シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

ラストサムライ=西郷隆盛は妥当

2009-01-08 10:52:11 | Weblog
 数年前、トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」という映画があった。西郷隆盛が西南戦争で死んで明治維新が終了し、武士社会から(半)近代社会(縷々述べてきたように未熟の意味で半をつけた方がいいと私は思う)に移行したのだとすると、ラストサムライの武将のモデルが西郷隆盛だというのは妥当である。最初政府軍に武器の使い方の指導者として招聘され、その後西郷側に味方するというトム・クルーズの設定は本当かどうか分からない。

 薩長軍が官軍(政府軍)である。西郷隆盛は薩摩であるが下野(官を辞めて民間人になる)しており、政府に反対する軍になれば賊軍になる。官軍が最新式(といってもアメリカ南北戦争のお下がり)の武器を持ち、西郷の方は刀が基礎であることが描かれている。西南戦争である。西郷は敗退する。刀を基礎とする戦争はこれをもって終わる。その意味で「ラストサムライ」なのである。渡辺謙が西郷を好演していた。

西郷は明治国家建設初期に大功績があったのに、最期の時、賊軍扱いのため、靖国神社には祀られていない。賊軍扱いのものは誰も祀られていない。薩長の勝ち組だけが祀られているのである。靖国神社が薩長神社だといわれる所以(ゆえん)である。現在、国全体のものとして政府要人が公人として参拝し、国民への範を示すがごとき行為は、国が一つの宗派・宗教だけを優先保護(靖国神社法で保護している)してはいけないという憲法感覚にもとる。梅原猛の、神社なるものは勝ち負け両方の英霊すべてを祀るべきという説もある。

 西郷隆盛は、岩倉具視や大久保利通、伊藤博文などの訪米英使節団が帰ってきてから、自分の役割は終えたと下野する。①征韓論のやり取りが少しも進まず業を煮やした。②官の役職にあるものや使節帰りの指導者達が、新国家建設時の財政難のとき、贅沢を尽くし妾宅に入り浸っているような様をみて嫌気がさした、などが理由と言われている。西郷は少しも欲がなかった人だったらしい。西郷のことばが今日に伝えられている。

  「草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、
維新の功業は遂げられまじく候」「戦死者に対して面目なきぞ」(半藤一利『幕末史』)

名のある人が後世に好感をもって伝えられるとき、「欲得・私欲がない」ということが重要なファクターとなる例は多い。私利私欲のために政治をやられたり、公務をやられたりしたのでは税金で国策を賄う庶民はたまらない。隠れてやってもそういうことはいずれ発覚する。その点、西郷は官における指導者的地位にあっても贅沢を嫌い、下野したあとも慕われて若者が押し寄せたといわれているのは納得できる。

西郷は下野したあと、鹿児島に帰り、慕ってくる若者を教育した。官側の挑発があって血気はやる塾生若者の跳ね上がりで西南戦争が勃発、塾生の跳ね上がりであろうとも起こったものは自分の責任と受けて立った。この責任感もリーダーとして欠かせないものである。ノーブレス・オブリッジの旗手でもあったといえる。しかし、西郷側には最新式武器があるわけでもなく、敗退し自決した。明治10年である。西郷は、明治維新期最大の大物であったので、おなじく維新を目指したグループのものが政府中心部にいて、そのものたちは西郷が民間に居ることが不安でならなかった、その不安の一つとして、西郷も孝明天皇暗殺・明治天皇取り換えばや物語に関与していたか、少なくとも知っていた可能性があるという説もある。西郷の死でホッとしたとか、口封じのために挑発して死に至らしめたというようなこともあったのではないかなど、いろいろな見方がある。