日本キリスト教団 清瀬信愛教会 と わたし

わたしを永遠に見捨てない方・・・に出会いました。
「神は愛(アガペー)」(ヨハネによる福音書4:8)

「ハイ、ここに居ます」 H.S.

2018年06月11日 | 証し

「礼拝出席から受洗に至るまでの経緯を、証しとして語ってほしい」―そんな主旨の原稿依頼が、私のもとへ届きました。教会へ行き始めたのは、60年近くも前のことです。直接の動機が何であったのか、今となっては思い出せません。日常の様々な場面で傷つき哀しむ時、人々は安らぎを求めて教会へやって来ます。自分もまた、そうした人間の一人だったのでしょう。

しかし今は、こう思い直しています。「旧約聖書」の初めの所、禁令に背いたアダムとエバは、罪責の念に駆られて樹間に姿を隠します。隠れた2人の姿を捜し求めて神様は、「あなたはどこにいるのか」(創世3:9)と声を掛けておられます。父なる創造主の、「子」を思い遣っての呼び掛けです。この神様の呼び掛けは、私には、イエス様の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)との呼び掛けに重なって聞こえて来るのです。神様は、いつも私達のことを心に掛け、私達の応答を待ち望んでおられます。「愛なる」神は、罪や穢れに塗れ疲れ切ったこの私を覚えて、まず神の方から我が名を呼んで下さった、だから教会への道を歩み続けて来たのだ、そう思っています。

幼い頃の私は、キリスト教とは無縁の世界で育ちました。長じては、厄介な病に苦しみました。生き難いことが多々ありました。そんな負の連鎖の中にあって神様は、私をご聖別下さり、信仰へと導いて下さいました。「わたしの恵みは、あなたに十分である」(「コリント二 12:9)とのお言葉のとおりです。辛い試練も、恵みに変えて下さるのです。

「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている」(1954年改訳聖書 ピリピ2:15)―これは、私達に力を与え励ますパウロの応援歌です。「いのちの言葉」を堅く持ち、「つぶやかず疑わず」救いの達成に努め、生死を超えて信仰に生き続けていきたい、そう願っています。


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