浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

ロシアン・マフィア

2012-02-19 20:52:30 | 資料

 アラブ首長国連邦UAEの沖合には、世界最大の人工島パーム・アイランドがある。そこは、超高層ビルが建ち並ぶ自由貿易地区として世界各国の企業、商社等がオフィスを構え、またアラブの一大金融センターとなっている。

ドバイ

  ここには、米国に「敵視」されるイランの石油を闇取引する、国際麻薬マフィアのマーク・リッチも大々的にオフィスを構えている。

 原油は、「どの油田で何月に生産された原油何万バレル」という形で、事前に売買契約が行われてから生産が行われるのが通常であり、生産された後に買い手が不明で、改めて買い手を探し出さなければならない、いわゆるスポット取引等は、元々存在しなかった。

 この買い手が不明な「身元の怪しい原油」取引は、長らく米国から敵視され経済制裁を受けて来たイラン、イラク等の原油の闇取引がその実態であった。

 原油のスポット市場とは、実は公然とした「経済制裁逃れ」のための闇取引市場であった。この原油スポット市場を創立したマーク・リッチは、イラン原油の闇取引市場を創立した事になる。

 ホワイトハウスを事実上運営していた、チェイニー副大統領が自分に逆らわないように、リッチは自分の顧問弁護士ルイス・リビーをチェイニーの主席補佐官とし、24時間体制でチェイニーを監視してきた。「力関係」の上下は明らかであり、リッチが原油スポット市場を創立し、米国の経済制裁を事実上無意味化しても、米国政府の誰もリッチを非難はしなかった。もちろん、スポット市場でイラン原油が取引きされている事も、誰も問題化しなかった。ホワイトハウスの住人の誰もが自分の命は惜しかった。

ルイス・リビー

 米国とイランの政治的対立が激化し、さらに国際武器密輸商人でもあるマーク・リッチの「武器販売促進」としてイランと米国が戦争を始めたとしても、そうした事とは無関係に、米国とイランの経済的友好関係はリッチ等を通じて継続する。

 UAEのパームアイランドには、4000社以上のイラン企業がオフィスを構え、今日も米国企業と友好的にビジネスを続けている。

 リッチの原油の売上金は、UAEの名前で世界中のヘッジ・ファンドに流れ込み、原油と貴金属の価格を吊り上げている。ロシア・マフィアリッチは、世界最大の貴金属産出国と言えるロシアの貴金属鉱山を支配下に置いている。イラン原油の密売の売上金は、チタン、ニッケル、ウラン等の価格をヘッジ・ファンド等を通じて上昇させ、リッチが市場で売りさばく貴金属の売上金を膨大に膨らませていく。

 イラン=UAE=ロシアの錬金術である。もちろんロシアマフィアリッチの本拠地は、イスラエルである。

 激突するイスラムとイスラエルの対立が、「フィクションである事が透けて見える」。

マーク・リッチ

マーク・リッチ氏 ( Marc Rich ) 表の略歴
1934年、ベルギーのアントワープのユダヤ人一家に生まれる。一家はナチスから逃れるために1942年にアメリカへ亡命した。
黄麻布の取引業者だった父親のもとで働いた。1966年に作詞家で富裕なアイゼンバーグ(アイゼンベルグ)家の相続者デニーズ・アイゼンバーグ氏と結婚し、3人の子供をもうけたが、1996年に離婚した。
商品取引のトレーダーとして独立する前に、「フィリップ・ブラザーズ ( Philipp Brothers ) 」で取引のコツを学んだ。
イスラエルとスペインの国籍を所有している。「フォーブス誌 ( Forbes ) 」によると2006年の個人資産所有額は約15億ドル ( 約1335億円 ) 。

リッチは、イスラエルの情報部モサドの活動を財政面で支え、自身もイランとイスラエルの間の非公式仲介者として活動した。
アメリカ政府は、リッチをスイスから「拉致」するための要員2人を送り込んだこともあった。
リッチは、イラン、シリア、ロシアの主要人物の機密情報をアメリカ政府に定期的に提供していた。
前妻デニーズ・リッチとの離婚は難航し、大きく報道され、総額3億6500万ドル ( 約324億2000万円 ) の慰謝料を支払った。

リッチの側近は緻密な計画を作り上げ、意図的に通常の手続きを省き、ビル・クリントン米大統領 ( 当時 ) から恩赦を得た。2001年、詐欺や恐喝、イランの米大使館人質事件をめぐる危機的状況下での敵側との取引、一連の違法な原油取引で得た収入の所得税に関する4800万ドル(約44億円)を超える脱税など51の容疑に問われていたリッチは、任期終了数時間前のクリントン大統領から赦免を獲得。

これに先立って、リッチの元の妻が民主党に総額100万ドル以上の献金をおこなっていたため、「金で赦免を買ったのではないか」と物議をかもした。クリントンの決定の裏側には、イスラエル政府からの嘆願や、リッチが献金していた名誉毀損防止同盟からの圧力も存在したと伝えられている。しかしリッチは、アメリカへは二度と戻らないと発言している。

