シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

翻弄されたことは許されるのか

2009-01-10 11:31:24 | Weblog
「あの戦争(1941年太平洋戦争)」例えば真珠湾奇襲にいたる過程で暗号が既に解読されており、日本の攻撃の発端が筒抜けだった。開戦の国際的ルールからすると開戦する時には「宣戦布告」というものをしなくてはならない。当時日本の滞米外交官は、マージャンだったか何かしていて「宣戦布告書」をアメリカ側に渡すのが遅れてしまったといわれている。それで今でも「宣戦布告」なしの(卑怯な)奇襲といわれ続けている理由だ。また、その前段に外交交渉はしていたが、相手(米国)は少しも条件を呑もうとせずとうとううまくいかず、自ら開戦してしまった。後でわかったことによると、米国は米国民が開戦に反対していてそれを賛成に回るようなきっかけが欲しかったと言われている。真珠湾奇襲攻撃は国民の戦意を高めたかった相手にとって奇貨であったらしい。エネルギー封鎖などもあって、だから日本は追い込まれて戦争をせざるを得なかったのだという説が多々ある。だから悪くなかったのだと。少なくともしょうがなかったのだと。

  しかし果たしてそうであろうか。とにかく先に開戦して手を出したのは日本であった。そのことを忘れてはならない。仮に相手が一枚上手で日本が翻弄されてしまったとしても、先に手を出したことを「悪くない」「しょうがない」と許されるものなのか、ということである。そもそも翻弄されるということは愚かさの証明でしかない。指導者の地位にあるものは、国際関係で翻弄されるというような愚かな事態に陥ることは許されないのではないか。国の指導者というものは国民の命を預かるものだからである。一つひとつの政策決定、特に戦争を始めるというようなことはなおさら、その結果、国民に及ぼす影響が甚大なので慎重に考慮して決め、また相手方の状況は的確に掴み、成算があるかどうか吟味した上で決定すべきものだと思うからである。

  私は、こうした問題をアメリカの人と議論になったときは、先に戦争を始めたことは大変申し訳なかったといい、しかし暗号が解読できていたのになぜ防戦しなかったの?と聞くことにしている。「あの戦争はなんだったのか」というテレビでも米国側の暗号解読の天才が日本の開戦決定を解読して米国中央政府に知らせていたから、「奇襲」の報を受けて、「知っていたはずなのに」とつぶやいた、とTVで言われていた。その暗号解読士もなぜ防戦しなかったのだろうと疑問を抱いたに違いない。そうして論議の相手に米国も戦争をしたかったんでしょ?と問う。アジアの被害国の人々には、申し訳なかったという以外ない。しかし国レベルの賠償は概ね済んでいると事実をのべる。国によって国民に知らせないこともあるからだ。それ以外言い訳はできない。アジアの場合、その国から攻撃を受けたから反撃したとかではなく、こちらが乗り込んで西欧との植民地争奪をしたからである。

一方、日本では指導者に対して、無謀な戦争を始めたことを問責する。翻弄されたのかどうか、ともかく戦争を始めてしまった責任は始めた指導者にあるからだ。私はアメリカの原爆投下についても批判意識を持っている。それはしかし、最初に戦争を始めてしまったことの責任について反省するものだけが批判できると思っている。原子爆弾はもう負けると分かっていた日本に白旗をあげる前に新爆弾の効き目を試したものだったといわれている。アメリカ人の庶民は「真珠湾」を忘れない。だからどんな爆弾を投下されても文句は言えないはずだ、という。しかし米国TOPレベルの意図としては人体実験という側面もあったのだ。その罪科は米国TOPの問題として繰り返して言うべきである。しかしそれで戦争を始めた日本側の罪科が帳消しになるものではない。原子爆弾は終戦間際に完成した。日本側の戦争終結決定のもたもた(ポツダム宣言をサッサと受け入れていれば原爆投下は出来なかった。天皇の処遇がよく分からないと言って返答せずもたもたした。)が原爆弾投下のチャンスを生じさせた面もあるのだ。

  勿論、歴史に「もし」はない。だからあの時どうしたか、それによってどうなったかを、庶民であっても知ることによって将来において何をどのように気をつければいいのか、自分なりに判断材料を身につけておくべきだということである。
TVの「あの戦争はなんだったか」は、保阪正康著『あの戦争はなんだったか』に基づいていることが分かった。数日前、書店で見つけた。