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未安心の部屋

「不安に立つ」ほかなし

虫のいのち

2009年01月25日 | 観光
【旅行6日目 小学校訪問その2】


小学校の中を見学していたときのことです。
話の途中で 通訳のリカルドさんが、
「あ、ちょっと、Hさん。」と主人の肩の方に手を伸ばしました。
主人の服には、小さな小さな虫がついていました。
                              

リカルドさんは、指をのばして、その虫が自分の指にのってくるのを待ち、
指の上に虫がのっかると
今度は、近くに植えられている樹木の葉の一枚に
その虫を移動させました。

そのいつくしみの動作とゆったりとした時間…。


私たち夫婦にとって、この光景はとても新鮮でした。
私だったら、きっと服を軽くたたいて、虫を払い落してしまうでしょう。
それも無意識に。
虫がつぶれてしまったら、「あーあ、服が汚れちゃった」と思うだけです。

リカルドさんは、ごく当たり前のことのように虫の動きを尊重していました。
「自然を大切に」「いのちを大事にしよう」などというスローガンを掲げる必要のない
日常性が、ここにありました。


         
【カルタゴへ】


小学校の訪問を終えると、昼食をとり、
私たちはカルタゴという都市に向かいました。
目的の大聖堂に行く途中で、車が停まりました。
ついでに教会の遺跡を見せてくれるというのです。
この教会は完成をみるまえに大地震があり、建設をあきらめたようです。
昔、コスタリカの首都はカルタゴだったのですが
地震が多いためにサンホセに移転したときいています。

この遺跡をながめていると、リカルドさんが何やら下を見ています。
羽アリの行列がつづいていたのでした。
非常に長い行列だったので、その先がどこなのか私たちは探しました。
そして石の間から出ているのを確認し、カメラの動画で撮ってみたりしました。
久しぶりに子どもの視線にかえったようです。


旅行6日目 小学校訪問その1

2009年01月18日 | 観光
【9月12日】
バルガス教授のところでそれなりに時間をいただき、
次はサンホセ市内の小学校へ。

入口付近には縁日の屋台のような小さな売店があり
お菓子やおもちゃ、文具がならんでいました。
こずかいで買えるようです。
校長先生らしき人は女性で、案内の先生を紹介されました。
それにしても驚いたのは、建物のカラフルなこと!
壁は当たり前。天井にも柱にも絵が描かれています。


平屋建ての教室の入口の扉も華やかです。
ここは学年とは無関係に、鳥のケツァールについて学習する部屋だそうです。
同様に、他の教室の扉には他の種類の鳥が描かれたり、
コスタリカの民族について学ぶ部屋、というふうになっていました。

扉の飾り付けは、15日の独立記念日が関係しているのかもしれません。
青と白と赤の旗はコスタリカの国旗で
中に描かれている紋章はコスタリカの風景(火山や海)の象徴だということです。
また、学校は創立○○周年記念を迎えているようで
それにちなんだ絵や工作、記事や写真などが壁をかざっていました。


こちらは女子トイレの入り口。
反対側にある男子トイレの入り口はブルー系統のイラストが描かれていました。

授業中の教室には入りませんでしたが、
視聴覚室や図書室には入ることができました。
図書室の入口には「知識を売る店」とスペイン語で書かれていました。


こちらは学校内の植物園。
薬草や植物が植えられ、一画には野外教室用のベンチがありました。
ときには、ここで授業をするそうで、
遠くには山も見え、首都とは思えない環境です。


私たちの案内をしながら、先生は生徒がきちんと手を洗っていないのを見つけて
指導をしていました。
水道の近くにあるタンクらしきものを見て、
私は水やりに雨水を利用しているのでは?と思い、先生にたずねてみましたが
そういうことはしていないようです。
環境の先進国かとちょっと期待しましたが、そこまでは進んでいないようです。
校内には分別ごみの容器がおかれ、ごみ分別を教える掲示もありましたが、
一般市民への浸透はまだこれからのようでした。

