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未安心の部屋

「不安に立つ」ほかなし

旅行1日目 その2

2008年11月01日 | 観光
【9月7日】

「私が経験した中で一番寒かった冬は、サンフランシスコの夏だった。」
とマーク・トウェインの言葉にあるそうですが、
アメリカもコスタリカも暑いだろうと思っていた私は、思わぬ寒さに震えることになりました。
海は寒流なので鮭・マスなどの魚がとれるようですし
霧が発生すると日中も気温があがりません。
でも、日差しと霧のおかげで、果物は美味しく
植物も熱帯から寒帯のものまで多種のものが咲きそろうとのことでした。

もっと案内をしてくださる気持ちがおありだったようですが
車の後部座席ですぐにまぶたを閉じてしまう私の姿を見られてか、
中華料理のお店で遅い昼食をとると、センターへ向かい羽田先生にご挨拶し
夕食まで休ませてくださいました。

そして、夕食はジャック・ロンドンゆかりの港にあるレストランへ。
昼食のときに、羽田先生が肝臓移植をされたことについてお話をうかがいましたが
健康上、いかにもアメリカという食事はなさいませんでした。
この移植は、(登録こそしていても)ある日突然電話がかかってきて手術されたそうです。
昼間道路を走っていたときに、「3」という数字の書かれた車線を走りましたが、
「ここはね、3人以上乗っている車と電気自動車だけが走っていい車線(→環境対策のため)で
普通の車線を走ってたらすごい渋滞よ。
この車は電気(ハイブリッド?)だから、病院に毎日通うのに助かったわ。」
と奥様がおっしゃっていました。

宿泊は羽田先生宅の離れの建物へ。(シャワー、トイレ付き) ※写真は本宅
こうして滞在する人が多いのでしょう、毛布類が何枚もあり、助かりました。
庭というか空地では、連続講座のときに大勢でバーべキューをされるようでした。
仏教徒がバーベキュー? ……具までは聞きませんでしたが、
衣食住とともに仏教を学べる場所というのはいいものです。



旅行1日目 その1

2008年10月16日 | 観光
【9月7日】

7日の午後に出発して、7日の午前に到着するという不思議な感覚。
これ以来、「今日は何月何日の何時」という意識が薄くなっております。
 
このたびはバークレー在住の羽田さんを頼ってサンフランシスコへ向かいました。

「毎田仏教センター」という名称をご存知の方は少ないかもしれませんが、
羽田信生先生は、自宅を利用されて、毎田周一先生(※解説は検索中)のものを翻訳をなさったり、仏教講座を開かれているようです。
また、名古屋や碧南にもおみえになっていますし、清澤満之のものを英訳されて本山からも出しておられます。

今回空港まで迎えに来てくださったのは、初対面の奥様のとも子さんでした。
とも子さんはバークレーに向かって運転しながら、サンフランシスコを案内してくださいました。

そして、まず「アメリカはこうだ、というものはない」ということをおっしゃいました。
おぼろげながらも、私たちは滞在が短いうえに、アメリカのごく一部の都市を見るにすぎないことを教えられました。
羽田夫妻は以前はシカゴにおられたそうですが、バークレーに引っ越されたときは
「これが同じ国?」という驚きをもたれたそうです。

たとえば、人種差別。
日本はアメリカに原爆を落とされた被害者だ、という意識を私は抱いていましたが
アメリカの人の方も「私の祖父は日本人に殺された」といった具合に
恨みをいだいていたりします。
パールハーバー襲撃の日などは外出できない雰囲気があるようでした。

女性差別も結構あるようです。
全体的に、保守的なところはキリスト教の影響も強いようです。

バークレーは最初に学生運動がおこなわれた、リベラルな土地だそうです。
ある意味、差異を認め合う世界があるとも表現できるのかもしれません。
サンフランシスコにはゲイの街もありました。
その印の旗が店に掲げられていたくらいです。
仏教、とりわけ真宗などの認知度も、よその都市に比べて高いというか
ほかの場所では、仏教に関心がある人の割合はかなり低そうでした。

             (続きは3日後くらいに…)






旅行のきっかけ 2

2008年10月11日 | 観光
ところで、コスタリカで日本の携帯電話は使えるのか?

