元既修ロースクール生の日記

他学部出身社会人がロースクール既修者に。日々のナキワライ♪とその後

価値と理論教育

2005-08-30 23:22:08 | 勉強

価値って難しいねぇ。

「いい・わるい」よりも、「それよりこっちのが大切」ってのは理由をきちんと説明しようとすると上手くできなくって、「だって、そうなんだもん」ってなりがち。

だって、好きなんだもん。
だって、欲しいんだもん。
だって、だって、だって。

けど、それじゃぁ裁判が成立しないのです。

みんながみんな同じ「だって」を持ってないんですから~。

というわけで、とりあえず「はいよ」っていってもらえる「だって」を探さなくてはいけなくって、これをロースクールでは理論教育と呼んだりします。

すごいつかれるんですよ、これ。

時々は

2005-08-29 02:29:56 | 日々のこと

最近、ちょっとお疲れなことが多い。
肉体的にっていうより、気持ち的に。

なんか、周りから期待される自分を演じすぎっていうか、もう少し、自分勝手にやったほうが自分もラクで、結局長続きして、いいんだろうなぁ。どうも性分としてなにかにつけ放っておけないことが多くて、ついつい関わってしまう。それで、だんだんそっちに引き摺られて、消耗してしまうっていう感じ。

引きこもりたいっす。ショージキ。失踪したいよ。

ま、自分に対するプライドっていうか、責任っていうか、自分に対する関係でテスト勉強は手を抜かないようにしますけどね☆

空っぽの権利

2005-08-28 02:18:58 | 勉強

憲法14条は空っぽの権利なのではないかと言われたりする。
権利侵害が侵害として成立するなら、その権利侵害で争えばすむのであり、わざわざ”平等”なんていって権利がきちんと保障されてる他人を巻き込まなくってすむからである。けど、誰の権利も侵害しているとはいえないけど、やっぱり権利が保障されてるとはいえない状態も存在するとすれば、平等として論じるしかないってことになる。では、そんな状態は本当に存在するのだろうか。

保障される権利に複数のパターンが認められる場合、どうしてそんな違いがでるのか。やっぱり平等が害されてるとしかいえないんじゃないかって、そういうときがあるだろうから、14条はやっぱり必要かもね。典型的な場合は人種だってよくいわれるらしいんだけど、これはまだ今ひとつピンとこない。要は、奴隷として扱うことが認められる人種があった、すなわち、権利の保障パターンが人種によって違ったなら、これは、権利の保障の有無が問題なんではなくて、そもそもどうしてそうやって権利の保障に差異が認められるのかが問題になる。で、14条。

テスト超直前期に突入します。なのに、昨日は、大学時代の友達の集まりに行ってました。みんな家を建てたり、親になってたり、夫婦になるめどをつけていたり。楽しかったわ~。

ブログの更新がちょ~っと滞るかも♪


日本脱出☆

2005-08-26 23:52:41 | ロースクール

海外旅行に行く友達多数。

わたしも行きた――――――――い!

向こう10年のうちの数年間は海外で仕事をしたいと思っているんだ。
資格はいわば保険であり、パスポートでしかない。

いつでも日本で生活をしていかれるっていう保険であり、
自分が実社会でツカエル人間だってことを証明するためのパスポート。

海外勤務の候補地は、ジュネーブ、パリ、NY、Washington DC、マニラ。
なぜ???
それは、それは、それは・・・
就きたい、就くために頑張れそうな仕事がここにあるからさ♪

いけっ!

2005-08-25 23:55:08 | 日々のこと

たまりにたまったストレスをエネルギーに変えたい。
燃費のよい精神状態にはまれよ、自分!

前向きな状態こそ、自分が本当に望むもの。
成功へと着実に近づいている感覚はとても気持ちがいいもの。

楽しんでしまぇ!
これは、ゲームだ!!

Ally McBeal

2005-08-24 05:36:30 | 日々のこと

ツタヤの200円レンタルでシーズンⅢの最終巻とシーズンⅣ1巻を見てしまった。
昨日の23:00頃から見始めて、気づけば朝の5:30。

もう、寝てる暇ないよね。。。

このリフレッシュでたまってたストレスとはさよなら。
今日はがんばって勉強するか♪

判例

2005-08-23 23:22:55 | 勉強

判例ってのをどう捉えるか。

1.将来の日本の判例をリードしていかれることを目標の射程にいれ、これまでの判例に対する批判・評価を自らなすことができるために、検討の対象とする。

2.判例の実務における重要性を前提として、自分が法曹実務家となり、裁判で争っていくために判例を十二分に理解し、その上で互角に戦えるよう批判・評価はひとまずおいておき、判例の正確な理解に努める。

3.学者の先生方の論ずる学説と同列に捉え、学説との比較を通して、判例の意義を考える。

4.学説による枠組みを前提として判例を分類し、先例の理解に努める。


個人的には、判例ってのは、仕事として法律に則った解決策を示さなくてはいけない裁判官が書いたものなので、学説と同列に捉えるのは無理があると思うし、統治機構の一部としての裁判所がする判決は新しい事件に対する解決策は時代によって変遷するものなので、学説を前提とした判例の分類は無理が生じるのは自明だろうし、無理が生じない枠組みというのは変化を前提としているわけで、枠組みとはいえないのではないだろう。

結論としては、判例を批判・評価の対象と捉えるかどうかは別として、判例の正確な理解をすることが一番重要なのだろう。理解していれば、その応用も、批判も自然とできるものなのだから。

やらなくっちゃ☆

2005-08-22 23:21:25 | ロースクール

勉強、しなくちゃ。
って、思ってるだけ・いってるだけ・念じてるだけ
じゃなんの解決にもならないので、
明日から勉強会に参加します。

今日から学校が再開っていう気分です。

みなさん、がんばってますか。

定期試験

2005-08-21 23:17:59 | ロースクール

テストがもう少し。
学校のテストなんてすっごいひさびさ。
感覚としては、中学校のテストに似てる気がする。
間違っても学部のテストと比較してはいけないみたい。

中学時代の初心に帰って勉強してみようかと思います。

「ふつう」=「通説」

2005-08-20 23:41:00 | 勉強


法律の世界での「ふつう」は「通説」と呼ばれます。
「ふつう」とはいえないけど、ある程度認められている考え方は「有力説」と呼ばれます。
「あぁ、そういう人もいるよね~」みたいなのは、「少数説」と呼ばれます。

で、社会一般がそうであるように法律の世界でも主流となる考え方は時の流れとともに変化していく。ただ、あまりに従来からの考え方が強いと、それを変えていくのはとても時間がかかるし、表面だけを見ている人には底のほうで起きている変化には気づかないかもしれない。

今日やってた憲法はそういうイメージが強い。芦部センセっていう人がいて、この人が打ち立てたものが当時としては画期的だったために、それによって立つ人が多くて、そうなるとそれでいいんじゃ~ん、みたいな感じでそれからあんまり変わっていない。

ように見える。

でも、違うんだなぁ。変わってるんですよ、きちんと見てみると。
それを理解するのは、これまで見過ごしてきた人にとっては、理解するだけでしんどい。年を取ると保守化するっていうのは、意外とこういう単純な理由によるのかも。

ま、近日中に理解する予定です。