旅行6日目 バルガス教授との面会

2009年01月17日 | 観光
【9月12日】

朝7時半にホテルのロビーに行くと
若くてイケメンなコスタリカ人の通訳さんが運転手さんと来ていました。
今日はたくさん訪問するところがあります。
午前中にコスタリカ大学のバルガス教授と面会、そして小学校訪問。
午後はカルタゴという都市にある大聖堂で神父さんと面会。

私たちがコスタリカにくることになったのは、
主人の師が今年の「9条世界会議」でバルガス教授の講演を聴いたのがきっかけでした。
 ※参考までに
  http://whynot9.jp/program/guest.html
  http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20060703.html

(通訳を交えて面談することが実現したいきさつについては
 10月9日と11日のブログで書いています。       )

場所は教授の事務所でした。
大変にこやかな顔をされてバルガス教授が部屋に入ってこられ
思いがけず緑茶が出されました。
当日のメモが見当たらないので私の印象に残ったことを書きます。

           

教授は日本の事情をよく知っておられ、靖国問題も理解されていました。
「日本は永世中立宣言をすべきです。」とおっしゃいました。
日本は積極的に戦争はしていないかもしれません。
でも、どの国とも対等に接し、どの国に対しても中立な立場にあるかといえば
アメリカの顔色をうかがってばかりです。
コスタリカもアメリカから軍事施設をおかせるようにといった圧力がかかったようですが
はねのけています。
そういう姿勢が、逆にアメリカ人から信頼され、尊敬の目でみられるとのことです。

憲法改正については、
コスタリカは非常に簡単な手続きと費用、短い日数で裁判をおこすことができる、
という点で日本とはだいぶ違っていました。
民意がすぐ反映されるから、国民の憲法に対する意識は非常に高く、
「憲法は私たちの精神である」と皆が感じているとのことです。

これらのことは子どもの教育も大きく影響しています。
コスタリカの人々は国民性として争いを好まず、話し合おうとします。
外国との摩擦も、暴力ではなく話し合いで解決しようとします。
日本では子どもの取っ組み合いのケンカは元気の象徴とされますが
コスタリカでは野蛮な行為にすぎないようです。
そして、選挙権を得るのはずっと先のことでも、選挙が近付くと、
「私は○○党を支持する。その理由はこれこれしかじかだ。」と
子どもたちはそれぞれ意見を言い合います。
憲法や選挙を身近に感じていて、関心が高いことがわかります。

これには幼いときから、学校でそういった訓練がされているそうです。
軍事費にお金をかけるより、
話し合いで困難に立ち向かい、交渉していく能力の高い人材を育てる。
そういう教育に費用をかける。

日本だってできるはず……ですよね?

旅行5日目

2009年01月11日 | 観光
【9月11日】

さあ、いよいよコスタリカでの観光です。
サンホセ市内の様子をつかむために、第一日目は半日市内観光が申し込んでありました。
朝8時にホテルのロビーで待っていると、「turismo」と書かれたマイクロバスがやって来ました。
何となく字面で旅行関係とわかりますね。
バスに乗ってみると、みな外国人です。
私たち参加者はガイドさんからどこから来たのか尋ねられ、
観光案内をスペイン語と英語ですると言われました。

よどみないスペイン語と英語の説明が交互に繰り返され、
私たちは、英語の番とわかると 耳を集中させました。

う~ん。何言ってるんだろう…  

一生懸命神経を集中させて聞いていると、
数十分がとても長く感じます。
今はこんな話題をしているようだ、という程度の理解で精一杯でした。




そのうち、バスがとまって公園に降りました。
(本で見てみると)そこはナシオナル公園で、独立記念塔があるのでした。
コスタリカの独立記念日は9月15日、もうじきです。
当日この周辺は大変な人出になることでしょう。
外は真っ青な空と光がまぶしく、木々には真っ赤な花が咲いています。




次に降ろされたのは国立劇場。
コスタリカのイメージと違って、内部はヨーロッパに来たような豪華絢爛な建物です。
大理石でホールや階段が作られています。
貴賓席もあり、いかにもオペラが上演されそうな雰囲気。
ロビーの天井には絵がかかれていて、その絵には間違いが数か所あるとガイドさんが説明していました。
語学力がなくて正確な内容はよくわかりませんでしたが、 
画家は想像で描いたので、農民が手に持っているバナナの房の向きが違う、
というようなものでした。




