杉本さんのこともショックでしたが、
昨年9月頃に亡くなられた三好優さんのことも
そのままにしておけない気持ちが私には残っています。
三好さんは、相応学舎には マイケル先生の英訳教行信証を読む会に、熱心に参加されていました。
末期のすい臓がんだとわかり、「もう、相応学舎に来るのは今月が最後です。」とおっしゃった翌月も参加されたと思います。
実家の四国に帰るとおっしゃっていましたが、ギリギリまで大阪で聞法生活を続けられたようです。
「リバース」というブログを始められ、三好さんの聞法の歩みや親鸞会でのことを書き綴ろうとされましたが、度々の入院で更新もままならず、なんとか布教大会で法話をされても、体調が悪くて思うように話ができなかった様子でした。
ブログの更新はなくとも、書きたいのに書けない悔しさが、ずっと伝わってくるようでした。
残念ながら、そのブログも今は閲覧できなくなっています。
三好さんは、「悲」という通信紙に寄稿されたことがあります。
それは一部の人しか目に触れることがないので、ここでその文章の一部を紹介させて下さい。
たぶん2年ほど前の原稿です。
以下、三好さんの原稿の一部です。
幼児期に大病を患って少年時代病弱だった私は「死んだらどうなるか」という問題は大きな問題でした。学生時代が終わって社会人になっても親鸞会の活動を続けました。より多く活動する為に大阪へ出て、毎週海外を含めて聴聞に行きましたが、なかなか後生の一大事が解決できません。
最初は「私の努力が足らない」と思っていましたが、10年、20年と年数を重ねてゆくうち、不審感が増してゆきました。
(…中略…)
約30年間親鸞会に在籍して、人生の半分以上をその活動に費やしましたが、不思議なことに恨みや後悔はありません。私の実家は禅宗なので、もしあの時親鸞会に出遇わなければ、今真宗の教えを聞かせて頂くことができなかったと思います。私は今、真宗の教えを東西関係なく聞かせて頂いています。逆に親鸞会という団体に居たおかげで東とか西とか、とらわれることなく聞けるのだろうと思っています。
親鸞会を退会した人には恨みを持っている人も多く居ます。また自分が親鸞会に在籍していた事を言いたがらない人もいます。その人達の気持ちもわかりますが、「親鸞会に在籍していた私も」私なのだと思いますから否定はできません。また「親鸞会は間違いで○○は正しい」と言っている人もいますが、それは「親鸞会」を○○に換えただけかもしれません。それならばまだカルトの延長線でしかありません。
昨年9月頃に亡くなられた三好優さんのことも
そのままにしておけない気持ちが私には残っています。
三好さんは、相応学舎には マイケル先生の英訳教行信証を読む会に、熱心に参加されていました。
末期のすい臓がんだとわかり、「もう、相応学舎に来るのは今月が最後です。」とおっしゃった翌月も参加されたと思います。
実家の四国に帰るとおっしゃっていましたが、ギリギリまで大阪で聞法生活を続けられたようです。
「リバース」というブログを始められ、三好さんの聞法の歩みや親鸞会でのことを書き綴ろうとされましたが、度々の入院で更新もままならず、なんとか布教大会で法話をされても、体調が悪くて思うように話ができなかった様子でした。
ブログの更新はなくとも、書きたいのに書けない悔しさが、ずっと伝わってくるようでした。
残念ながら、そのブログも今は閲覧できなくなっています。
三好さんは、「悲」という通信紙に寄稿されたことがあります。
それは一部の人しか目に触れることがないので、ここでその文章の一部を紹介させて下さい。
たぶん2年ほど前の原稿です。
以下、三好さんの原稿の一部です。
幼児期に大病を患って少年時代病弱だった私は「死んだらどうなるか」という問題は大きな問題でした。学生時代が終わって社会人になっても親鸞会の活動を続けました。より多く活動する為に大阪へ出て、毎週海外を含めて聴聞に行きましたが、なかなか後生の一大事が解決できません。
最初は「私の努力が足らない」と思っていましたが、10年、20年と年数を重ねてゆくうち、不審感が増してゆきました。
(…中略…)
約30年間親鸞会に在籍して、人生の半分以上をその活動に費やしましたが、不思議なことに恨みや後悔はありません。私の実家は禅宗なので、もしあの時親鸞会に出遇わなければ、今真宗の教えを聞かせて頂くことができなかったと思います。私は今、真宗の教えを東西関係なく聞かせて頂いています。逆に親鸞会という団体に居たおかげで東とか西とか、とらわれることなく聞けるのだろうと思っています。
親鸞会を退会した人には恨みを持っている人も多く居ます。また自分が親鸞会に在籍していた事を言いたがらない人もいます。その人達の気持ちもわかりますが、「親鸞会に在籍していた私も」私なのだと思いますから否定はできません。また「親鸞会は間違いで○○は正しい」と言っている人もいますが、それは「親鸞会」を○○に換えただけかもしれません。それならばまだカルトの延長線でしかありません。