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未安心の部屋

「不安に立つ」ほかなし

三好 優氏の足跡

2016年05月16日 | その他
杉本さんのこともショックでしたが、
昨年9月頃に亡くなられた三好優さんのことも
そのままにしておけない気持ちが私には残っています。

三好さんは、相応学舎には マイケル先生の英訳教行信証を読む会に、熱心に参加されていました。
末期のすい臓がんだとわかり、「もう、相応学舎に来るのは今月が最後です。」とおっしゃった翌月も参加されたと思います。
実家の四国に帰るとおっしゃっていましたが、ギリギリまで大阪で聞法生活を続けられたようです。

「リバース」というブログを始められ、三好さんの聞法の歩みや親鸞会でのことを書き綴ろうとされましたが、度々の入院で更新もままならず、なんとか布教大会で法話をされても、体調が悪くて思うように話ができなかった様子でした。
ブログの更新はなくとも、書きたいのに書けない悔しさが、ずっと伝わってくるようでした。
残念ながら、そのブログも今は閲覧できなくなっています。

三好さんは、「悲」という通信紙に寄稿されたことがあります。
それは一部の人しか目に触れることがないので、ここでその文章の一部を紹介させて下さい。
たぶん2年ほど前の原稿です。

以下、三好さんの原稿の一部です。



 幼児期に大病を患って少年時代病弱だった私は「死んだらどうなるか」という問題は大きな問題でした。学生時代が終わって社会人になっても親鸞会の活動を続けました。より多く活動する為に大阪へ出て、毎週海外を含めて聴聞に行きましたが、なかなか後生の一大事が解決できません。
最初は「私の努力が足らない」と思っていましたが、10年、20年と年数を重ねてゆくうち、不審感が増してゆきました。
   (…中略…)
 約30年間親鸞会に在籍して、人生の半分以上をその活動に費やしましたが、不思議なことに恨みや後悔はありません。私の実家は禅宗なので、もしあの時親鸞会に出遇わなければ、今真宗の教えを聞かせて頂くことができなかったと思います。私は今、真宗の教えを東西関係なく聞かせて頂いています。逆に親鸞会という団体に居たおかげで東とか西とか、とらわれることなく聞けるのだろうと思っています。
 親鸞会を退会した人には恨みを持っている人も多く居ます。また自分が親鸞会に在籍していた事を言いたがらない人もいます。その人達の気持ちもわかりますが、「親鸞会に在籍していた私も」私なのだと思いますから否定はできません。また「親鸞会は間違いで○○は正しい」と言っている人もいますが、それは「親鸞会」を○○に換えただけかもしれません。それならばまだカルトの延長線でしかありません。

杉本耕一氏の足跡

2016年05月12日 | その他
丁寧なご紹介ができませんが、杉本耕一氏のご著書と
大学の教員紹介の文章の一部を抜粋させていただきます。
なお、昔の「下総たより」にも文章を掲載させていただいたことがあります。

また、葬儀は真宗大谷派で勤まったようです。
禅に親しまれた氏には不本意だったかもしれませんが、
私たちとのご縁がずっとつながっているような気持ちがしますし、
西田幾多郎の家も大谷派だったから、それなりの共通点があっていいような気がします。



著書:「西田哲学と歴史的世界――宗教の問いへ」
    京都大学学術出版会 (2013/12/17)


科目紹介より:

 私が「倫理思想史」を学ぶことの魅力をとりわけ強く感じるのは、一つに、過去の思想家が、現在の自分とまさに同じ問題にぶつかっていたのだということに気づいたときです。何かうまくいかなかったり、不幸が起ったりして、それまであたりまえだと思っていたことの足場が崩れ、「自己」とは?「死」とは?といった根本的な問題について改めて考えずにはいられなくなるということは、生きてゆく中で起りうることだと思います。
過去の思想を学ぶ中で、そういう問題にぶつかっているのが自分だけではなかったのだと知るのは心強いことです。さらに、そういう問題に対して過去の思想家が、私には想像もできなかったような、はっとさせられるような答えを出しているのに出会うとき、「倫理思想史」を学んでいてよかったと実感します。

杉本先生ありがとう

2016年05月07日 | その他
諸事情により、お知らせが遅くなりましたが、これまで相応学舎で(たぶん4年間くらい)

 はじめての西田幾多郎(輪読会)~「場所的論理と宗教的世界観」~

の輪読会でご指導をくださっていた、杉本耕一氏(愛媛大学准教授)が急逝されました。

先月の21日頃だと思いますが、致死性の不整脈で自宅で亡くなっていたとうかがっております。
前途ある若き研究者で、愛媛に引っ越されても相応学舎に通ってくださっていて、言葉もありません。
明日は我が身…ということでしょうか。

5月11日の午後はもともと「化身土巻」の輪読を行う予定でしたが、
「杉本さんをしのぶ会」とさせていただくそうです。
主な方々には、夫から既に連絡が入っているようですし、詳細も決めてないようなので
時間や内容等は特にご案内致しません。


今日はお報せにとどめておきます。
(今月の本多先生の会のときに、「下総たより」を配付予定ですが、
そちらにはこのことは触れておりません。)

今後のお願い(輪読会)

2016年04月11日 | その他
自坊に完全に帰ってから、約2週間になります。
娘の方は、幼稚園やガールスカウトのお友達と
きちんとお別れをしてきましたが、
私の方は挨拶もろくにせず、申し訳ないことです。
(もう二度と会えない、と思いたくない気持ちもありました。)
これまで、京都でお世話になった皆さん 
本当にありがとうございました。

