シニア留学風土記

リタイア後、日本を脱出して世界を散策したいと旅立つ。英語生活の勉強も兼ねている。その様子を書き綴る。

明暗と共に多様を抱えるのがよい

2009-01-05 10:26:10 | Weblog
幕末暗部ともいうべき事柄を記入していたら心底疲労し、三ガ日エネルギーがなかった。昨日、日本の西欧化について私なりの歴史的筋を明らかにするという目的が主だったとやっと気を取り直して、本年初記入をした。コメントが来ていた。嬉しいコメントだった。12月5日の「アボリジニウルル(エアーズロック)の問題点」にウルルさんという人からのコメントだった。エアーズロックでツアーガイドをしている日本人の方だ。(左側コラムの最新コメントからアクセス)

 コメントを受けて考えたことは、オーストラリアのウルル(エアーズロック)説明のしかた=考え方の違うものを両方示すやり方は公平だということである。国側の意見も出し、アボリジニの側の意見も隠さない。正式な議論で意見が割れたときに議事録に両論併記=多数派の意見とともに少数派の意見も両方記録するという仕方がある。決定すべき時多数決で決めるが、その時の少数派はこういう意見だった、ということを併記して少数意見を無視しないのだ。フェアを保つ人々の智慧である。

 観光地での説明もそうであれば観光客もオヤッと思い、考えるようになる。それが良い。
 観光資源ということばがある。半藤一利の『幕末史』に「負け組や賊軍(勝ち組になって政府軍になった官軍に対する、負け組になって消えた諸藩の軍)の足跡は観光資源になっていない(観光地にしないで消される)」という意味の記述があった。そうか。観光地でも取り上げるのは強いものや勝ったものなんだと思い知らされた。
 そればかりでなく、その時々の社会状況の空気を読んでばかりいると歴史的な人の評価もシーソーゲーム(上がったり落ちたり)になるというのを知って驚いてしまった。(佐高信『福澤諭吉伝説』)福澤諭吉は、明治期は別として、第2次大戦中には非国民思想家扱いで、生家近隣からも石を投げられたというからビックリである。戦後立派な思想家扱いになった。いま、生家現地では1万円肖像で客集めをした形跡がある。なにがなし浅薄である。

 去年の3月、台湾に行った。日本語教師養成の実習で行って、少しだけ観光もした。驚いたことは、大統領選挙の結果、負けた方の党の記念堂の名前が変わったり、大統領などの銅像が小さければ壊され、大きれば壊せないので垂れ幕で隠されたりしていることだった。「これじゃ歴史が分からなくなるわね」と同行の人たちに言ったものだ。その後、大統領選挙があって中国寄りの国民党が勝ったので、また元の記念堂の名前に戻し、銅像もよく見えるようにしたかも知れない。

 オーストラリアはマルティカルチュアリズム(多文化主義)の国である。メジャー・マイナー両方を抱え、明暗ともに抱え、隠さないで歩むやり方である。私はこの方が好きだ。歴史に生きた人々にフェアだからである。