは有頂天である。我々の緑化構想が認められたとのことである。早速お祝いに行こうと言う。

(つづく)

スイスの物価はなぜ高い(ジュネーブ便り3)

2023-02-17 18:21:51 | 日記
スイスに来て、まず驚いたことは物価がすごく高いことです。ホテルは、日本のビジネスホテル程度の広さでありながら、150フラン(1フラン約85円)以上です。昼食では少なくとも15フランは払わなくてはなりません。庶民が利用するスーパーで扱う商品のほとんどが、日本のデパートの地下にあるマーケットより高いです。なぜこんなに高いのでしょうか。それは人件費が高いことだと指摘されていますが、むしろスイス国民が国の安全保障や環境保護にお金を払うことを厭わないからと思います。

スイスは、第1次世界大戦後、食料自給率を上げるため、輸入制限、輸出補助金などの保護政策をとったことは「ジュネーブ便り2」で述べました。それはかなり成功したのですが、しかし1990年代になると、周辺国からスイスの保護政策に対して反発がおき、これらの圧力に妥協せざるを得なくなりました。

そこで1996年には、新しい農業政策への移行のため国民投票が行われました。国民の意思で、保護政策を見直し、さらに環境保全にも重点を置くことになりました。新しい農業政策の柱は、(1)食料の供給、(2)自然生活基盤の維持、(3)農村の景観保全、(4)地域分散居住、です。つまりスイス人は、価格を下げることよりも、安全性、環境保護を優先したのです。将来のための政策ともいえます。

ジュネーブは、バス、トロリーバス、電気で動くトラム、列車といった公共交通が縦横無尽に走り、自動車が無くても暮らせます。バスの専用道路があり、渋滞しません。また改札が無いので、乗り降りがスムーズで、その分早く移動できます。観光客はホテルで配られる無料券で、滞在期間中好きなだけ公共交通を利用することができます。自転車専用道路が整備され、自転車通勤はごく一般的です。これらの政策は自動車を少なくし、環境を守り、観光産業を育てようというものです。



マッターホルンの麓の町ツェルマット(写真)では、環境保護のため、自治体の条例により自動車禁止です。市街地を走るのは電気自動車と観光用の馬車のみ。電気自動車は、エネルギー収支比が低く、エネルギーの観点からは得策でなく、また価格も高いものです。しかし電気自動車の生産地は別なので、ツェルマットへの排気ガスの影響はほとんど無くなります。つまり高くても環境保護を選んだのです。

将来のためにお金を使うスイス人。安い中国産に飛びつく日本人。お金でなんでも買えるかもしれませんが、その使い方によって買えるものが違ってくるのだと思います。スイス人の生き方は、モノを作ると同時に、後始末もするというもので、価格は上がりますが、将来も買えます。それに対し消費至上主義では、モノを安く大量に作ることに専念し、後始末は価格上昇につながるのでほどほどにということで、今は良いのですが、将来は「ケセラセラ」、「なるようになれ」、です。

2011年12月10日に書きました。

スイスのパンがまずいのはなぜ? (ジュネーブ便り2)

2023-02-05 17:19:12 | 日記


 スイスの物価は高いので、よく安いフランスで買い物をします。ジュネーブはフランス国境までトラムとかバスで20-30分と近いので、国境を渡ったフランス側にある市場へ出かけます。確かにフランス領のパン屋さんで買うと、クロワッサン、バゲットなど、スイスのより格段に美味しいです。この理由は、スイスの国家安全保障政策と関係がありました。
 スイスは永世中立国で、軍事的な同盟国がないため、他国からの軍事的脅威に遭えば自国のみで解決しなければならないことは「ジュネーブ便り1」で述べました。そこで危機に備え、食料の備蓄を熱心に行っています。また核シェルターが、住宅やオフィスビルに備え付けられているそうです。
 スイスは、第1次世界大戦以前、穀物は自給できず、輸入に依存していました。第1次大戦が終わると、穀物は不足し、配給制になりました。国家安全保障の危機を感じ、これを契機に酪農に偏っていたスイスの農業を穀物、野菜の増産へと変換していきました。
 具体的な政策は、農用地の義務的耕作、買取保証、価格助成、輸入制限、輸出補助金などです。これによって高収入が保証され、小規模経営が存続し、国土の分散的居住が維持されました。この結果自給率は上昇し、例えばパン用小麦は1920年代では25%だったのが、1980年代半ばにはほぼ自給できるようになりました。しかしこれはパン用小麦に限り、全体の食料自給率は上昇したのですが、それでも50-60%です。
 低い自給率の対策として、1982年「国家経済物資供給に関する連邦法」が公布され、食料の備蓄政策がはじまりました。戦争・自然災害・原発事故・化学事故・経済危機等の緊急事態を想定して、国民一人当たりの食料供給目標を、2,300kcal/日(摂取ベース) とし、パン用小麦・米・砂糖・食用油・コーヒー・お茶・飼料・肥料・種子等を、全国民の平均6か月分備蓄するというものです。連邦政府と民間企業による備蓄だけでなく、家庭でも、小麦、パスタ、砂糖、食用油等の基本的な食料品を、2カ月分備蓄することを奨励しているそうです。
 政府が買い上げた備蓄品は、その後、流通業者に安く払い下げられますが、巷では、古くなった備蓄放出品の小麦粉で作るから、スイスのパンはまずいのだといわれています。作り方の問題ではなく、結局原料の品質の違いが理由だったようです。
 危機の時、まずいパンでも耐えられるスイス人。低い食料自給率でも平気なグルメ志向の日本人とは大違いですね。しかし、3.11の時、多くの人が買いだめをしました。この行為については避難囂々でした。スイスに見習えば、起こってからでなく、事前に危機に備え2か月分の食料を恒久的に備蓄する、ということでしょうか。

2011年11月30日に書きました。