私は今のクラスが丁度よかった。「丁度いい」の意味は、時々学習がやさしいと思う時もあれば、難しいと思う時もある。クラスの学生ともまぁまぁ仲良くやっていける。不満が全然ないかと思えば嘘になる。こうだといいな、ああだといいなと思うことはいろいろある。でもそれらは我慢ができる程度なのだ。自分だって気がつかずに人に何か不快になることをしているかもしれない。そう思えば相当のことが我慢できるものだ。「それが丁度いい」ということだ。
できる学生とできない学生は、不満をそれぞれに持っているようだ。基本的には「易しすぎる」「難しすぎる」という不満をベースにしていろいろ派生するようだ。「易しすぎて我慢ができない」人は上のクラスに移ればよい。「難しすぎて我慢ができない」人は下のクラスに移ればよい。西欧系の学生は、そういうことをサッサとやる。あくまでも個人本位である。アジア系の学生はそういうことをしないで文句をタラタラ言う。個人本位ではなく、集団が自分に合うようになってくれないかなぁという希望がその文句に表れる。
教師についてもそうである。私は、入学した途端、西欧系の学生に、習っている二人の先生のうちどちらがいい?と聞かれて困った。前にも書いたが二人の教え方のタイプが違うことを楽しんでいたから、どちらもいいと思っていた。そしてそういう学生は他のクラスを受け持っている先生の評判も聞き回っていた。そうしてとうとう他のクラスに移っていった。それはそれでよい。学費を払って自分の思い通りにならない教育を受けたのでは「時間の浪費になる」と思っているに違いない。
日本人の学生で西欧人と結婚している人がちょっと前に入ってきた。西欧的になっているのに驚いた。英語圏ではない人と結婚しているのであるが、相当英語も話せる。短期間で英語を完全にマスターしようと思って入ってきたのかもしれない。その学生の背中合わせ後に韓国の学生がいる。13歳のあの学生である。若いからだろう、じっとしていることができない。しょっちゅう話し、椅子を後ろに倒れない程度に反らし、また普通に戻す。そうするとがたがた音がする。私も気になることは気になっていたが、先生のいうことに集中しなければならなかったから、慣れて気にならなくなった。まだ13歳だからやむを得ない、という許容もあった。クラスを観察していると韓国の学生は殆ど授業中貧乏ゆすり(他に適切な言葉をしらない。)をしている。英語ができないと韓国では職にも就けないらしいから、英語を使えるように国を挙げて英語を習わなければという雰囲気になっており、学生はそのことに追い込まれているようにみえる。だからストレスなのかなと同情する気持ちもわいていた。
先日、西欧人と結婚している、その日本人学生が、若い韓国の学生が椅子を後ろに反らした瞬間、「やめてよ!」という感じで、グイッと若い学生の背中を押したのである。韓国の若い学生は、一瞬何が起こったかというように、ひどくビックリしていた。グループの他の学生と目配せしてビックリした様子を表していた。言葉で言う前に実力行使をしたのだ。私も彼女の隣にいたから、驚いてしまった。そういえば、彼女もほんの時々であるが貧乏ゆすりをする。
そうこうするうちに彼女は上のクラスに移った。自分の実力では今のクラスは「易しすぎる」と思ったのかもしれない。そういう若い学生がいるこのクラスはいやだと思ったのかもしれない。両方の理由かもしれない。オージーの男の先生は無駄が多いからいやだとしょっちゅう言っていた。そういうこともあったのかもしれない。いい悪いではなく、その行動力は西欧的だと思った。
逆に、できる人で、「退屈だ、退屈だ」と文句を言う人がいる。日本人である。上のクラスは試しに受けて見たこともあるようだが、合わないと言っていた。それで戻ってきたのだから、後は我慢するしかないと思うのだが、「退屈だ」と言う。何を示唆しているのか今のところ不明だが、西欧的な日本人も、文句を言う学生も元教師だった人である。
「丁度いいはなかなかないもの」という覚悟ができればもう少し楽になるのにな、と私は考えている。妥協ではなく、いろいろ違った視点でものを見ればいいのにな、ということである。
できる学生とできない学生は、不満をそれぞれに持っているようだ。基本的には「易しすぎる」「難しすぎる」という不満をベースにしていろいろ派生するようだ。「易しすぎて我慢ができない」人は上のクラスに移ればよい。「難しすぎて我慢ができない」人は下のクラスに移ればよい。西欧系の学生は、そういうことをサッサとやる。あくまでも個人本位である。アジア系の学生はそういうことをしないで文句をタラタラ言う。個人本位ではなく、集団が自分に合うようになってくれないかなぁという希望がその文句に表れる。
教師についてもそうである。私は、入学した途端、西欧系の学生に、習っている二人の先生のうちどちらがいい?と聞かれて困った。前にも書いたが二人の教え方のタイプが違うことを楽しんでいたから、どちらもいいと思っていた。そしてそういう学生は他のクラスを受け持っている先生の評判も聞き回っていた。そうしてとうとう他のクラスに移っていった。それはそれでよい。学費を払って自分の思い通りにならない教育を受けたのでは「時間の浪費になる」と思っているに違いない。
日本人の学生で西欧人と結婚している人がちょっと前に入ってきた。西欧的になっているのに驚いた。英語圏ではない人と結婚しているのであるが、相当英語も話せる。短期間で英語を完全にマスターしようと思って入ってきたのかもしれない。その学生の背中合わせ後に韓国の学生がいる。13歳のあの学生である。若いからだろう、じっとしていることができない。しょっちゅう話し、椅子を後ろに倒れない程度に反らし、また普通に戻す。そうするとがたがた音がする。私も気になることは気になっていたが、先生のいうことに集中しなければならなかったから、慣れて気にならなくなった。まだ13歳だからやむを得ない、という許容もあった。クラスを観察していると韓国の学生は殆ど授業中貧乏ゆすり(他に適切な言葉をしらない。)をしている。英語ができないと韓国では職にも就けないらしいから、英語を使えるように国を挙げて英語を習わなければという雰囲気になっており、学生はそのことに追い込まれているようにみえる。だからストレスなのかなと同情する気持ちもわいていた。
先日、西欧人と結婚している、その日本人学生が、若い韓国の学生が椅子を後ろに反らした瞬間、「やめてよ!」という感じで、グイッと若い学生の背中を押したのである。韓国の若い学生は、一瞬何が起こったかというように、ひどくビックリしていた。グループの他の学生と目配せしてビックリした様子を表していた。言葉で言う前に実力行使をしたのだ。私も彼女の隣にいたから、驚いてしまった。そういえば、彼女もほんの時々であるが貧乏ゆすりをする。
そうこうするうちに彼女は上のクラスに移った。自分の実力では今のクラスは「易しすぎる」と思ったのかもしれない。そういう若い学生がいるこのクラスはいやだと思ったのかもしれない。両方の理由かもしれない。オージーの男の先生は無駄が多いからいやだとしょっちゅう言っていた。そういうこともあったのかもしれない。いい悪いではなく、その行動力は西欧的だと思った。
逆に、できる人で、「退屈だ、退屈だ」と文句を言う人がいる。日本人である。上のクラスは試しに受けて見たこともあるようだが、合わないと言っていた。それで戻ってきたのだから、後は我慢するしかないと思うのだが、「退屈だ」と言う。何を示唆しているのか今のところ不明だが、西欧的な日本人も、文句を言う学生も元教師だった人である。
「丁度いいはなかなかないもの」という覚悟ができればもう少し楽になるのにな、と私は考えている。妥協ではなく、いろいろ違った視点でものを見ればいいのにな、ということである。