台湾大好き

2016/02/01から90日滞在予定。

初の硬玉加工遺跡の調査

2020年04月19日 | ナンバ歩き研究会
初の硬玉加工遺跡の調査
縄文中期の代表的な装身遺物に硬玉製大珠がある。特に、長さが5センチ以上の大きな玉を大珠と呼んでいる。体部に一孔が開けられているのが一般的で、全国で250例ほどが知られている。縄文中期後半に使用のピークがあるらしい。富山県氷見市の朝日貝塚で出土した鰹節形の硬玉製大珠は全長15.9センチで、いままで発見されている硬玉製品の中では最大である。また、福島県会津若松市の大町出土と伝えられる鰹節形の硬玉製大珠は全長1.9センチで、これまたみごとな大きさである。ともに重要文化財の指定を受けている。金属器のない縄文時代にこれだけの大きな硬玉が加工され、遠隔地に運ばれているのである。三次にわたる発掘調査では、縄文中期中葉の「長者ケ原式」に属する六基の炉跡と住居跡の検出があった。硬玉関係では、磨き痕のある硬玉原石、硬玉製敲石が多く出土した。

加工具としては攻玉砥石(筋砥石)などの検出があった。製作法や加工の順序など細部に不明な点は残るが、「この地において、縄文中期の人たちが硬玉の加工を行っていたのは疑えない」(『長者ケ原』糸魚川市教育委員会1964年)とされた。長者ケ原遺跡出土の硬玉には、表面が灰白色を呈して、いわゆる「ヒスイの皮」あるいは「皮かぶりヒスイ」と呼ばれるものが多い。長い年月、土中にあり風化によって生じたともされるが、和洋女子大学教授の寺村光晴氏は、加工しやすくするために火中に入れられたものが含まれているとする。ヒスイは、火を受けると打ち割りやすくなるという。長者ケ原遺跡のB4号炉は、直径1.5メートル、最大幅0.95メートルのおおきなもので、中心部には灰や焼土が10センチも堆積している。これなども、ヒスイ加工に際して焼くという作業上の要求によって残ったのではないだろうかとしている(『翡翠』養神書院 1968年)。長者ケ原遺跡の発掘では工房跡の検出はならなかったが、硬玉製飾り玉類の制作が日本で最初に確認された遺跡として1971年に国の史跡指定を受けた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