次は黄金美術館。
ここは鑑賞する時間がもうけられました。
古代からのコスタリカの暮らしや自然、文化が紹介されていて
説明はよくわかりませんでしたが、それなりに楽しむことができました。
蝶々や蛙をかたどった金属の装飾品が印象的でした。

そして、ツアーにはつきものですね。
最後はお土産屋さんで、必要以上に長い時間をとられました。

半日観光とはいえ、本当に神経が疲れて帰りました。
今日はまず昼食が必要なので、とりあえずホテル内のレストランでとることにしましたが、
値段を見ると高いではありませんか。
朝食は空港で買ったサンドイッチがあったのでそれですませたのでしたが、
私は飲み物しか頼む気がなくなってしまいました。
夫はピザとスープを頼みましたが、口に合わずあまり食べませんでした。
疲れがたまり、この日の午後はただ寝るばかりです。
暗くなってしまって食料品の買い出しに行きそびれ、夕食はどうしようという話になると
ここで結婚後、最初の険悪な空気がながれ、
意地をはって 二人は夕食ぬきでこの日を終えたのでした。

旅行4日目

2009年01月04日 | 観光
【9月10日】    
4日目はただ移動だけの日でしたが、非常に緊張する日でした。
朝8時にホテルを出発し、ジョンウェイン空港へ。
ジョンウェイン空港からダラス空港で乗り換え〈国内線〉て、
コスタリカのサンホセ空港へ。〈国際線〉

先の便も後の便も予定よりかなり遅れ、待ち時間が長かったので、
コスタリカに着いたのは午後11時頃だったように思います。
コスタリカへの直行便がないのでアメリカに寄ることになったのですが
同じアメリカ大陸とはいえ、なかなか時間がかかります。

途中のダラス空港で気をつけなければいけないのは
乗り換えの際に荷物を預け直さないといけないかどうか、の確認でした。
事前に旅行会社の方から、「たぶんダラスで受け取らないといけないと思います」と
聞いていたので、その質問の英作文も用意しておきましたが、
結果的には預け直さなくても、荷物は国際線のコスタリカ行きの飛行機に積まれていました。

日本からアメリカへの機内は日本人がたくさん乗っていましたが、
さすがにコスタリカ行きの飛行機には日本人らしき人は乗っていません。
私たちの隣に座っていたオジサン(お兄さんかも)は親切な人で
トイレに行くときも快く席を立ってくださったり、
出国書を記入するのに何を記入したらよいかわからず
電子辞書で一つひとつ単語を調べている私たちを見て、
記入箇所を指差して「コスタリカ」「USA」と教えてくれました。

暗闇から山の間をぬうように心細い感じの赤めの明かりの列が飛行機から見えてくると、
コスタリカかな?という感じがしてきました。
やがて明かりがにぎやかになってきて、サンホセの空港に到着しましたが
時刻はかなり遅いので空港の中もさびしげで人気もあまりありません。
予定より2時間半くらい遅く着いているので、迎えの専用車の人が待っていてくれているか
私たちは非常に不安でした。

ここはスペイン語圏なので、表示の多くはスペイン語で見慣れません。
そのなかに、私たちの姓が書かれた紙を掲げている人がいました。
確か漢字だったと思います。
客は私たちだけで少し不安でしたが、40分くらい専用車に乗るとホテルに到着しました。

何とかチェックインをすませ、エレベーターで部屋のある階で降りると
そこの廊下は片側が一面ガラスになっており、
息をのむような美しい夜景がひろがっていました。
山の頂上から裾にかけて、明かりの線が放射状に広がっていました。
そして部屋に入ると、粋なことに、旅行会社の担当者からのお祝いのカードと
スパーリングワイン等が届けられていたのです。
無事にコスタリカまで、ホテルの部屋まで着けるか、と
二人の緊張が高まっていただけにホッとし、
「なんか、新婚旅行に来たみたい。」という感想をもらしてしまいました。



旅行3日目 その2

2009年01月04日 | 観光
信念 あけましておめでとうございます。
懲りずにこちらのページにお越しくださり、有難うございます。
早く旅行記を終えて、日常のお知らせができるようにと思っております。
          

