山海関駅前から25路のバスで、老龍頭へ。ここは万里の長城の東の端っこで、城壁が渤海に突き出している。承徳の避暑山荘と同じく、ずっと憧れの場所だったのだ。
景区の入場料は60元。ここも数ある中国の観光地と同じように、遺跡だけでは満足できないらしく、昔の守備兵の詰所を再現したコーナーとか、八卦陣(要するに迷路)とか、ここを守った名将たちを祀る祠とか、戚継光将台とか、その他いろいろ造ってある。手前から真面目に見ていては、なかなか海辺に辿りつけないぞ。
海と龍老頭を見下ろせる澄海楼に上ってみた。別料金が2元かかるが、なかなかいい眺め。
しかし!
実は、座礁船が目の前に……。旅行前にネットで見ていたけれど、まだあったのか。こんな大きな船をどうにかするには、時間もお金もかかるのだろうが、場所が場所だけにあんまりだ。しかし私がもっと驚いたのは、周りの中国人観光客が文句を言っている気配がないことだ。これはもう、むしろ珍しい光景が見られたと思うべきなのか。船が老龍頭にぶつからなくてよかったと思えばいいのか。
右手には海神廟が海に突き出しているのが見えて、これまたよい眺め。ガラスで石を覆った部分は、清代のものらしいのだが、周囲の新しい部分とぜんっぜん違う。つまり修復といっても(1987年)、古いものを再現したわけでもなければ、真似ようともしておらず、少なくとも表面は普通に新しく造ったってことですね。いや、実は城壁を歩いていても、全体的に新しくてなんとなく安っぽく見えるので、遺跡とか古代文物を見るという気分に今ひとつなれないのだ。まあ、中国ではよくあることです。
記念撮影スポットに並ぶ人々。陸側をバックにするので、座礁船が目の前にあっても誰も気にしないのか。
すぐ横には、モーターボート乗り場があって賑わっていた。海から老龍頭を眺めるのは良いと思うが、わざわざ座礁船のすぐそばをかすめて走っているような。もしや船があるほうが楽しいのか、中国人。
老龍頭を離れて、海神廟へ向かって砂浜を歩く。振り返ると、うーん、船が邪魔!
海神廟も最近修復されたようで、新しい。海に突き出た東屋に腰掛け、海風に吹かれつつ、老龍頭を眺める。気持ちいい。しかし、ああ、船が邪魔だ!
景区内にある寧海城箭楼。内側には古い石組みをガラスで覆って保存していた。
海辺で老龍頭だけを見るのかと思っていたので、いろいろと盛りだくさんで想像以上に時間をとった。それにしても、座礁船はまだあのままなのだろうか。
(つづく)
この日は、長距離バスで秦皇島へ行き、市内バスに乗り換えて、山海関へ向かった。8:00のバスに乗るために承徳東バスターミナルへ。市街地から少し離れていて、不便だ。バスターミナルがきれいじゃないのはかまわないが、ずいぶん久々に、入りたくない汚いトイレに出会った。バスは満席で、用心して前日に切符を買っておいたのは正解だった。何しろ、秦皇島行きのバスは少ない。
バスは出来たばかりの高速道路を快調に飛ばして進む。車窓の風景が山また山で、なかなか素晴らしいのだが、通路側の席なのでゆっくり眺められない。ずいぶん霧が出ている(スモッグではなく、霧だと思う)が、このスピードで大丈夫なのか……。途中、10時頃に、これまた出来立てのサービスエリアでトイレ休憩。
11:00ちょうどに秦皇島バルターミナルに到着。広い道路を挟んではす向かいに、秦皇島駅が見える。が、その道路と周辺の地面がすべて掘り返されて大工事中。バスターミナルに入らずバスは停車し、そこから工事現場の中を歩いて駅前へ向かった。駅は改築したてらしく、大きくピカピカだ。道路もバスターミナルもいずれ同じようにピカピカになるのだろう。
駅前まで来て、ネット情報のあてにならなさを実感。駅前に山海関方面行きのバスがあるつもりだったのに、無い。地図を買って路線を確認しようと思うが、どこにも売っていない。駅前なら絶対買えると思っていたのに、当てがはずれた。バスターミナルか駅の構内を見てみればよかったが、戻るのもめんどくさい。結局、道端で人をつかまえて尋ねてみたところ、親切に乗り換えのことまで丁寧に説明してくれた。ありがたや。駅前の工事が完成すれば、バスの状況もよくなるだろう。たぶん。
