新司の短答の問題を見て、
「まったく、しょ―もない問題出して!」
と、いっている人がいた。
こんな、六法見れば分かるような問題を出して、
それでなにがわかるんだ!?そんなことで、なにが分かるんだ!?
もっと、別の尺度で法律家としての適正を図れっていいたいのだろうなぁ。
見れば分かるようなことを答えられなくっても、
プロとして、仕事していくことを、正面から認めてくれ、
国家資格としての法曹資格をくれと、そういうことになりかねないんだけど、
そこまで、考えてるのかなぁ。
薬剤師が聞かれた薬について答えられたり、
小学校の先生が教科指導や学級運営できたり、
医者が本を見なくても症状から病気を診断できたり、
アナリストがチャート特性に基づいた分析を示せたり、
税理士が条文を見なくてもどういう仕組みなのか説明できたり、
ダンスのインストラクターが回転がずれるには腕の位置のせいだとわかったり、
どれもこれも、当たり前。
っていうか、それを前提に、どうするのかっていうのが、
腕のみせどころなんだから、そんなことでびっくりされても困るかもしれない。
それで身を立てているのだから。
競争原理が排除されてるに等しい法律家業界を作り、
その一員であるっていうお墨付きを、
たかだかペーパー試験で与えてしまうというのに。
司法試験と通っても、修習があって、二回試験があるけど、
少なくとも税金から給料が払われてる現段階において、
修習の間口を広くすればいいじゃないかとは、
いいにくいでしょう。憲法やらなんやら勉強したなら。
法律で食べていこう、法律を扱って他人様からお金を受取ろう、
法律家って言う看板背負ってやっていこうっていう人に、
当たり前のことを聞くのは、
ホントにしょ―もない問題なのかな。
っていうか、ストレートにいえよ、自分。
しょ―もなくはないんじゃん?