【9月9日】
朝食を終えると、サンフランシスコ空港まで羽田先生の奥様が車で送ってくださいました。
さて、ここからは二人での行動です。
ジョンウェイン空港に到着したらシャトルバスに乗ることになっています。
飛行機が1時間余り遅れていたため、無事に乗れるか不安でした。
空港で乗り場を人に尋ねると、「SUPER SHUTTLE」と書かれた青い車が停まっていて
係りの人に予約確認書を見せると、乗るように手招きされました。
運転手さんは、どの客がどのホテルに泊まり、どの荷物を持ってきたかちゃんと把握していて
順番に降ろしていってくれます。
ただ、私たちのホテルはディズニーランドのすぐ近くと聞いていたのに結構遠くて
とても徒歩で往復などできそうにありません。
ホテルの部屋を出たとき、すでに時刻は午後4時頃になっていました。
海外のタクシーは不安でしたが、フロントで呼んでもらってディズニーランドへ。

ディズニーランドでは、平日の夕方で客が少なかったか
ほとんど待ち時間なしで乗り物に乗ることができました。
変な言い方ですが、東京ディズニーランドによく似ていました。
タクシーで少し度胸がついてか、高所恐怖症の私も少しコワイ乗り物に挑戦!
銃社会のアメリカにいて、ここは「守られた安全がある平穏な場所」という感じがしました。
ドキドキする心境とはいっても、ここでは安心が保障されたなかでのドキドキで
世の中の不安とは異なるから人々の憧れの場所なのだと思いました。



夜のパレードを見終わって、1日パスポートなので他の会場へ移ろうとしたのですが、
語学力がないためか再入場がはたせず、疲れも出て、閉園前に帰ることになりました。
帰りは一種のバスを利用しました。

海外では、買い物する、食べる、乗るという何でもない生活の部分が
無事にこなせるかが大きな目標になってきます。
この日はディズニーランドでチリドックを食べ、
ホテルで(羽田宅でいただいた)ベーグルと
ホテルの売店で買ったカップヌードル・パン・バナナを部屋のコーヒーで
いただくという食事内容でした。
羽田先生のところでは肝臓を悪くされてから脂っこい料理や肉をさけるようにしておられるようで
アメリカっぽい食事は今のところ経験せず、です。
明日はいよいよコスタリカ。


旅行3日目 その1

2008年11月09日 | 観光
【9月9日】

さて、カリフォルニアを発つ日になりました。
食事のときにはいろいろと夫妻からお話を伺うことができましたが、
そのなかで、あくまでも「如是我聞(私はこのように聞きました)」の内容です。

              

海外布教について、お西は人材の養成にそれなりに取り組んで
現地の状況に合った対応をしているようなのですが、
お東の印象としては、職員は「本山から派遣」されているだけで、
「本山の末端機関」として本山の意向に沿った活動をしなければ
いくらやる気のある職員でもクビにされてしまう、
という感じです。

新しい職員が来ると、現地のひとびとは
そのたびに新しい生活の面倒をみたり助言を与えることになりますが、
根付く前に職員が交代してしまうので、いい加減イヤになります。
さらには、「日本へ帰るまで、とにかく我慢すればいい。」という
職員さんの姿勢が見えてしまうこともあるでしょう。

アメリカで生きている人びとの行住坐臥を見聞することのない本山の指導が
絶対的で、現地に住んでいる人々に任せていくということを許さない組織とは
いかがなものでしょう?

―宗教は生きている― そんな題の本があったような記憶がありますが、
教えは生き物というか、いのちそのもののような印象をうけました。

旅行2日目 その2

2008年11月09日 | 観光
【9月8日】

大学内の売店でサンドイッチとコーヒーを買って遅い昼食を食べ…
と書きたいところですが、
実際は羽田先生の奥様が適当にいくつか注文してくださいました。
それを買うには「サンドイッチのパンの生地は4種類あるが、どれにするか?焼くか焼かないか?」といった
数々の質問が理解できないといけないわけで、私たちは対応できそうにありません。
買っていただいた軽食を外のベンチに座って食べていると、リスが目の前を走っていきました。