無事にバスに乗り、山海関の南門前で下車。すぐ目の前は城壁だ。
まずはホテルを目指す。山海関では奮発して古城内のホテルを予約していたので、南門から入って歩く。ちょっと遠いけど大丈夫だろうと思っていたら、確かに歩けたけれど、想像よりやや遠く、疲れた。暑いし。
泊まったのは、山海假日酒店というホテル。私としたことが、なんと四つ星ですよ。古城内にあるということ、四合院風という触れこみに惹かれ、ちょっと高いと思いつつ、思い切って予約した。確かに、立派な門構え、昔風の建物(はっきり言って四合院ではない)、しかも敷地に入ると、レストランの案内の女性が清朝の宮女のような姿で立っているではないか。フロントの女性も同じく宮女姿ではないですか。フロントの写真を撮らせてもらいたかったが、勇気がなくて断念。
フロントには清朝の衣装が数枚掛けてあって、自由に着て写真を撮ったりしてよいらしい。着てみたかったけど……一人では恥ずかしいのでやめた。
部屋はシングルなので狭くて、ずいぶん高い位置に小さな開けられない窓が一つあるだけ。外が見えないのは痛い。道路に面した位置だったので、建物の構造上しかたないか。バスルームもとても狭くて、シャワーを使うと、トイレもトイレットペーパーもお湯を浴びてしまう。しかし、2階の廊下の窓から四角い中庭を見下ろすと、いかにも昔の中国のお屋敷な感じがちょっとだけする。駐車場の係員も紫禁城の衛兵のよう。レストランの服務員も宮女でしたよ。食事もおいしかった。洗面所のそばだったので、臭いにやられてしまったのは残念だったが。一人旅向きではないが、時代劇好きには楽しめるホテルだった。奮発した甲斐はあったかな。
ホテル到着時に話を戻すと、部屋に荷物を置いて外に出て、まずは昼食。そろそろ昼食タイムは終わりだったが、まだお客がいるレストランを見つけて飛び込んだ。
食後は山海関駅へ行き、翌日の北京行きの切符を購入。ふふふ。はじめて動車組に乗るのさ。第一希望が満席だったので、一つ早い列車にした。
駅の外観はいかにも「山海関」なデザインだ。そして駅前からバスに乗り、この日の最大の目的地である老龍頭へ向かう。
(つづく)
バスは出来たばかりの高速道路を快調に飛ばして進む。車窓の風景が山また山で、なかなか素晴らしいのだが、通路側の席なのでゆっくり眺められない。ずいぶん霧が出ている(スモッグではなく、霧だと思う)が、このスピードで大丈夫なのか……。途中、10時頃に、これまた出来立てのサービスエリアでトイレ休憩。
11:00ちょうどに秦皇島バルターミナルに到着。広い道路を挟んではす向かいに、秦皇島駅が見える。が、その道路と周辺の地面がすべて掘り返されて大工事中。バスターミナルに入らずバスは停車し、そこから工事現場の中を歩いて駅前へ向かった。駅は改築したてらしく、大きくピカピカだ。道路もバスターミナルもいずれ同じようにピカピカになるのだろう。
駅前まで来て、ネット情報のあてにならなさを実感。駅前に山海関方面行きのバスがあるつもりだったのに、無い。地図を買って路線を確認しようと思うが、どこにも売っていない。駅前なら絶対買えると思っていたのに、当てがはずれた。バスターミナルか駅の構内を見てみればよかったが、戻るのもめんどくさい。結局、道端で人をつかまえて尋ねてみたところ、親切に乗り換えのことまで丁寧に説明してくれた。ありがたや。駅前の工事が完成すれば、バスの状況もよくなるだろう。たぶん。
無事にバスに乗り、山海関の南門前で下車。すぐ目の前は城壁だ。
まずはホテルを目指す。山海関では奮発して古城内のホテルを予約していたので、南門から入って歩く。ちょっと遠いけど大丈夫だろうと思っていたら、確かに歩けたけれど、想像よりやや遠く、疲れた。暑いし。