ということを確認するために、○○の販売店に問い合わせてみると
非常に通信費用のかかるイリジウム衛星携帯電話しかないという返事だったそうです。
困って、(でも、それが縁となりました)コスタリカの観光局に問い合わせると
他社のメーカーのものは使えるということがわかりました。
この電話に出られた方が、コスタリカへハネムーンで行くと言うと大変よろこばれて
非常に親切にいろいろなことを教えてくださったのです。

このI氏にピースツアーの計画に相談にのっていただいたり、優秀な通訳さんを紹介していただいたり、
幸運なことにバルガス教授とも面識があるとのことなので、
私たちとの面会が可能かどうかの連絡もとっていただきました。


一方で、アメリカ視察(と言いたくなります)の方ですが、
別院への訪問などを考えていましたが、宿泊施設や職員さんの予定など都合が合わず
もともと知り合いの羽田氏(バークレー在住)のところにお世話になることになりました。
ただ、ご夫妻は9月10日にサンフランシスコから日本に発たれるということなので
そのギリギリ重なる日をお願いしました。

「コスタリカがどんな国か見てこようと思います。」
と夫が羽田さんの奥様に電話でいうと、電話口で笑われてしまったそうです。
「あなた、3日や4日で何がわかるの?
どんな国か知るのには、一週間は滞在しなきゃダメよ!」
と言われたからでしょう。最初は全体で1週間から10日位のつもりだったのが
コスタリカだけで1週間滞在することになりました。

旅行のきっかけ

2008年10月09日 | 観光
私たちの新婚旅行ですが、本当は
海外は周囲の人たちが心配するから、と国内温泉旅行になる予定だったのです。

ある日、夫の師匠である児玉先生が、幕張メッセで開催された『9条世界会議』に参加されたこと、
そしてそこで基調講演をされたバルガス教授(コスタリカ大学)が印象深かったと周囲の人に話されました。
バルガス氏は「来年の『9条世界会議』は、ぜひコスタリカで開催してください。」としめくくられたそうです。
それで「コスタリカとはどんな国だろう?」と興味をもたれたようでした。
そして、「H君、新婚旅行の行き先は決まっていますか?」と私の夫に話がもちかけられたのでした。

コスタリカが軍隊をもたない国だということを
ご存じの方も結構いらっしゃいますが、
私は国名さえもそのとき初めて聞いたような気がします。
スペイン語圏ということで、どこにあるのかわかりませんでした。

さらに、近くで話をきいておられたM先生が
「アメリカにも寄って、海外布教の苦労話なんかを聞いてくると将来の役に立つだろう。
また、ディズニーはアメリカ文化の象徴だから、一度みてくるといい。」
と助言をされたそうで、そのような内容で旅行が組まれることになりました。
費用はかかるけれど、見てきたことをみんなに話せれば有意義だということになりました。

そして、まったく面識もないバルガス教授になんとか面会できないか?
と雲をつかむような計画がはじまりました。
これについては、ご本人のところに届くかどうかは別として、
手紙を渡してもらえそうな機関を紹介されたようです。
先生方の協力もいただき、英文で面会希望の手紙を送りました。

旅行会社は知人の所(ヴァケーション)にお願いしましたが、コスタリカは初めてだったようで
観光ツアーについては、現地のさくらツーリストのものを利用したようです。
さて、バルガス教授とは連絡がとれるのでしょうか。 (続く



オリジナル旅行

2008年10月07日 | 観光
まずは、私たちの最終的な日程と行き先です。
本当はなぜこんな旅行をすることになったのかを説明しないといけないのですが、次の機会にいたします。
          
                  

・1日目(9月7日)
 午後関空より出発し、サンフランシスコへ。時差の関係で到着は7日の午前。
 バークレーの羽田さん宅(毎田仏教センター)にて宿泊。

・2日目(9月8日)
 終日羽田夫妻にお世話いただき、
 午前、バークレーにある米国仏教団・浄土真宗センターと沼田仏教センターを見学。
 午後、カリフォルニア大学バークレー校の図書館(総合とアジア専門の2か所)を中心に見学。