校内にある、有名な高い時計塔にのぼって周辺の景色を楽しんだ後、
次は沼田仏教センターへ向かいました。

沼田仏教センター」の存在はこの日に初めて知りました。
ホテルに泊まると、聖書のような仏典が机の引き出しに入っていたことがありませんか?
和文英訳の組み合わせであったかと思います。
あの本は「仏教伝道協会」というところから発行されているらしく
沼田さんという方がこのような布教活動に力を尽くされたようです。
そういえば、先に訪れたカリフォルニア大学のアジア文献専門の図書館にも
沼田氏を記念する部屋もありました。
この沼田センターは翻訳研究の施設のようで、
毎田仏教センターと同じように、外観は個人宅とかわりません。
英訳大蔵経がならんでいるのに感激した夫は、早速『摂大乗論』の英訳を購入しました。
仏教聖典については、英訳のみならず、40カ国以上の言語で発行されていました。


この日の夕食は中華レストランへ。
これまた、事前に注文がしてあり、支払いもまとめてしていただいたので
私たちはなかなか自立できません。
チップってどうやって、いくら渡すのでしょうね?
不安で訊ねても、ますます自信が無くなる私たちでした。
羽田夫妻とも明朝でお別れなので、
帰りのサンフランシスコではどこに行くのがお勧めか、どこに行ったら危険かをお尋ねしました。
危険な地域は夫婦間でも認識が違うようで
「あなた知らないの?あそこは昼間でも危険よ!」と言い合っているのを聞くと、
もうどこにも出かけたくない気持ちになりました。
前日、国立歌劇場のような施設が立ち並ぶ道を車で通ったのですが
そこも危険だというのです。
          

夕食を終えると、お東の別院の前まで車で連れて行ってくださいました。
もう遅いので施設を外から見ただけですが、ちょっと車をとめて建物を見るだけでも
気をつけないといけないような感じでした。
以前日本人が多く住んでいた場所は、やがて韓国人が住み、やがて黒人に変わり、
治安が悪くなっていく傾向にあるようです。

疲れがたまって自由時間はひたすら寝ていた私たちは
結局自分たちで散歩したり買い物をすることもなく
羽田夫妻にお世話になるばかりでした。
明日からちゃんと行けるのでしょうかね。







旅行2日目 その1

2008年11月02日 | 観光
【9月8日】

朝食は羽田先生宅にて、ベーグルにクリームチーズを塗ってサーモンと玉ねぎをのせたものをいただきました。
ベーグルも美味しかったですが、この組み合わせはとても良くて今でも食べたくなります。
カリフォルニアならではのブドウと、コーヒー又は紅茶。

お出かけは、まずは浄土真宗センターへ。
こちらは、西本願寺が中心になって作られた施設のようです。
詳細は忘れてしまいましたが、アメリカ仏教協会(?)を兼ねていて
売店では坐禅用の座布団や瞑想グッズもありました。
なぜか抹香臭い感じがなく、雑貨屋さんっぽい明るい雰囲気でした。
英訳本もたくさん売られていて、羽田先生のものもありました。

施設には礼拝所に図書館、講義室、宿泊ルーム等があり、
坪庭もあって、明るい日差しがそこから入っていました。
偶然、岡崎(三河)の本宗寺の坊守さんを見かけましたが、
龍谷大学の大学院生、特に布教使になろうと考えている人が長期的に利用している様子でした。
子供向けの教材も置いてあったのが興味深かったです。

次は、カリフォルニア大学バークレー校へ。
奥様のとも子さんがこちらのアジア文献専門の図書館にお勤めということで
案内をしていただきました。
図書館は二つ見学しました。
先のアジア文献専門の図書館は、大蔵経などの経典はもちろんのこと
非常にたくさんの書籍が集まっていました。
職員は中国人、韓国人、日本人のようでしたが、日本人同士でも英語で話すのがマナーです。
ここに沼田さんという方の関係の部屋がありましたが、この施設に多大な影響があったもようです。
(午後からは沼田仏教センターへ行きました)

総合の図書館は巨大な規模でした。
無い本はない、というくらい、世界中の書籍が集まっていて、
端から端まで、ものすごい距離でした。
貸出のシステムがととのっており、他の地方に住んでいても
本を受け取れる様子です。