泊まったのは、山海假日酒店というホテル。私としたことが、なんと四つ星ですよ。古城内にあるということ、四合院風という触れこみに惹かれ、ちょっと高いと思いつつ、思い切って予約した。確かに、立派な門構え、昔風の建物(はっきり言って四合院ではない)、しかも敷地に入ると、レストランの案内の女性が清朝の宮女のような姿で立っているではないか。フロントの女性も同じく宮女姿ではないですか。フロントの写真を撮らせてもらいたかったが、勇気がなくて断念。
フロントには清朝の衣装が数枚掛けてあって、自由に着て写真を撮ったりしてよいらしい。着てみたかったけど……一人では恥ずかしいのでやめた。
部屋はシングルなので狭くて、ずいぶん高い位置に小さな開けられない窓が一つあるだけ。外が見えないのは痛い。道路に面した位置だったので、建物の構造上しかたないか。バスルームもとても狭くて、シャワーを使うと、トイレもトイレットペーパーもお湯を浴びてしまう。しかし、2階の廊下の窓から四角い中庭を見下ろすと、いかにも昔の中国のお屋敷な感じがちょっとだけする。駐車場の係員も紫禁城の衛兵のよう。レストランの服務員も宮女でしたよ。食事もおいしかった。洗面所のそばだったので、臭いにやられてしまったのは残念だったが。一人旅向きではないが、時代劇好きには楽しめるホテルだった。奮発した甲斐はあったかな。
ホテル到着時に話を戻すと、部屋に荷物を置いて外に出て、まずは昼食。そろそろ昼食タイムは終わりだったが、まだお客がいるレストランを見つけて飛び込んだ。
食後は山海関駅へ行き、翌日の北京行きの切符を購入。ふふふ。はじめて動車組に乗るのさ。第一希望が満席だったので、一つ早い列車にした。
駅の外観はいかにも「山海関」なデザインだ。そして駅前からバスに乗り、この日の最大の目的地である老龍頭へ向かう。
(つづく)
またも二か月以上ブログを放置してしまいました。ご訪問いただいた皆様、申し訳ありませんでした。旅行記ですが、書きかけたからには最後まで書きます。今年中に最後まで書きます!!
ただし、ここまでずいぶん時間をかけてしまったうえ、夏休みの記憶がすでに曖昧になっていますので、今後はさらっと行きたいと思います。
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆
承徳3日目は、外八廟のうちメジャーなお寺を回った。
【普寧寺】
乾隆20年(1775年)創建。ここはツアー客が多く、賑やか。入場料80元。外八廟で唯一、お坊さんがいるとのこと。ちょうどお堂で読経が始まったけれど、これは普段の勤行なのか、観光客向けのパフォーマンスなのか、どっちだろう。
普寧寺の最大の見物は、巨大な千手観音。高さ22.28メートルだそうだ。観音堂に入っても足元しか見えず、すぐ真下から見上げてやっとお顔が拝める。脇侍も2体とも同じくらい大きい。以前は二階、三階に上がって間近で見学できるようになっていたそうだ。建物は山の斜面に建てられていて、裏に回ると、ちょうど二階フロアと地面が同じ高さ。そこの扉が一つだけ開いていて、わずかに観音様の背中を覗けるようになっていた。
同じチケットで、隣接する普佑寺も見学できる。といっても、普佑寺の建物はすでに無く、基礎のみ。(そのうち再建されるのか?) 普寧寺と普佑寺の中間地点に「乾隆一条街」なる土産物屋が立ち並ぶエリアが造られており、そこを通らないと外へ出られない仕組み。
【須弥福寿之廟】
またの名を「班禅(パンチェン)行宮」。乾隆45年(1780年)、乾隆帝70歳の誕生祝いに承徳を訪れたパンチェン・ラマのために、パンチェン・ラマが住むシガツェのタルシンポ寺を模して建てられた。
チベットの建築について無知なので、四角い要塞のような建物の内部はどうなっているのだろうと思っていたのだが、中心に中庭があって、そこにまた建物があった。外側の建物の内部を上り、屋上に出ることができる。下からは見えない黄金色(銅かな?)の屋根がすぐ目の前にあり迫力がある。お天気も良かったので、目にまぶしかった。また、避暑山荘の北の壁がすぐそこに眺められるのもなかなかいい。
