「クランと僕」の続編をどうぞ。もともと前作で完結となる話だったが、読者の強い要望があって前編から10年ぐらい後に書き上げたと言われます。
主人公たちの心の変化を感じながら呼んでいただければと思います。
クランとツァンバ
初雪に故郷に帰った。悪名高い申年の前触れ、秋早々に大雪が降ったのだ。しかしオノン川のほとりの木々は葉が落ちきれておらず、雪の中で赤いでいた。僕は休暇を取って来た暇人だから村を出て、知り合いの家を回り、猟師たちについて山を歩き、“(生れ)落ちた土地、(生まれて初めて)洗い流した水”をも訪れ、臍の緒を埋めた石も見つけて、戻る途中に雪が降った。
僕はジレム山を越え走りながら、この大雪に人も家畜も困りはて、また雪害になるのではないかと恐れていることや最近自然界がなんだかおかしいといったことを考えていた。二十何年前この山をクランと一緒に走っていて、黄色い目のツァンバに妬まれ馬から引き摺り下ろされたことを思い出すと、時の流れは速いものだ。黄色い目のツァンバとクランについてはたまに聞くことはあったが、顔を合わせることなく今に至った。大金持ちになったと聞く。クランは若いころから家事や家畜の世話に追われてあまりに早く朽ちてしまい、以前の美しさはもう残っていないと聞く。
クランに会いたいと思っていた。黄色い目のツァンバがチンギスハーンに思えていた遠い昔20年前にクランと話し合ったこと、夢見たことに何一つ現実になったものはないが、ツァンバへの妬みが僕に男の勇気や決断力をくれたのかも知れない。とにかく、今の僕は彼に面と向かって悪くも良くも言えるようになっていた。しかし、躊躇してツァンバの元に残ったクランの今の姿が目に見える感じもした。しかし、あれこれ考えながら、このジレム山でまたクランに出会うと思ってもいなかった。何か目に見えないものが手伝って、夢が急に実現することもある。そもそも四十何年前に臍の緒を埋めて置いた赤い石を見つけ出せるとも思わずにいながら見つけることができた。
峠を越えてすぐ遠く下の方に白い犬を連れた馬車の人が降っているのを見かけた。追い着いてみるとクランだった。僕をわかっているような、わからないような顔をした。おでこを隠して巻いたストールを少しうずめて僕を見る。「あら、サンピル!どこから出てきたの?」とうれしくも驚いた声。艶のあった額に皴ができて色あせ、きれいな白い歯は金歯に変わっていた。目だけ、昔のまま、若いときの活気ときらめきを、美しい女だったことを忘れたくないという意地が見えた。だがクランは僕になんとも愛しく懐かしく思えた。彼女の若いころを、僕はあまりにもよく知っている。恵まれない家の子がお金持ちの嫁に来て幸せも不幸もわからなかっただろう。祭りになれば絹を着、駿馬を乗りまわすことは若く美しいころは心を奪われるものである。クランはその優しさと従順さのため人生の縛りから解放されることができずこうなってしまった。僕もあのころあまりにも未熟で幼稚だった。たった17歳、何ができたろう。一人前の男だったならクランを別の道へ連れ出すこともできたろうに。
クランは自分の日常を話してくれていた。どんよりしてまた雪が降りそうな空、オノン川は鉛のようなこわばった冷たい色をしてゆっくり流れる。
「ツァンバは仲間と猟に行った。うちは、猟犬と牛だけは多い、そんな家。仕方ない、どうせ人生こんなふうに終わるんだわ。」
「ネグデル*に入ってないんだ?」
「入ってない。ツァンバは木工工場の倉庫係をしている。」
「仕事しているのに、どこでそんな猟犬と牛を育てる暇があるんだ」
「そうなのよ。私が全部遣り繰りしている。牛は家畜の少ない家に配って見てもらっているの。今その賃金を配ってきたところ。これで財産を隠しているつもり。銀行にある貯金は私にも隠してる。」