もともと、私はいてもいなくてもわからないタイプの人間なので
特に変わった感じはないかと思いますが、
輪読会でのお茶とか菓子などのサービス?は
今後基本的になくなると思います。
ペットボトルのお茶程度は用意できるかもしれませんが、
できるだけ各自でご用意いただいた方がよろしいかと思います。

自主的にお茶のお世話をされたり、
茶菓子を持ってみえるのはもちろん有り難いですが、
無理はなさらないで下さい。
また、菓子を持ってみえた場合などは
前から順番にまわして取っていただく、といった方法で
最後にできるだけ残らないようお願いいたします。

コーヒーの缶とかお弁当の空容器等も
できるだけ持ち帰っていただくか、
ビニール袋でしっかり封をして
ゴキブリやネズミの害が出ないよう
ご協力いただけますと助かります。


自分の引っ越しが精一杯で
西田の輪読会の資料などの用意もできず、申し訳ありません。
今後皆さんにはご迷惑をおかけするかもしれませんが、
何かあれば平野に一声かけて下さい。



ラジオ 宗教の時間

2015年10月03日 | その他
NHKラジオ第2 では、毎週日曜日の朝
午前8時30分~午前9時に、「宗教の時間」という番組を放送しています。

きたる10月4日(日)は、
本多弘之先生(親鸞仏教センター所長)がお話されるそうです。

題名は「極悪深重の衆生として」。
ちなみに、再放送は10月11日(日)の午後6時30分~7時のようです。

 




羽田先生の本

2015年10月02日 | その他
ご案内がすっかり遅くなりましたが、今月4日に相応学舎でお話をされる羽田信生先生(バークレー・毎田仏教センター所長)の本が8月に出版されましたので、ご紹介します。



親鸞の『大無量寿経』(上)  
   -「仏仏相念」の経-
 
  (羽田信生著・樹心社発行)
   本体価格 2,800円

相応学舎にも置かせていただいております。

ちなみに、裏表紙のデザインは「如是」の文字です。

「感動」の賞味期限

2015年06月15日 | その他
4月から娘をガールスカウトに入れた関係で
昨日は「小山ロール」で知られる小山進シェフの講演会&お菓子教室に行ってきました。

その講演の内容で興味深いことがありました。
小山氏は幼稚園や小学校にたびたびよばれて
講演等をされるのですが、
最後の「お礼のことば」に全く先程までやっていた事柄が含まれていない、
というものでした。

さっきまで目を輝かせていた子どもたち。
なのに、その体験についてのことばがない、というのは不自然ではないか。

「その“お礼のことば”、いつ考えたの?」と子どもにたずねると
「4日前に先生と作りました。」と返ってきたそうです。

その後にPTAからの謝辞。
そこにも同じく今日の内容が盛り込まれていません。
「その謝辞、4日前くらいに考えたんでしょう?」と小山氏がきくと
「私は人前に話すのが苦手なので、1週間前に考えました。」という返事。

日本社会では至極当たり前のことです。
でも、その日のフレッシュな感動を相手に伝えない、ということを繰り返していたら、
確かにコミュニケーションはよくならないでしょう。

小山氏が感じるには、
現代の子どもがコミュニケーション力に欠ける原因は
話をきいてくれる大人がいない、ということだそうです。
「ねぇ、きいて! きいて!」
近くに母親がいなければ、近所のおっちゃんとか、
昔は、今日あった出来事を伝える相手がどこかにいました。
話をきいてくれる人がいなければ
子どもは伝える喜びを知ることがありません。

パティシエにとって、ケーキ作りは表現方法のひとつであって、
まず何かに感動し、それをみんなに伝えたい、
その思いがケーキとかパッケージとかに変換されているだけ
なのだそうです。

            

私も何か感じることがあって、
ブログに載せたいなぁ、と思うことがたびたびあります。
でも、「その前にこの仕事をすませておかなければ」等の思いにさえぎられて
その感動や疑問を埋めて、忘れ去ってしまっています。
それが、生きる力や人とのつながりを弱めてしまっているのかもしれません。

何かに感じること。
そしてそれを誰かに伝えたいと思うこと。
そして、具体的に表現すること。

小山氏の言葉にはありませんでしたが、
「感動は、本日中にお召し上がりください。」ですね。

「安田理深集 上」

2014年11月30日 | その他
東本願寺出版部より発行されました。
編集は教学研究所で、「聞思の人」シリーズ。
昭和58年に発行されたものの改訂版です。
本体価格は1500円です。

残念ながら、この本は相応学舎では取り扱っておりません。
東本願寺出版社には安田先生の法話DVDもあります。

本多弘之先生の「新講 教行信証 行巻5」(樹心社)につきましては
近々 入手可能の予定です。

マンガとはいえ…

2014年11月26日 | その他
たまたま書店のコミックコーナーで見つけたのですが、
里中満智子「ブッダをめぐる人々」(中公文庫)という本がありました。
全2冊で、釈尊の弟子13人ずつのエピソードが載っています。
少し目を通したところ、なかなか良い感じです。

また、「若き日のブッダ」という単行本も出ているようです。
さらには、マンガ旧約聖書もあるようです。(全3冊)

少女まんがのなかでは、
里中満智子は私も比較的読む方でしたが、
素晴らしい仕事をする人なのだな、と思いました。
ブッダを描こうとしたのは
キサー・ゴータミーに対するブッダの教え方に感動したからのようです。
感動したから描きたくなった。
それが原点にあることがうれしくなりました。




ところで、今日の高倉会館の讃仰講演会のネット配信は
トラブルがあったようで、
忘れた頃に見られるようになっていました。
残念。。