山の斜面に建てられているので、坂道をけっこう歩いた。万寿塔が終点だったかな。ここは観光客は少なめで、のんびり見学できた。心なしか、他のお客もみんなベンチでくつろいだりして、まったりした雰囲気だった。
入場料は80元で、隣の普陀宗乗之廟と共通。二つのお寺を無料でカートが往復している。乗り場があり、係員もいないのに、中国人の家族連れ二組ほどがきちんと並んで待つ。おお、中国も変わったなあと感動していたら。カートが来て止まるやいなや、向かいの土産物屋の前にいた人たちがあっという間に飛び乗り、並んで待っていた人たちが全く乗れないという状況に。運転手も知らんふり。並んでいた人たちは当然腹を立て、全員並ぶのをやめた……。まずい、これじゃトロい私は永遠に乗れないよ! 三度目に乗れなかったら歩こうと思っていたが、三度目になんとか乗れた。やれやれ。
【普陀宗乗之廟】
またの名を小ポタラ宮。ラサのポタラ宮を模しているためこの呼び名がある。乾隆帝60歳と皇太后80歳を祝うため、乾隆帝32年(1767年)から乾隆36年(1771年)にかけて造られた。外八廟のなかで最大規模。
須弥福寿之廟の見学中から、うすうす感じていたのだが……ここを見学しているうちに、物悲しい気持ちになってきた。あちこちペンキが剥げているのはまあ普通だが、それにしても建物がずいぶん痛んでいる。まだ色鮮やかで、どう見ても最近修繕したとしか思えない格子天井が、あちこち濡れてよじれていたり、カビだらけになっていたり、ペロリと剥げて落ちかけていたり。あれは、ただの紙か、ビニールシートか。修繕の仕方がひどすぎないか? それとも、実はもともと安普請だった? 皇帝の目に入るところだけきれいにすれば、それで充分だったとか? それでもまさかここまでひどい造りではなかったろう。今もあちこち工事をしているが、どうせすぐボロくなるに違いない。建物内部に置いてある仏像も、ただ置いてあるだけ。みんな立派なのに……。建物もろとも、大事にされている感が全くない。遠目には威容を誇る外観なのに、かつての栄華が偲ばれるだけに、かえって悲しい。
中国のお寺は一部を除いてどこも似たりよったりの状況なので、ある程度覚悟はしていたが、その一方、「世界遺産」なんだから少しはましな扱いを受けているのではないかと期待もしていたのだ。甘かった。
この修繕のいい加減さの理由は、
①予算がない。
②あるはずのお金が末端までたどり着かない。
③修繕なんてこんなもん。これが普通。
のどれなんだろうか。どれもが合わさってこの結果という気もする。
屋上からの眺めはよかった……
向こうに殊像寺が見えているが、小ポタラ宮でがっかりしてちょっと脱力したのと、思ったより時間が遅くなってしまったので、もう行かないことにする。
目の前のバス停からバスに乗っていったん火神廟に戻り、1路のバスに乗り換え。承徳東バスターミナルへ行き、翌朝のバスの切符を購入した。バス停が見つからなかったり、いろいろエピソードはあるが、長くなるので省略。
(つづく)
ただし、ここまでずいぶん時間をかけてしまったうえ、夏休みの記憶がすでに曖昧になっていますので、今後はさらっと行きたいと思います。
☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆
承徳3日目は、外八廟のうちメジャーなお寺を回った。
【普寧寺】
乾隆20年(1775年)創建。ここはツアー客が多く、賑やか。入場料80元。外八廟で唯一、お坊さんがいるとのこと。ちょうどお堂で読経が始まったけれど、これは普段の勤行なのか、観光客向けのパフォーマンスなのか、どっちだろう。
普寧寺の最大の見物は、巨大な千手観音。高さ22.28メートルだそうだ。観音堂に入っても足元しか見えず、すぐ真下から見上げてやっとお顔が拝める。脇侍も2体とも同じくらい大きい。以前は二階、三階に上がって間近で見学できるようになっていたそうだ。建物は山の斜面に建てられていて、裏に回ると、ちょうど二階フロアと地面が同じ高さ。そこの扉が一つだけ開いていて、わずかに観音様の背中を覗けるようになっていた。