リッチは赦免を獲得するや否や、石油・食料交換計画のスキャンダルに絡む事業でサダム・フセインと協力を始めた。91年のイラク戦争で敗北後、サダムは世界中から経済封鎖を受け、兵糧攻めを受けながら15年間持ちこたえた。サダムには秘策があった。サダムに対して15年間継続して、非合法に食糧、電化製品、そして兵器を輸出し、「あやつり人形」であったサダムを影から支え続けた「実力者」が居た。
世界の貴金属市場を荒らし回る投機屋、メタル・ギャングと呼ばれるベルギーのマーク・リッチである。「あやつり人形」サダムが死んでも、サダムを操っていた武器密輸商人リッチが健在で居る限り中東に平和など来ない。
一つの時代など終わりようが無い。

リッチは国際的な制裁を破り、人種差別政策を実施していた南アフリカへ総額20億ドル ( 約1780億円 ) 相当の石油を販売した。

◆1934年、ベルギーのアントワープに生まれたリッチは、貴金属への投機によって40歳足らずの若年で莫大な財産を築く。その財産を手にリッチは70年代初頭、ソ連(ロシア)に乗り込む。リッチはウクライナ、カザフスタンで大々的に麻薬の生産を開始し、74年には麻薬販売企業マーク・リッチ株式会社をソ連国内に創立する。この企業は、創立当初からソ連全域に麻薬販売ネットワークを持つ巨大企業であった。

 リッチは麻薬をソ連国内だけでなく米国へも輸出した。米国内でリッチの麻薬販売を請負ったのは、マフィア組織パープル・ギャングと呼ばれる組織のボス、 マックス・フィシャーであった。
リッチはフィシャーに対し、「敵国」であるソ連から米国へ自由に出入りし、ソ連・ロシア製の麻薬、武器を販売出来るルートを開拓するよう強く要請し続けた。

リッチの強い要請を受けたフィシャーは、自分の代理人として米国議会で活動するリチャード・パールを動かす(注)。パールは後に子ブッシュの国防政策会議議長として、イラク戦争を開始する人物であり、当時は核兵器メーカーの
ウェスティングハウス社の代理人として、イスラエルに対しミサイルの売り込みを行っていた。後に「ミスター・ミサイル」として、パトリオット・迎撃ミサイルの原型を作り出すパールの政治家としての活動費は、全額フィシャーが出していた。

フィシャーの命令に従い、頭の良いパールはソ連国内のユダヤ人をイスラエルに脱出させる法律を作り、しかも「ユダヤ人かどうかの審査を極めて緩くする」事で、事実上誰でも自由にソ連・ロシア製の武器と麻薬をイスラエルに持ち出せるように考えた。そしてイスラエルと米国との武器密輸ルートは、イスラエル建国時にイスラエルに大量に米国が武器を供給していた事から既に確立されていた。

リッチは自分の顧問弁護士ルイス・リビーをチェイニーの顧問弁護士にし、さらにチェイニー副大統領の主席補佐官にした。チェイニー副大統領は24時間、リッチによって監視される事になった。チェイニー副大統領の仕事の「裏方」を支え、仕事の細部を全て「仕切る」主席補佐官リビーが、リッチとパープル・ギャングからの「出向」なのである。
ブッシュ政権の内情は全てリッチの耳に入り、私的にもチェイニーは、顧問弁護士をリッチとさらにパープル・ギャングと「共有」する事になった。

私的にも公的にもチェイニーを支配し、ブッシュ政権を支配する「実力者」は武器密輸商リッチとなった。
もしもリッチが新聞社に電話をかけ、北朝鮮の核兵器開発を支援するアイゼンベルグ社の大株主がチェイニーであると言えば、即座にチェイニーは失脚し、政界から追放され、場合によっては刑務所に入る結果になる。
米国の「支配者」が誰かを、これは明確に示している。

1969年12月、マンハッタン5番街にあるカハネの事務所に、サミュエル・パープルという人物が訪ねて来た。2007年現在のブッシュ政権を、事実上運営するチェイニー副大統領を「指導」する事になる、パープル・ギャングのボスであった。

後にパトリオット迎撃ミサイルの原型を作る「ミスター・ミサイル」、リチャード・パールは、当時ソ連(ロシア)国内のユダヤ人をイスラエルに亡命させる、「ジャクソン・バーニック修正法」を国会で作ろうとしていた。
 パールの活動資金を出していた、武器密輸商マーク・リッチの実働部隊として、麻薬と武器の密輸を担っていたのがパープルであった。

 

 

