判例ってのをどう捉えるか。
1.将来の日本の判例をリードしていかれることを目標の射程にいれ、これまでの判例に対する批判・評価を自らなすことができるために、検討の対象とする。
2.判例の実務における重要性を前提として、自分が法曹実務家となり、裁判で争っていくために判例を十二分に理解し、その上で互角に戦えるよう批判・評価はひとまずおいておき、判例の正確な理解に努める。
3.学者の先生方の論ずる学説と同列に捉え、学説との比較を通して、判例の意義を考える。
4.学説による枠組みを前提として判例を分類し、先例の理解に努める。
個人的には、判例ってのは、仕事として法律に則った解決策を示さなくてはいけない裁判官が書いたものなので、学説と同列に捉えるのは無理があると思うし、統治機構の一部としての裁判所がする判決は新しい事件に対する解決策は時代によって変遷するものなので、学説を前提とした判例の分類は無理が生じるのは自明だろうし、無理が生じない枠組みというのは変化を前提としているわけで、枠組みとはいえないのではないだろう。
結論としては、判例を批判・評価の対象と捉えるかどうかは別として、判例の正確な理解をすることが一番重要なのだろう。理解していれば、その応用も、批判も自然とできるものなのだから。