クランのこの言葉に僕はあ然とした。何年も一緒に暮らしてきた人のことではなく誰か他人の話をしているようだった。自分はその家の奥さんではなく、ただ居候している人間のような感傷もない口調だった。僕は大きな黒い悲しみに包まれてしまった。
「クラン!」と僕は悔しさと苛立ちのあまり泣きたくなってよそを向いた。一人前の男になって僕はクランと同い年になったみたいだった。でも、名前で呼ぶのがなぜか苦しい。僕はこらえきれず
「クラン!あのころ僕たち、このオノン川の辺でいろいろ話したし、一緒の時間を過ごしたよな。覚えている?」といった。
「覚えているよ。あの時、今と違って若かったね。あなただって、まだほんの子供だった。」と言ってうっすら笑った。
「チンギスハーンに馬から引き摺り下ろされて泣くくらいだから、男だなんて言えたもんじゃなかったね」
「それでも、あなたは馬の扱いが上手だったわ。」クランは笑った。若いころと変わらない元気で清らかな笑い声が、雪に覆われた木々にもこだましたように思えた。でも、その日、人の笑い声どころか銃声さえもこだまをうたないような日だった。クランが笑うと僕の気持ちが晴れ、湿気と寒さで疲れ果てた僕の馬も目が光り、耳を立てた。人間は悲しい時に走らたがらない、うれしい時に走りたがることは家畜にだってわかる。
あれこれ話をしているうちに彼女の家に着いた。村の端っこに庭を囲い、家を建てており、この冬は大きな白いゲルに暖房して住んでいた。上座に鮮やかな模様のアワダル(大きなの木箱)が何個か、ゆったり寝るのが好きな人が考えただろう昔風の大きな鉄枠のベッドが2つ置かれている。絨毯や座布団を隙間なく敷いた家だった。クランの美しさと若さ、夢と希望があの何個かの箱に永遠に閉じ込められたような気がした。
クランはご飯を作り、蒸留酒を出してくれた。熱燗を2,3杯飲んで、勇気がわき、チンギスハーンこと黄色い目のツァンバが猟から帰ってきたらどう迎えようかと考えていた僕は、彼がもし前と同じように脅かすような真似をしたら、“下がってなさい!他所で隠した牛の肉を食って静かにしてればいいんだ!”と暴れてやりたくなった。
「ツァンバさんはまだ競馬を調教している?」と聞いてみると、
「もうやめたよ。そんな余裕なんてもうなくなったもの。」とクランは言う。“そうだ、これが変わり行く世の中だ。優しさと厳しさ、美しさと醜さ、互いにすれあい、結局互い力尽きる。これで人生が終わる。箱に金銀を、外に家畜を貯めて、隠そうと一生懸命になっているうちに世が尽きる。”と僕は思った。“終わった、終わっちまった”とため息つくと、
「サンピル、若いころ歌うまかったよね。歌って!」とクランが頼んだ。僕は子供のころから好きな「エル・ボル・ハルツァガ」を歌った。
「エル・ボル・ハルツァガ、鷹は翼が強い
若く元気なころはなんて愚かだったろう…」 クランは俯いて涙を拭いた。
外で犬が吠えた。クランは酒を注ぎながら
「ツァンバが来た」と知らぬ顔をしている。若いときは、「ツァンバが来た」と言ったらこうしてはいられなかったのに。夫の乱暴さに恐れながら耐えて生きるのが楽しいのか、夫に殴られないと気が済まない、怖くて乱暴な男が好きな女もいる… こん畜生!僕はもう暴れだしてもいい状態になっていた。
戸が開け、まずは3匹の白い犬が舌を舐めながら入ってきた。その後ろをツァンバが入ってきて犬を追い出して僕に挨拶をした。僕を全く覚えていないようだ。チンギスハーンを思わせるものが何一つなかった。ただの太ったおじさん、「なんてひどい雪だ。山は一歩も歩けない。雪害はもう来ちまったな。やっと雌猪一頭倒しただけだよ…」とぶつぶつ言いながら銃を掛ける。もう彼に暴れる必要もなかった。
クランは僕を送ってくれた。馬繋ぎで僕は彼女の手を握り「じゃあね」と言った。
