こんばんは。
「アンガーマネジメント」なる言葉を聞いた時には、驚きが先にたった。
ほほう、やりくりなんてできるのか。怒りとマネジメントとは真逆なもののように思った。日本でなく、アメリカとかが発祥の概念なのだろうし。
私はとても怒りっぽい人を何人か知ってる。
皆さんの周囲にもそういう人はいらっしゃるでしょ。
今朝の、ぷりぷり怒ってる夫と、今晩の息子の不機嫌。
息子についていえば私の態度に対しての不満だった。
が、「そんなことで怒らんでも。」という内容だ。気分が悪い。
私だって怒ることがある。というか、会社では、たいてい怒っている。
いつも作業ばっかりやらせやがって~という不満と、
あいつら、巧くやりやがって~という割り切れない嫉妬だ。ひらたく言えば。
こうひらたく言ってしまうと、単に情けない。
でも怒っている本人はもう、角が出て、目が吊り上がってるのだ。
ふんわりいい感じの心で居たいものだが、怒っちゃったら、そんなことは頭の中から消え去ってしまう。見るものすべてに腹が立つときもある。
もっと言えば、ドラマやマンガを見ていたって、ひっかかるキャラが出てくれば腹立たしいことがある。調子がいいやつ、あまりにも愚図なやつ、いい加減でだらしのないやつ、作者の世界の中で作られたキャラなのに、みると腹が立つ。たぶん、それは自分の中の嫌な部分、なのだろう。
怒りは、羨ましさ、妬ましさ、満たされなさのセンサーで、自分の経験の中の忌まわしい記憶や、言えない弱い自分への不満とか、なのだ。
直観的に思うことだが、怒りは、自分を守るものであるのだろう。
私は自分のことを後回しにして、自分にとって不利益だったからと怒りを露わにするのはできない性分だ。完全に怒っているのに。これは、コントロールとか、マネージメントできているとは言い難い状態だが、いい人でありたいと思っているのだろうか。はたで見ると、今朝の夫や、今晩の息子のように、怒っている人というのは不快であるものだから。
怒りが沸騰しているうちは、うまく表現できないことも多い。かえって事態をこじらせることも。
自分の要望と怒りは密接だ。
あいまいな要望、欲望、願望がコントロールできない怒りになる。
私は雑用を押し付けられるのは嫌だし、自分の行動が正当に評価されないのも我慢ならない。自分の欲望、要望は明確に言葉にして、それを恥と思わないことだ。
そうすれば、些細なことで嫌な思いをしなくていい。
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