ようやく…
いろんな事が落ち着いた。
12月22日。
母ちゃんから電話。
母【元気かぁ?(人工透析している)父ちゃん透析用の血管がつぶれて、入院してるんだぁ】
私【12月に入ってバタバタしてたから実家に電話してなくてごめんなぁ。】
父【大丈夫やぁ。ちょっと動けなくてしんどいけど…】
私【父ちゃん大丈夫?そか…ちょっとしんどいんやぁ。。26日くらいに息子つれて帰るでなぁ。待っててなぁ〜】
少し元気のない声だったから、野球から帰ってきた息子に電話をさせて【おじいちゃん26日に帰るねぇ〜】と。
孫の声を聞いたから元気でたかな?
12月23日
晩ごはん作ってる時間帯に兄から携帯がなる。
兄【父ちゃんな…さっきな、死んでしまったんや】
私【え?昨日、話したで!】
普通なら24日がお通夜の日だったが、
父ちゃんはキリスト教の信者。
24日はイエス様が復活された日で、いつも行っている教会ではミサがあるので、お通夜はできなかった。
12月25日
お通夜の為に実家に戻る。
実家は遠いので、息子は終業式を休ませ24日に通知表などをもらった。
実家に戻り、綺麗な白いお棺に入っていた父ちゃん。
綺麗な着物を着させてもらってた。
寝ているような顔。
【おぉ。帰ってきたかぁ。おかえりぃ〜】と、言いそうだった。
12月25日
お葬式
お通夜、お葬式と無事に終わりよかった。
父ちゃんは、人工透析を20年(23年?)していた。
昔は人工透析は10年くらいできたらすごい!!な感じだったらしい。
医療がよくなり、20年もできた。
1週間に3回。人工透析の治療をする為に病院に行き5〜6時間の透析を20年続けた父ちゃん。
脳梗塞もしてしまって、途中からは右半身不随。
それでも、リハビリをして杖をつきながら歩けれるまで回復。
なかなか力が入らない右手でお箸をもってご飯も食べていた。
透析のない曜日は、リハビリ施設に行き、筋肉が衰えないように身体を動かしていた。
けれど、20年の間には、人工透析の血管が悪くなったりとか、数値が悪くなったりすると入院をしていた。
じょじょに不調がでてきてたり【アカンかも?】みたいな事も、乗り越えてきた父ちゃん。
退院して電話をしたら【入院の保険金でたで!今度帰ってきた時に息子におこずかいあげるなぁ♫】くらいな感じだった。
だから今回も大丈夫やろなぁ。みたいな感じだった。
だけど、こんな言い方はよくないけれど…心のどこかで…病人だから【いずれ…私たちの前からいなくなる時が来る】というのも、なんとなく心の準備はできてた。。
兄ちゃんのからの電話も、
少しボケーっとなったけど…、あまり泣き崩れる事もなく、なんだか不思議な感じだけど、わりとすんなりと…受け入れる事もできた。。
それは、私だけじゃなく、家族全員そうだった。
前日に電話をかけてきてくれたのは、父ちゃん、何か察していたのかな?
そんな時でも、私の身体を心配していてくれてた。
野球から帰ってきた息子に、電話をさせてよかった。私も父ちゃんと話せれた事はよかったな。と…そんな事を1番に思った。
心から尊敬する父ちゃん。
いっぱい、病気と闘ってた?共存できていた父ちゃん。
病気の種類は違うけど、
あたしも、父ちゃんの娘やから、共存できる遺伝子入ってるわ。
1つ1つ乗り越えていくわ!
父ちゃん天国から見守っててね。
お父さん、ありがとう。