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言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

体罰と女性の道具観

2013-02-11 01:40:14 | 思想・哲学
 つまるところ、体罰は愛のムチだといわれる。劣った技術をたたき上げるムチ、甘すぎる意識を叩き直すムチ。このムチは選手のためと考える確信が体罰を支える。ここには忘れられた文脈がある。そのムチが監督の地位を守り、名声を高め、それが保護者・関係者からの贈答品や、ときにはカネに変わる文脈だ。選手を道具にする穢れた欲望、他者を自分の道具とする現代。

 そんな考えが、今さら女性との付き合い方を反省させる。いつからか女性を道具扱いしてきたんじゃないかと。男の欲望を放射させるための道具。あんなに優しくしてくれたのに、どこかでボタンを掛け違えたのか。人間として見てもらえなかった女性。これは体罰じゃないか。ときどき付き合うのが苦しいだけだったのでは。

 女性とどう付き合えばよかったのか。こちらを逆に道具にさせるって方法も考えられる。だが、相手の欲望を大切にするのかも知れないが、結局はSとMとに別れるだけだ。たまに土下座して謝り、頭をヒールでゴリゴリされたが、彼女に生まれたのは男を道具にする感覚だったはずだ。お互いが道具なんて最悪だ。

 いや、ほんとうに、考えたこともなかった。思うに任せて女性をゲットし、わきあがる欲望のまま行動した。それを女性は受け入れるように見えた。男も女も一緒! だけれど、男側の文脈だけにしたがった行動が適切だったはずがない。体罰と同じだ。その証拠に別れが多かったので、いつも二人の女性と付き合った。

 女性を道具にするのって、もっとよく考える必要がありそうだ。まず、女性に向かう男の欲望があるとしておこう。この前提も怪しいものだが、また振り返ることもあるだろう。女性への道具視は、男の欲望を達成するために女性が必要なので生じる。欲望の達成が目的、女性はそのための手段、道具ってわけだ。

 この誘惑は強烈だ。女の子への興味は幼稚園のころからあったんだし、初めの夢精は中学だった。一方では、高校2,3年生まで女性の神格化みたいなものもあって話はややこしくなるwww

 しかし、この誘惑と女性の道具観は同じなのか。男の欲望の原因は身体に埋め込まれてもいる。遡上したサケでさえ、オスの精液はメスの産卵にたいして働きかける。DNAが原因だ。ただ人間の場合は、どう意識化するかが問題になる。無意識の意識化とは、また妙なことに突き当たったものだ。

 やっぱり男女のDNAが問題じゃない。食物連鎖に血生臭い動物世界をみて、一瞬で生物学を毛嫌いする傾向もあるが、それでは人間の美意識を優先しすぎだ。一種の多感さを否定するのではないが、食物連鎖の頂点が人間だからといって、人間の意識まで動物の頂点に立つのは行き過ぎた人間中心主義である。

 DNAが支配する動物世界は、人間の意識を完全に超えた「自然」とでも呼ぶほかない。なるようになってしまう世界。捕捉し捕捉され、喰い喰われ、命を燃やし奪われ、やがて朽ち果てる動物世界の「自然」だ。この自然を肯定するのも否定するのも人間意識の勝手だが、iPs細胞などの再生治療が発達したところで、自然の図式はまったく変わらないだろう。

 人間の意識はむずかしいけど、男に埋め込まれた無意識は女を求める。女も男を無意識に求める。これが意識を超えて逆らえない自然の情報だ。DNAが劣化しないかぎり、わけもわからず男は女を、女は男を求める。しかし人間の意識は複雑だ。欧米と日本をふくめた歴史上の先進地域では、一夫一婦制の婚姻形態を採用している。

 そして不思議にも、動物のメスとオスには互いの好き嫌いが発生するらしい。オスはどんなメスでもいいわけじゃなく、メスもオスをえり好みするらしい。この傾向は互いに個体識別できる動物に発生するはずだが、大抵はエサの補足がうまい、ケンカが強いなどが、メスにたいするオスの識別欲望を満たすらしい。

 この好き嫌い、えり好みは人間の世界にも起こるのが面白い。というより、「好き嫌い」「えり好み」の表現自体が人間の意識、言葉だ。多くの彼らには、身体を突き動かす沈黙した自然があるだけだ。ところが、この「本能」を利用して、人間はあれこれと女性をゲットする計画を立てはじめる。

 好き嫌いが満たされれば、女性も簡単な男の計画に「引っかかる」。引っかかろうとする無言の命令が組み込まれているからだ。その後は出会った二人の幸せを祈るばかりである。

 なので、男女が引っかかったり、引きあったりするのが男女の道具観じゃない。基本的に自然なのだ。自然は男女に、埋め込まれた無言の伝言を満たすように命令する。ところが、こうした自然の傾向を利用して、DNAが発信する男の欲望を実現する道具として、女性を位置づける考え(意識)も人間には生まれる。

 女性道具観は、男のDNA情報をみたす。一時的なら、女性のDNAも満たされるだろう。しかし、ここには消し去られた空白、欠如がある。ともに男女がDNA情報にしたがうという、協同関係である。それが脱落している。意識の上で男女の文脈は互いに孤立し、男は自分の欲望を発露することだけを見つめている。

 これは男女の秘め事だけの話でない。寒さや暑さをいたわり、日常生活の不足を気にかける一切の気遣いにも通底する協同関係のあるなしが、男女の道具観を乗り越えるキモになるだろう。そういえば、まだ機械化できない部分を人力にたよる大企業の流れ作業には、ほとんど一方的な合理化の関係しか見られない。


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