男の頭

男は色々な事を考えてんだよ!

天空の白鷺 姫路城

2012年08月25日 16時41分51秒 | 日記
みなさんこんにちは。

昨日仕事で姫路市に行きました。

仕事も昼過ぎには終わり、これから帰るのはまだ早いと思い

観光でもしよう 

私の頭には、姫路城ぐらいしかないので

地元の方に聞いたところ、「 姫路城ぐらいかな、、、」

と言う訳で、姫路城に行ってきました。

今まで、姫路には2度ほど行ったことがありますが

そもそも 名所旧跡巡りはめんどくさい方なので

姫路城観光は初めてなのです。

残念ながら、現在姫路城は大天守修理中なので、修理見学しかできませんでしたが

その壮大さと威厳と気品すら感じる城 これが 姫路城です。



写真真ん中に白い建物がありますが、これが大天守をすっぽり囲んでいる建物です。

一般的には、修復となりますと建物全体に足場を組み作業するのですが

さすがに、姫路城 全天候型の足場といいますか、建物で覆っておりました。



中ではこのように瓦からすべてはがし大掛かりの補修をしています。

写真左にこの建物の鉄骨が見えますが、普通のビルと変わらないぐらいの重量鉄骨での建物です。



大天守の最上部に見学用のスペースから瀬戸内海に向けて撮った写真です。

遠く微かに見えるのが淡路島です。



こちらの写真の遠くむこうに見えるのが、小豆島です。

現在は、空気も汚れ建物が立ち見にくいですが、1600年ごろはさぞかし美しい瀬戸内海が見えたのでしょう。



これは、大天守の横にあります小天守という建物です。

私も詳しくないので、どのような意味のある建物かわかりませんが、とにかく綺麗な建造物でした。


先程、色々調べてみましたら、姫路市のサイトに以下のようなことが書いてありました。

姫路城は、法隆寺とともに1993年12月に日本で初めてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の

世界文化遺産に登録され、日本に現存する城の中でも世界的に高い評価を受けています。

その理由は、連立式天守をはじめとする独特の建築構造と白鷺城とも呼ばれる美しい形容、

要塞として精巧な意匠と工夫の凝らされた巧みな機能、そして城全体がよく保存され、

内曲輪の城郭建築がほぼ完全に当時の様式を伝えるところにあります。

築城以来400年、この地に砦が築かれてからでは600年を超える歴史を刻み、

未来への遺産として大切に受け継がれるべき姫路城。

現在の大規模補修工事は、工期が平成26年度とのことです。

それまでは、補修現場も見れますが、補修完成後も見に行きたいと思っております。

では、今日は これまで



近所の和食屋奮闘記 その1

2012年08月21日 14時52分53秒 | 日記
相変わらず暑い日が続きますが、お変わりなくお過ごしのことと存じます。

今日は、私の事務所のそばの和食屋の話をいたします。

場所は、日本橋浜町1丁目界隈

昨年開店した、割と小奇麗な和食屋さんですが

最近あまり芳しくないと見えて、毎週大通りに言いたい放題の看板を設置しております。

まずは お盆前の看板から





悩みが絶えない様子! お盆休みなく働くそうです。


お盆明け8月17日はまたこんな感じに





突如 お客さんに向け  「 全員集合 」


更に本日8月21日には





甲子園真っ只中ではありますが、和食屋さんも8月前半は負け越しのようです。

8月後半戦に賭けるそうです。


店先にメニューがあるのですが

すべてコースのみで、夕食メニューは、4,000円〜7,000円となっております。

まー 食通の方は行くのでしょうが

私のような一般庶民には チョット 残念ながら行けません。

リッチな方は、是非行ってあげてください。


本日はこれまで!

神宮の奇跡

2012年08月16日 16時20分42秒 | 日記
はじめまして 柳と申します。色々書きますので暇な方は見てください。

29才から独立起業して、ナント26年経ってしまいました。

早いですね人生って!

プロフィールの写真は3年ほど前に釣ったキハダマグロ23キロです。この年は他にもキハダマグロ33キロも釣っています。

そんな訳で、釣りバカと云う肩書きもあります。


さて、タイトルの「神宮の奇跡」 何だか分からないと思いますが

講談社出版の本のタイトルです。門田隆将さんの著です。

これは昭和33年東都大学野球秋の1部リーグ戦で、学習院大学野球部が奇跡的に優勝した実話なのです。

ご存知と思いますが、学習院大学は野球の名門校でもありませんし、有名な高校球児など一人も入ってこない大学です。

その学習院大学が、国内最強豪チームの集まりの東都大学野球1部リーグでの優勝は正に奇跡なのです。

今に至るも学習院大学は、このたった一度の優勝を記録した以外、他に一度も優勝しておりません。

さて、昭和30年代は、どのような時代であったか。

それは、日本の敗戦からの「復興」をやっと過去のものとし、国民は日本の将来に夢と希望を持ち始めた時期であります。

正に、日本の奇跡的な高度成長の幕開けであった訳です。

実は、昭和33年というのは特殊な年でありました。

東京六大学野球ノスーパースター長島茂雄が巨人軍で鮮烈なデビューを果たしたのもこの年です。

また、東都大学野球秋の1部リーグ戦で、学習院大学野球部の優勝決定戦に学習院OB皇太子さま(今上天皇)、弟の義宮さま(の

ちの常陸宮)、妹の清宮さま(島津貴子)が揃って応援に駆けつけ神宮球場は騒然となったそうです。

奇しくも、学習院大学が死闘の末優勝を果たした3日後に、皇太子さまの美智子さんとの婚約が発表されたのです。

この年の出来事が、日本の高度成長の起爆剤になっているのではないかと著者は語っております。

実は、私の母校なのでひいき目なコメントとなってしまいましたが

日本の高度成長は、「東洋の奇跡」と言われておりますが、その裏には「神宮の軌跡」があったのだと思います。

スポーツマンの皆さんは、ぜひ読んでください。 ワクワクしますよ!

では また!