・3日目(9月9日)
 サンフランシスコ空港よりアナハイム(ジョンウエイン空港)へ。
 午後4時頃よりディズニーランド。

・4日目(9月10日)
 ジョンウエイン空港からダラス空港へ。乗り換えてコスタリカの首都サンホセへ。

・5日目(9月11日)
 午前、サンホセ市内観光(スペイン語及び英語による解説)。
 午後、休息。

・6日目(9月12日)…日本語通訳を依頼
 午前、バルガス教授(コスタリカ大学国際法教授)と面会。
 その後サンホセ市内の小学校を見学。
 午後、カルタゴへ向かい、市場や遺跡を見つつカルタゴ大聖堂へ。
 大聖堂のコトー神父と面会。

・7日目(9月13日)
 1泊2日のツアー(スペイン語及び英語による解説)で、アレナル火山の麓のタバコン温泉へ。
 温泉を楽しみ、近くで宿泊。

・8日目(9月14日)
 カニョネグロ野生保護区ツアー。ボートで川沿いを探索。
 サンホセに戻る。

・9日目(9月15日)…日本語通訳を依頼
 午前、ポアス火山国立公園へ。午後はラバスの滝(動植物園)へ。

・10日目(9月16日)…日本語通訳を依頼
 午前、国連平和大学を見学。
 午後、国立小児科病院を見学。

・11日目(9月17日)
 サンホセを出発し、アメリカへ。
 ダラス空港で乗り換え、サンフランシスコ着。

・12日目(9月18日)
 観光のなかでは、唯一全くの二人だけの自由行動。
 サンフランシスコ市内の公共機関を利用し、
 グレース大聖堂とフィッシャーマンズワーフに行く。

・13日目(9月19日)
 サンフランシスコから日本へ向かう。

・14日目(9月20日)
 午後、関空に到着。JRはるかに乗って帰宅。
 



観音菩薩さま

2008年05月18日 | 観光
のはずです。

こんなに近くで見られて、幸せ。
たぶん毎年5月14日に行われています。

私が行ったときは、源信僧都のお母さんの菩提寺?である
阿日寺も寄りましたが、「ぼっくり寺」と書かれていて、ちょっと幻滅でした。

最近ほとんど聞法にでかけてないので情報に乏しいので、
ちょっと紹介してみました。

お迎え

2008年05月15日 | 観光
私が行ったのは2年前なのですが、
奈良の當麻寺では、練供養というものが毎年5月14日に行われます。

ブログに動画をためしてみようか、と思ったときに
真っ先に見たかったもので、もう少し早い時期にご紹介すべきでした。

中将姫を観音菩薩が浄土から娑婆へ迎えにきて、
折り返して、いよいよ浄土へ戻っていくシーンです。
時刻は夕方。
ちょうど西からの陽が反射して観音菩薩がますます金色に輝いていました。

少しだけ、私は仏教的ターミナルケアなるものを
佛教大学へ勉強しに行ったことがあるのですが
そこは浄土宗であったため、臨終正念が重要視されているようでした。

仏像と自分の手を五色の糸でむすび、念仏を十回する。
阿弥陀さまは菩薩をひきつれて雲にのってお迎えにいらっしゃる。
蓮華台を持っていらっしゃるのが、観音菩薩。
こういった世界を(五色の糸はなかったと思いますが)
具体的に、実体的に目に見せてくれる行事を見られたのはうれしかったです。

そういえば、観経曼荼羅もかけてありました。
展示のなかには、「南無阿弥陀仏」と女性の髪で刺繍されたものがあったことが
印象に残っています。







他宗派報恩講

2008年01月06日 | 観光
他宗派のことはよく存じませんので、観光案内程度にお知らせします。
専修寺はピカピカになっているかもしれませんね。


◆真宗高田派 お七夜報恩講
 日時:1月9日(水)より16日(水)まで
 会場:真宗高田派本山専修寺
     三重県津市一身田町2819番地
     TEL 059-232-4171
     (JR一身田駅より徒歩約5分)
 ※大修理が終わったばかりの御影堂で報恩講が厳修されます。


◆浄土真宗本願寺派 親鸞聖人御正忌報恩講
 日時:1月9日(水)より16日(水)まで
 会場:浄土真宗本願寺派本願寺
     京都市下京区堀川通花屋町下ル
     TEL 075-371-5181(代) 
     (JR京都駅より徒歩、または市バス『西本願寺前』下車)