「戻る前に寄って行ってね」
僕は「はい」も「いいえ」も言わず馬に乗り走り去った。
翻訳:yanzaga
*コルホーズ/旧ソ連の集団農場に同じ
本文モンゴル語で
「人間は悲しい時には走りたがらない、悲しい時には、、、、、家畜も同じ」はなるほど。 「嫉妬が勇気と決断力を、、、、」「結局互いに力尽きるこれで人生が終わる」等、私の好きな「日常の中の普遍性」があちこちに見えて、人気のある作家であるのわかる気がする。
特に、年を重ねた今、、、だから。若い人にも、共感されるのですか。
この作家(S.Erdene)はやはり逸材と呼ばれるだけあって、いろいろな年齢層の人に人気です。
(正確には良くわかりませんが)1940年代生まれで、5(?)年前に他界したけど、同年代の人にも今の若者にも読まれています。時代の背景が違えど心理的、人間的な部分は誰からも共感が得られるのだと思います。
yanzaga様の紹介を見て、本屋に行って見たら
’S.Erdeneの優秀小説集’という本があって(モンゴル語で)、一冊かって読み始まりました。(モンゴル本を読むと計画がやっと始まりました)
第一がクランと僕という小説があって、すばらしい小説でした。
yanzaga様がこんなモンゴル風で通訳するとはすごい。
yanzaga様が年が私と同じぐらいと思いますが日本語とモンゴル文学をこんな深く理解できてるとすごい。
私の偶像です。
その前私が日本語勉強するために毎日googleニュースランキングで経済ニュースと科学ニュース見たが今から文化作品見たほうがいいかと思います。
三十歳前に日本語をよく勉強できるかと思ったが(仕事が忙しいが)できるかな。
それでyanzaga様が勉強してる専門は何ですか?
理科(算数、理学など自然科学)か文科(文学、言語など)か。
これでクランとツァンバでちょっと質問したい。
サンビルさん(作家)がクランの家で話して、飲んでるところツァンバさんが帰ってきた。まだちょっと話してからサンビルさんが出たがサンビルさんが出るまでサァンバさんがあの人がサンビルと知ったか。(クランさんが紹介したか。ツァンバさんが家に入るとき)
クランと僕第三集を楽しみにしています。
S.Erdeneさんの小説、いいですよね。やっぱりすごいですね。「クランと僕」以外に好きな小説なんですか?(Hairiin narsan togol, Narangarwuuとか)
翻訳に関して、ほめていただいてほんとうに恐縮ですが、ぜんぜんまだまだです。言葉の微妙なニュアンスを違う言語で伝えるのは本当に難しいものです。日本語だけを読んだ人にどういう風に伝わっているか私にはわかりませんから。
私の研究分野は文化です、文化と言葉の関係について、文学の中の色彩表現という研究をしています。研究していて自分の未知、未熟さに毎日気付かされるこのごろです。今までもっと積極的に勉強すればよかったと後悔するばかりです。過ぎたものはどうしようもなく、これからがんばるしかないですけどね。
さて、ツァンバさんについてですが、サンピルのこと最後までわからなかったんじゃないかしら。サンピルもきっとツァンバが来てからすぐに帰っただろうし、ツァンバがサンピルのことがもし分かったとしても、何もおこらなかったと思います。だって、狩から帰ってきて、家に知らない男が飲んでいるのを見ても何も言わない「ただの太ったおじさん」になっていましたし。(20年前ならきっと、こいつ誰?!とか言って暴れまわったはすなのに)クランもサンピルのことをツァンバにわざと紹介するようなことはしないと思います。サンピルはクランにとって心に大切にしまっておきたい“思い出(?)”ですから。
続々編を読めばもっとはっきり分かると思います。待っていてくださいね。