カハネを訪問したパープルは、「ソ連のユダヤ人をイスラエルに亡命させよう」という大衆運動、デモの組織や街宣車による演説の「仕事」を、カハネに依頼に来たのだった。
これはカハネにとって、黒人を襲撃する事とは別の「2つ目の大きな仕事」となる。
・・・当時、米国マフィアの中でも最強の「殺人株式会社」という、金銭で殺人を請負う組織が全米のマフィアを「統一」し終わり、「NCS全米犯罪シンジケート」という組織が結成されていた。
このシンジケートは、銃と麻薬の密売という「裏の仕事」から、ニューヨークのスターリング・ナショナル銀行の経営のような「表の世界の仕事」に乗り出していた。

 さらにこの「殺人株式会社」は、全米を統一し終わり海外に活動を拡大させようとしていた。米国にとって未開拓の市場であるソ連(ロシア)を、麻薬、兵器の密輸という形で新たに開拓する目的がマフィアにはあった。

 ソ連には「赤い貴族」と呼ばれる富裕層のユダヤ人が多数居た。官僚や政治家である「赤い貴族」は、武器の横流し、麻薬売買で不正資金を蓄えていた。この法律によって、その不正資金をイスラエルに持ち出させ、イスラエルに蓄積させる目的がマフィアにはあった。
 そして、米国でこの「殺人株式会社」が長年蓄積してきた富を無税のイスラエルに持ち出し、イスラエルにおいて「赤い貴族」の資金と、米国マフィアの資金 を「合併」させる目的があった。
税金を逃れたい世界中の資産家の資金と、出所の怪しい不正資金をイスラエルに集め、イスラエルを世界の金融コントロール・センターにする目的がこの法律にはあった。

・・・アイゼンベルグの全活動を無税にするという、「アイゼンベルグ法」という法律がイスラエルにはあった。アイゼンベルグにだけ適用される、アイゼンベルグのためだけの法律であった。世界中の富裕層がイスラエルの「無税」を利用し、イスラエルに資金を持ち込むという事は、このアイゼンベルグの金融機関あるいはビジネスに資金を投資する事を、事実上意味した。
このアイゼンベルグ社は、「殺人株式会社」の軍事部門として創立されていた。こうして世界中の富裕層の富と不正資金が、「殺人株式会社」の手中に収まる事になった。・・・ 

・・・米国を「指揮」するイスラエル。そのイスラエルを「指揮」する「殺人株式会社」。この「殺人株式会社」が世界を支配する最も優秀な企業である。

このアイゼンベルグ家の現在の当主の母親が、元新日鐵会長の娘である。

 イスラエルの戦争マフィア、ローズ社の傘下にある欧州最大規模のセメント会社ラファルジュの顧問弁護士ヒラリーは、会社上司のローズ社からの命令で荷物を転送していた。
 麻薬取締局が捜査に乗り出すと、ヒラリーと共にコカイン売買を行っていた証人となる人物達が次々と失踪し、不審な死を遂げた。 イスラエルの殺人株式会社が証拠隠滅に動き出していた。 

 元々、ブッシュ大統領の麻薬企業ラッセル社の下部組織として、犯罪者から押収した麻薬を転売し、副収入にしていた米国麻薬取締局は、ブッシュの命令でヒラリーの捜査を打ち切った。

ブッシュの経営する軍事産業投資会社カーライルの親会社が銀行ディロンであり、ディロンの親会社がイスラエルのローズ社であった。CIA創立時に、そのスパイ技術を伝授したCIAの教師が、アイゼンベルグ社=ローズ社であった。     ブッシュはボスのローズ社の命令で、「仲間」のヒラリーを守った。

 クリントン=民主党、ブッシュ=共和党という対立図式が、全く無意味である事が分かる。両者とも国際麻薬=暴力団ローズ社の「末端・組員」である。

 イスラエルは、全米を統一した米国最強のマフィア、殺人株式会社が創立した。ロシアを統一したマフィア、マーク・リッチはイスラエルにおいて、この殺人株式会社と一体化した。米国最強のマフィアとロシア最強のマフィアが、「世界統一」を目指して協定を結んだ。その拠点がイスラエルである。この国際マフィア統一のための法律が、ジャクソン・バーニック法であった。この法律をリチャード・パールと共に作成した弁護士ルイス・リビーは、リッチの顧問弁護士である。 

大量の現金と麻薬を持とうと、どんな犯罪歴があり裁判所から逮捕状が出ていようと、リッチの部下であればフリーの出入国許可証を発行するプーチンは、リッチにとって最大の「功労者」であった。その功労賞として、リッチはロシア大統領のイスをプーチンに「褒美」として与えた。

毎年1~2月ダボス会議を開き、世界中の企業経営者、政治家達を一同に集め、自分の所に「アイサツに来させる」マーク・リッチは、ブッシュ政権が成立すると、アイゼンベルグ社=ローズ社の株主で自分の部下であるチェイニーを副大統領のイスに座らせた。

ディック・チェイニー 

リチャード・パールとルイス・リビー 

 


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