同じチケットで、隣接する普佑寺も見学できる。といっても、普佑寺の建物はすでに無く、基礎のみ。(そのうち再建されるのか?) 普寧寺と普佑寺の中間地点に「乾隆一条街」なる土産物屋が立ち並ぶエリアが造られており、そこを通らないと外へ出られない仕組み。
【須弥福寿之廟】
またの名を「班禅(パンチェン)行宮」。乾隆45年(1780年)、乾隆帝70歳の誕生祝いに承徳を訪れたパンチェン・ラマのために、パンチェン・ラマが住むシガツェのタルシンポ寺を模して建てられた。
チベットの建築について無知なので、四角い要塞のような建物の内部はどうなっているのだろうと思っていたのだが、中心に中庭があって、そこにまた建物があった。外側の建物の内部を上り、屋上に出ることができる。下からは見えない黄金色(銅かな?)の屋根がすぐ目の前にあり迫力がある。お天気も良かったので、目にまぶしかった。また、避暑山荘の北の壁がすぐそこに眺められるのもなかなかいい。
山の斜面に建てられているので、坂道をけっこう歩いた。万寿塔が終点だったかな。ここは観光客は少なめで、のんびり見学できた。心なしか、他のお客もみんなベンチでくつろいだりして、まったりした雰囲気だった。
入場料は80元で、隣の普陀宗乗之廟と共通。二つのお寺を無料でカートが往復している。乗り場があり、係員もいないのに、中国人の家族連れ二組ほどがきちんと並んで待つ。おお、中国も変わったなあと感動していたら。カートが来て止まるやいなや、向かいの土産物屋の前にいた人たちがあっという間に飛び乗り、並んで待っていた人たちが全く乗れないという状況に。運転手も知らんふり。並んでいた人たちは当然腹を立て、全員並ぶのをやめた……。まずい、これじゃトロい私は永遠に乗れないよ! 三度目に乗れなかったら歩こうと思っていたが、三度目になんとか乗れた。やれやれ。
【普陀宗乗之廟】
またの名を小ポタラ宮。ラサのポタラ宮を模しているためこの呼び名がある。乾隆帝60歳と皇太后80歳を祝うため、乾隆帝32年(1767年)から乾隆36年(1771年)にかけて造られた。外八廟のなかで最大規模。
須弥福寿之廟の見学中から、うすうす感じていたのだが……ここを見学しているうちに、物悲しい気持ちになってきた。あちこちペンキが剥げているのはまあ普通だが、それにしても建物がずいぶん痛んでいる。まだ色鮮やかで、どう見ても最近修繕したとしか思えない格子天井が、あちこち濡れてよじれていたり、カビだらけになっていたり、ペロリと剥げて落ちかけていたり。あれは、ただの紙か、ビニールシートか。修繕の仕方がひどすぎないか? それとも、実はもともと安普請だった? 皇帝の目に入るところだけきれいにすれば、それで充分だったとか? それでもまさかここまでひどい造りではなかったろう。今もあちこち工事をしているが、どうせすぐボロくなるに違いない。建物内部に置いてある仏像も、ただ置いてあるだけ。みんな立派なのに……。建物もろとも、大事にされている感が全くない。遠目には威容を誇る外観なのに、かつての栄華が偲ばれるだけに、かえって悲しい。
中国のお寺は一部を除いてどこも似たりよったりの状況なので、ある程度覚悟はしていたが、その一方、「世界遺産」なんだから少しはましな扱いを受けているのではないかと期待もしていたのだ。甘かった。
この修繕のいい加減さの理由は、
①予算がない。
②あるはずのお金が末端までたどり着かない。
③修繕なんてこんなもん。これが普通。
のどれなんだろうか。どれもが合わさってこの結果という気もする。
屋上からの眺めはよかった……
向こうに殊像寺が見えているが、小ポタラ宮でがっかりしてちょっと脱力したのと、思ったより時間が遅くなってしまったので、もう行かないことにする。
目の前のバス停からバスに乗っていったん火神廟に戻り、1路のバスに乗り換え。承徳東バスターミナルへ行き、翌朝のバスの切符を購入した。バス停が見つからなかったり、いろいろエピソードはあるが、長くなるので省略。
(つづく)