MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



誰かと比べたりなんて、欠片も意味がないから、参考程度にしか気にしないようにしながらみらんちゃんの子育て中。

ただ、一般的にできることは、いつの段階でも良いから普通にさせてあげたいなと思っている。いつか、立って、歩いて、走って、チャリに乗って、泳いで、とかね。まぁ、立ったら立ったで、歩いたら歩いたで、着替えさせたりするのとかがとても大変になること、それは分かっている。

 

けどね、その当たり前のようなことがどこまでできるのかは分からないけど、出来たことを喜んでいってあげたいなと思っている。

 

いやね、引き合いに出すことが正しいかどうかは分からないけど、パラリンピックの選手になった人の映像、会話なんかを聞いていると、先天的な方もいらっしゃれば、後天的な方もいらっしゃる。色々な事由に起因して、普通に立っていた方が突然障害を持つに至ったことを知った。となれば、五体満足で寿命で潰えると言うのは、実は奇跡なんじゃないかなと。

親として、やり過ぎてもいけないけど、将来の選択肢を持てるだけの可能性を、可能な限り、親としては与えてあげたいな、と。

そこからどう選ぶのかは、みらんちゃん次第だからね。選べるように、本物を選択肢として与えてあげたい。自分の将来を切り開くため、やりたいことを見つけるため、はたまた自分の身を守るため。選択肢を与えると言うのは、おいらがICUの卒論を書いた時の根底にあった思想。その時のおいらは、弁護士にならずとも、法律的な観点から選択肢を拡げる為、逆に不当に狭められない為には、法的知識はきっと役に立つ、と思っていた。実際、だからこそ、憲法と言う視点で勉強しようと思った。浪人した19歳の時からずっと思っていた。奥平教授の著書を読み漁ったのは、その為。

 

今もって、その選択肢を与えると言う思想は根底にあるまま変わらない。

 

変わったのは、自分の人生の為に法律を学ぼうと思っていたのが、客体として、我が子の人生が彼の視点で豊かになれぱ、と変わったことくらいか。


そんなみらんちゃん、実は、もうずっとお風呂の中で立ち上がる練習をしていた。ママに見せるためだよね。最初は爪先立ちのような形だったから、踵を湯船の底に付けて、立たせてね。そのたびに、よしよしってして。みらんちゃん、立ち上がるとメッチャ喜ぶんだよねぇ。それをね、何度も何度も練習してね。もちろん、おいらが支えているし、湯船の中だから転んだりはしないんだけどさ。それをね、今日さっき、おいらが食器を洗っている間、みらんちゃんは奥さんに披露。

誇らしげにね。
ママ、立ったよ、ってね。

どれくらい嬉しいのか、いつか分かってくれれば良い。寝返りの時も思ったけど、世界観が変わるよってずっとみらんちゃんにお風呂で言い続けていたから、ちょっと嬉しくて。みらんちゃん、おいらとの会話は全部英語なのも、選択肢を持てるようになる為。どうせ、いつ立ったのか、なんてあとあと分からなくなったりするから、敢えて、記す。

愛してるよ、みらんちゃん。



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