シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

二つの異質な文明がぶつかると?

2009-01-06 10:17:30 | Weblog
 年末年始まるまる1週間家にこもっていた。足が萎え、頭も変になってきたので外出した。正月映画に面白いものはないと思ってはいたが、英語も大分長い間、耳にしていないので英語の映画なら何でも良いと思い、視た。ロードショウ中のSFで全体として面白いものではなかったが、惹かれたセリフがあった。「文明と文明がぶつかった時、劣った文明の方は絶滅させられるか奴隷にされるかだ。歴史が語っている。アメリカ、メキシコ、アフリカ、アジア・・・」最後の方の例示は、早口だったので記憶違いがあるかもしれない。そういう内容のセリフだった。このアメリカ映画は、地球文明とエイリアン文明がぶつかりあい、そして地球文明の方が劣っているという想定だった。文明を優れているか劣っているかの優劣の尺度、進んでいるか遅れているかの遅進の尺度でみる見方がアメリカらしい。

 わが国の場合は、どうか。幕末・明治期の日本も似た状況だった。西欧文明と日本文明が遭遇した。最初は鎖国中に軍事力の違いを見せ付けられ、これはかなわないということでサッサと開国に切り替え、西欧文明を学びに自ら出かけた。岩倉使節団である。その一員で、維新政府の中心的な人物となった大久保利通は、視察の途中次のように述べていたと言う。「英米仏などはあまねく取り調べても出来居候のみならず、開化登ること数層にして及ばざること万万なり。」(英米仏は文明開化の程度がかなり進んでおり、追いつくのは大変である。)「先のことは心配してもよく分からないから、当面はできることからどんどんやっていくしかない。」「取り込むだけ取り込み、その弊害が出ても10年か15年後には必ず人が出てそれを修正し、害を取り除いてくれるだろう」と。(泉三郎『岩倉使節団という冒険』) 西欧は「開化の度合い」が数段上、つまり日本より数段進んでいるという捉え方だった。帰国後、追いつくべく(西欧)文明開化の政策に邁進した。「西欧に追いつき追い越せ!」の心理はこの時生まれた。

 これを最初の図式に当てはめると、日本は奴隷になりたくない(アヘン戦争のような事態を避けたい)ために急いで西欧文化に追いつこうと自ら西欧文化を学びに行ったり、お雇い外国人を招いたり、鹿鳴館を造ったり(明治10年代)して取り入れた。当時西欧から日本は猿真似ばかりしていると馬鹿にされたのもそういう事情から来ている。大体、追いつこうとしても違う文明の中で長い間暮らしてきたものが全く同じ文明になるということはあり得ない。優劣・遅進の直列的な尺度にのっとっている限り、追いつこうとしている間に相手も前に行くからいつまでも追いつけない感じが残る。「憧れ」に「卑屈」が加わるのはそういう時である。奴隷にならなかっただけでも良いではないかといわれるかもしれない。学ぶのはよい。しかし、学び方というものがあるはずだ。国としても個人としても、ただの猿真似であるゆえ、馬鹿にされて反論できなかったり、卑屈がいつまでも続いたりするのはいただけない。
文明の違いをあらわすのに優劣や遅進の直列の尺度を変更する以外にない。